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人間の知的な向上と霊的な悟りの関係について  Part 39

 ただ、そのようにして霊的な悟りを得たいと思うような人の中には、「元々自分には、それほど強い欲望も迷いのような気持ちも、ほとんどないのだが、世の中の様子を見ていると、もし自分が高い霊的な悟りを得ることができれば、多くの人々や生き物達のために何か素晴らしい貢献をして、たくさんの幸せをもたらしてゆけるような気がする」などというように、その人自身の満足や幸福のためというよりも、他の人々や生き物達の満足や幸福のために、何らかの高い悟りを得たいと考えるような人もいれば、また、そうではなく、「この社会では、僧侶になって、高い悟りが得られれば、素晴らしい地位や名声が得られるらしい」とか、「自分は、この世的な出世や栄達には、完全に見放されてしまったようなのだが、もし、ここで何とか宗教的な悟りというものを身につければ、宗教の世界で、ものすごい大成功ができるのではないか」などというように、はっきり言うと、自分自身のエゴのために、あるいは、何か素晴らしい就職や出世の口にでもなるのではないか、などと考えて、霊的な「悟り」を求めようとすることもあったようなのです。

 こうした観点から見てゆくと、はっきり言って、一口に霊的な悟りを求めると言っても、厳しい現実の世界から逃避や、強い探究心や求道心から始まって、自分自身の完全な幸福の実現や、さらには自分自身の幸福の実現というよりも、自分が霊的な悟りを得ることで、他の人々や生き物達の苦悩を取り除き、大きな幸福をもたらすことが、そうした悟りを求める目的になっていることもあるし、それから逆に表面的な形はともかくとして、本当は自分自身の出世や栄達のために、そうした霊的な悟りを得ようとすることもあったようなので、本当は、それぞれの個人によって、そうした悟りを求める目的というのは、結構ピンからキリまで、いろいろなものがあったようなのです。

※霊的にも、この世的にも、自分自身の悩みや苦しみを滅するために、あるいは、自分自身の幸福の実現のために霊的な悟りを求めても、別に何の問題もないと思われるのですが、ここでは、どちらかというと、そうした霊的な悟りというよりも、この世的な体裁はともかくとして、その人自身のこの世的な出世や栄達が、本当の目的である場合には、ちょっと間違っているのではないか、ということを述べています。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年9月22日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / スピリチュアリズム、霊界 / ユダヤ教 / 仏教 / 宗教、道徳 / 瞑想 / 知恵、正しさ / 社会、文化



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