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2016年最後のご挨拶

 2016年も今日で終わりですが、みなさんは、今年はどのような年になりましたか?

 私は、霊的な浄化の方法をかなり大きく変えることになったので、多少試行錯誤しながら、新しい霊的な浄化の方法を、少しずつ確立してきた感じです。

 他の人々の霊的な啓示では、今年は、大きな霊的な変化があるという話もあったようなので、かなり期待した人も多かったかもしれないのですが、私自身としては、年末ぐらいになっても、結構地味な作業がたくさん続いているように見えたので、そうした発言は控えることにしていました(最近になって、やっと少し明るい感じになってきましたね)。

 それで、どちらかというと、今年は霊的にも、この世的にも、かなりごちゃごちゃと混乱しがちだったので、それぞれの時期の霊的な対策のようなことを、何度も載せることにしていました。

 まあ、多くの人々にはっきりわかるような霊的な変化は少なかったのかもしれませんが、おそらく今年も、多くの人々の意識のあり方や行動のあり方には、少しずつですが、かなり大きな変化が起き続けた年になったのではないか、と思われます。

 あと、霊的な敏感な方なら、かなりお気づきのように今年の前後の辺りの時期は、うまくアセンションしていない異次元世界、あるいは並行世界では、結構あちこちで大きな戦争や経済混乱や、大地震や風水害のようなことが頻発していた時期であったので、そうした他の異次元世界の状況を考えると、現在、みなさんが生活しているこの世界では、そうしたことはほとんど起きていないので、ある意味で、かなり大きな平和と幸福の中に生きてこれたと言えるのかもしれません(今年は、日本だけでも、何回か、かなり大きな地震や風水害のようなことが起きる可能性があったのですが、幸い、かなり規模が小さくなるか、あるいは、実際には起きずに済んでいることが多いようです)。

 現在の霊的な状況であると、こうした状況は、まだ来年、もしくは再来年ぐらいまでそのまま続いて、その後は(現在のような霊的な変化と同じで、多くの人々は、あまりはっきりと気づかないかもしれませんが)、多くの人々の間で、かなり霊的、というか、良い意味で異次元的、あるいは宇宙的な少し変わった変化が起きてゆく予定になっています。

 ただ、現在と同じように、変化は少しずつ、しかし確実に、ずっと起き続けてゆくような流れになってゆくはずなので、最初から述べてきているように霊的なアセンションがあるとは言っても、くれぐれも物質世界での、みなさんの学業や仕事や生活での基盤は、そう簡単に浮き足立って、大きく崩したりしないように気をつけてください。

 あと、このブログを応援してくれている方や、定期購読してくれている方には、とても感謝しています。どうもありがとう!

 それでは、また来年も、みなさんにとって、良い年でありますように!

 素晴らしい平安と幸いの年となりますように!

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Cecye(セスィエ)

2016年12月31日 9:07 PM, おすすめ記事 / お知らせ / 現在のアセンションの状況

2016年11〜12月現在のアセンションの状況について Part 3

3、現在の頃を境にして、大都市とほぼ同じような文明生活を営みながら、大自然の中で、わりとのんびりした自然生活を送る人々が、だんだん増えるようになってゆく

 第三には、これは時々聞くような話になるかもしれないのですが、特に現在の2016年の末から2017年の頭ぐらいにかけて、多くの人々の間で少し変わった意識の変化があるかもしれないので、そうした内容について、ここでは少しだけ触れてみたいと思います。

 現代はもう21世紀で、地球人類の文明としては、かなり高度な科学文明を謳歌しているような状況になってきているのですが、特に現在の辺りの時代から、一部の人々は、そうした科学文明を単純によしとせずに、あえて少し未開な森やジャングルや砂漠のような土地に移住して、別に国の法律を破るわけではないのですが、大自然の中で、自然の営みや自然のサイクルに、できるだけ忠実な形の半自立生活を営もうとするようなことが、だんだん増えてゆくかもしれないということです。

 こうした自然主義的な流れは、これまでの人類の歴史の中では、結構根強く、何度も何度も巻き起こってきたようなところはあったのですが、ただ21世紀初頭の現在のそうした自然主義というのは、少し前の時代とはかなり違って、科学技術や情報技術の発達によって、あまり人がいない田舎のような地域で生活しているにも関わらず、大都市の人々とほぼ同じような経済的営みを送っているとか、情報的にほぼ全く違いがないなどというように、言ってみれば、確かに自然の中で、なかば半自給自足の生活を送っているわけではあるけれども、物質的にも精神的にも、また情報的にも、大都市に住んでいるのとあまり変わらない生活を営んでゆくような、そうした21世紀型の自然生活を送るようになってくるのではないか、ということなのです。

 それと、これはもう現在でも起きていると思われるのですが、一見ほぼ同じような物質世界の生活を営んでいるように見えるにも関わらず、一部の人々は、いつの間にか、この物質世界以外の何らかの霊的存在や異次元存在、また場合によっては、宇宙存在達と非常に密接に交流を持ちながら生活してゆくような、そうした、言ってみれば、霊的、異次元的な物質生活を営む人々が、ちょうど今頃を境にして、大都市の中にも、どんどん増えてゆくようになってゆくということが言えるようです。

 

 2016年11~12月現在のアセンションの状況としては、だいたい以上のような三つのことが言えるようです。

 

 続いて、「2016年最後のご挨拶」の文章が載ります。それから何日かお休みして、再び来年の記事を載せる予定です。

 

Cecye(セスィエ)

2016年12月31日 9:03 PM, 現在のアセンションの状況

2016年11〜12月現在のアセンションの状況について Part 2

2、現在の辺りの時期から これまで長らく幻覚や幻聴として精神病扱いされていたものの一部は、霊界や異次元世界に関する人間の正常な第六感的知覚として認識されるようになってゆくかもしれない

 第二には、これは、まだあまり述べていないような話になるかもしれないのですが、特に現在の辺りを境にして、これまでの時代であれば、単に精神病の症状として認識されていた幻覚や幻聴のようなものが、もっと科学的な感じで、時折、一部の人々の間で知覚される第六感的な体験として、普通に認識されるようになってゆくかもしれないということです。

 つまり、これまでの時代であれば、精神的に深く落ち込んでしまっているとか、他の人々には全然、訳のわからない幻覚が見えたり、幻聴が聞こえているなどとして、単に精神病の症状と認識されていたような体験が、だんだん、それぞれの人にバラバラに病的に体験されるのではなく、ある程度の人数の人々の間で、わりと冷静かつ客観的な形で、ほぼ似たような体験が共有されるような、要するにある程度、客観的に分類したり、科学的に調査したりできるような人間の第六感的な体験として認識されるようになってゆく可能性があるのです。

 そうすると、そうした形で多くの人々の間で、人間の第六感的な体験が、わりと冷静に通常の人間の体験の一部として認められるようになっていった暁には、途中のある段階から、ある一定の人数の人々が、ほぼ同じような幻覚や幻聴を精神的にあまり混乱することなく、かなり冷静に客観的に体験し続けているということは、ひょっとすると、そうした第六感によって知覚される霊界や異次元世界というものが、本当にこの物質世界のすぐそばにあるかもしれないというような認識に、やがて人類全体で大きく変わってゆくかもしれないということなのです。

※現在、アセンションの進行によって、昔と比べると、たとえ一部の人々が幻覚や幻聴のような非日常的な体験をしたとしても、それほど肉体的、精神的に大混乱せずに、わりと冷静に落ち着いた態度で受け入れていることが、だんだん増えてきているのではないか、と思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2016年12月30日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 健康、医療 / 現在のアセンションの状況

2016年11〜12月現在のアセンションの状況について Part 1

 だいたい二ヶ月ごとに現在のアセンションの状況について説明してきているので、今回から何回かに渡って、現在のアセンションの状況について述べてみたいと思います。

 今年は、霊的にも、この世的にも、いろいろと、かなりめまぐるしい大変化が起きた年だったので、これまでにも結構、再三に渡って、現在のアセンションの状況や、そうした霊的な変化に対する注意点を述べてきたので、今回は、少しまとめるような短めの話に留めておきたいと思います。

 

1、現在もアセンションの進行に伴い、この物質世界だけでなく霊界や異次元世界でも、かなり大きな変化が起き続けている

 まず第一には、これは他の方々の霊的な啓示においても、あちこちで触れられていたような話になると思うのですが、2016年も、いろいろな意味で霊的な変化が大きかった年だったのではないか、と思います。

 この世的にも2016年は、いろいろな大変化が起きた年だったと思うのですが、おそらく現在の流れだと、今のような大きな変化は、このまま続いて、来年の夏から秋ぐらいまで、そのまま続いてゆくのではないか、と思われます。

 ここで、もう一度、現在のアセンションによる霊的、この世的な大変化の内容をあげると、だいたい次のような二つの内容になります。

 

①現在、アセンションの進行によって、これまで裏に隠れていたものが表に現れるようになってきたり、表で目立っていたものが裏に隠れるようになってきている

 まず一つめは、これは、これまでにも何度も述べてきていますが、現在もアセンションの進行によって、これまで霊界や物質世界の裏に隠れていたものが、突然、あるいは、少しずつ、だんだん表に現れるようになってきたり、また、これまで霊界や物質世界の表で非常に目立って存在していたものが、突然、あるいは少しずつ、だんだん裏に隠れてゆくような、そうした、いろいろな意味での世界の表と裏の逆転現象のようなことが起き続けてきています。

 こうした霊界や物質世界の大変化は、今後も、これまで以上に様々な場面で、そのまま起き続けてゆくのではないか、と思われます。

 

②現在、アセンションの進行によって、「二元性の原理」の時代から、良い意味での「統合の原理」や「一元性の原理」の時代に大きく移り変わってきている

 二つめは、これも、これまでにも何度も述べてきていますが、これまでこの世界は、あらゆる意味で、光と闇や、善と悪、上と下や、東と西などといったように何でも二つに分離して、お互いに相争い合うような「二元性の原理」が支配していた世界だったのですが、それが特に現在の辺りの時代を大きな境として、これには、まだまだ数十年、場合によっては、数百年ぐらいはかかるかもしれないのですが、良い意味での「統合の原理」、あるいは、「一元性の原理」が支配する世界に大きく変化してゆきつつあるということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2016年12月29日 9:03 PM, おすすめ記事 / 現在のアセンションの状況

「わかる」ことと「満足感」の関係について Part 4

 それから四つめは、これは実際問題として、かなり難しい内容を含んでいるような話になるのですが、現在の人間の知性のレベル、あるいは人間の生物としての脳や神経系の機能のレベルから考えると、どう考えてみても人間には、これ以上はわからない、また、どんなに一生懸命努力しても人間には、絶対にわからないような物事が、まだまだこの世界には、たくさん存在しているように思われるのですが、そうすると人間の物の見方としては、次のような二つの物の見方が、とても大切になってきます。

 一つめは、これは一昔前の時代には、ほぼ常識のような考え方であったにも関わらず、現代の社会では、ほとんど言われなくなったような物の見方になるのですが、要するに人間である以上、どんなに一生懸命学んでも、また、どんなに一生懸命物事を探求していったとしても、自分には、どうやってもわからないものは必ずある、という事実は冷静に受け入れて、たとえ自分としては、いろいろな物事をかなりよく知っているように思われたとしても、それは決して、この世界のすべてのことを知っているわけではないし、また、この世界のすべてのことができるわけでもない、ということは、冷静に謙虚に受け入れるべきであるということです。

 二つめは、これは少し違った観点になるのですが、実は、人間という生物を冷静に観察してみると、確かにたくさん、いろいろな物事を知っていることに非常に大きな悦びを見出すところがあるのですが、ただそれ以上に、常に自分が、何か未知の新しいことを知り、できるようになってゆくことにも、同じように非常に大きな喜びを見出してゆくようなところがあるものなのです。

 つまり、確かにたくさんの物事を知っていることは素晴らしいことではあるが、それと同時に常に自分が、まだ知らない何か新しいことを学んだり、できるようになってゆくということは、それに勝るとも劣らないくらい非常に素晴らしい体験なのだ、ということも、人間の性質として素直に受け入れてゆくことが、とても大切なのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2016年12月28日 9:03 PM, 知恵、正しさ

「わかる」ことと「満足感」の関係について Part 3

 二つめは、これは少し立場が変わってくるのですが、はっきり言って、これまでの人類の歴史では、どうしても多少危険が危ぶまれるにも関わらず、一部の人々が、そうした危険をあらかじめ覚悟した上で、何らかの物事の真実を知るために体を張って、実際に調べてみたことが数多くあったように思われます。

 そうすると、これは現代の社会では、ほとんど当たり前の話になってくるのですが、基本的にそうした実験の対象者(自分自身も含めて)に何らかの危険が及ぶ可能性がある場合には、事前に、そのことを十分に詳しく説明して同意を得た上でなくては、一切そうした実験の対象にしてはいけないし、また、そうした危険を一切知らせることなく、他の人々に何らかの被害を与えるような状況は、できるだけ避けなくてはならないということです。

 それから、もう少し難しい問題としては、その当人としては全く気付かないうちに、大勢の人々に何らかの被害を与えるような状況になってしまったケースがあると思うのですが、こうした形で、もし何らかの問題が発生してしまった場合には、できるだけ速やかに適切な人物や団体に、そうした問題を包み隠さず相談して、あまり問題が大きくならないうちに最善の対処をした方が賢明であるということになります。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2016年12月23日 9:04 PM, 知恵、正しさ

「わかる」ことと「満足感」の関係について Part 2

 三つめは、今度は、少し難しい問題が関わってくるのですが、人間が、本当に物事をわかろうとしてゆくと、内容によっては、何らかの形で様々な苦労や犠牲を強いられることがあるので、そうした際に、その人自身として、また、その人の属する家族や集団や社会として、さらには、この宇宙を現在もあらしめている創造主の立場として、いったいどこまでをよしとして、また、いったいどこからをダメなものとしてゆくのか、ということに関しては、結構難しい判断を要求されてくるようなところがあります。

 残念ながら、これまでの人類の歴史を見てみると、結果として人類は非常に大きな知恵を得ることには成功したが、その過程では、多くの人々が散々ひどい目に遭ったとか、一部の人々が、とても悲惨な犠牲を強いられることになったとか、あるいは一部の動物が、たくさん実験に用いられて苦しんだというような話も非常に多いようです。

 ですから、はっきり言って、こうした「何らかの物事をもっと知りたい、わかりたい」というような人間的な欲求と、「これ以上、人間や動植物を傷つけたり、大事な物を壊してはいけない」というような社会的な倫理観のはざまで、おそらく今日も一部の人々は、「どこまでが善で、どこからが悪なのか」ということをかなり切実に模索し続けているのではないか、と私は思うのですが、こうしたことに関しては、大まかに言うと、次のような二つのことが言えます。

 一つめは、これは単純な話になりますが、たいていの場合、多くの人々の自然な良心に基づく倫理観と、そうした倫理観や多くの人々の利害関係に基づく社会の法律によって、自然自然のうちに、ある程度正しいと思われるガイドラインのようなものが決まってくることが多いので、たいていの物事に関しては、そうした倫理観や社会の法律に基づく何らかのガイドラインによって、「ここまではよしとしてよいが、これ以上はやってはいけない」というような判断を、きっちりつけてゆけばよいのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2016年12月23日 9:03 PM, 知恵、正しさ

「わかる」ことと「満足感」の関係について Part 1

 次には、人間が「わかる」ことと「満足感」の関係について考えてみたいと思います。

 それは、いったいどのような内容なのかというと、「人間は、どの程度までわかれば、十分な満足感を見出せるのか」、あるいは、「人間は、いったいどの程度までわかることで、よしとするのか」というような内容になります。

 これは一見、簡単そうな内容に思えるのですが、実際には、よく考えてみると結構難しいというか、結構かなりややこしい問題を含んでいるようなところがあります。

 大まかな要点としては、四つほどあるのですが、まず一つめは、単に自分が個人的に少し興味があるとか、少しでいいから知りたい、という程度の動機であれば、その人が「ああ、そういうことなのか」とある程度十分に満足できるくらい、そうした物事についてわかれば、それで十分なのではないか、ということです。

 二つめは、これは現在も多くの人々が、日々直面しているような課題になるのですが、例えば、学校に通っている人であれば、その学校のカリキュラムの内容として、「最低限、この程度までしっかり理解したり、覚えたり、できるようになってほしい」というような学習目標の程度まで、そうした物事について、わかればよいことになるし、また社会人として仕事に就いているのであれば、そうした仕事で「普通は、この程度までは、しっかり覚えて、できるようになっていないといけない」という程度、そうした物事について、わかっていればよいことになるし、それから、そうしたこと以外の何らかの趣味のようなものであれば、やはり自分自身として、「この程度は、しっかり理解したり、覚えたり、できるようになっておきたい」という程度まで、そうした物事について、わかるようになっていればよいということになります。

 つまり、この場合は、その人が個人的に知りたい、わかりたいというような個人的な動機ではなく、その人自身としての何らかの明確な目標や、あるいは、他の人々からの何らかの明確な要求や社会的な基準に基づいて、何らかの物事に関しては、どうしても、この程度はわかっていないといけない、というような状況に置かれているということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2016年12月22日 9:03 PM, おすすめ記事 / 知恵、正しさ

トランプ・ショックについて Part 10

 三つめは、これはおそらく、現在のアメリカ政権としては、最もてこずっている内容になるのでしょうが、いわゆるテロや、テロに関係する中東などの一部の地域での紛争に関わるような問題になります。

 これまでのアメリカ合衆国の政治的な判断としては、現在のアメリカとして、かなり関係が深い中近東の国々や一部のアジアの地域において、いかにして、軍事的なリスクを減らしつつ、そうした地域の安定性を高めるか、ということが課題になっているように思われるのですが、ここ数十年のアメリカの軍事的な活動を見ていると、特に軍事的なことに関しては、いったん戦端を開いてしまうと、少し政権が変わったぐらいでは、戦力を多少増減させたり、戦闘のあり方を変えることはできても、急に全面撤退するようなことは、なかなかできづらいところがあるようなのです(軍事的なバランスが急激に崩れると、とんでもない紛争や内戦状態になることもあるので・・・)。

 ですから、おそらく、これは今後、アメリカ軍の指導者の人々や、一緒に軍事活動している国々の指導者の人々と、いろいろと話し合いを進めながら、少しずつ変更してゆくしかないように思われるのですが、現在のところ、そう短期間のうちには、オバマ大統領の前政権と、それほど大きな違いを打ち出すような軍事活動はしづらいような状況になるのではないか、と思われます。

 ただし、トランプ氏は、ロシアのプーチン大統領に対して、極めて好意的であると何度も言っているので、長期的には、だんだんロシアと友好的な方向に向かってゆくのではないかと思われます。

※日本にいると、中国や韓国や台湾は、すごく身近に感じるのですが、ロシアは国境は接しているのに、精神的には、何となくすごく遠い国のような感覚になりがちなので、そうすると遠からず、日本とロシアの関係も、これまでの感じとはかなり違って、現在以上にだんだん友好的なものに変わってゆく可能性が高いように思われます。日本と隣国の韓国や中国や台湾との間にも領土問題は多少ありますが、外交関係や経済関係は、それほど大きな問題にはなっていないので、長期的には、日本とロシアの関係もそうした関係になってゆくのではないか、と思われます。実は、霊的にも日本とロシアは、まるですぐ近くのような、また遥かに遠い国のような変な感じになっていたようなので、現在、少しずつ調整している最中になります。

 それから四つめは、これは、ちょっと意外なことになるかもしれないのですが、現在、霊的なアセンションの進行の経緯によっては、おそらく、ここ数年ぐらいの間に、多くの人々の間の格差や人種間のいざこざのようなものは、ある段階から、急激により良い方向に変わってゆくかもしれないということです(ただし、そうした問題が完全に解消されるような状況になることはないですが・・・)。

 ですから選挙戦の間は、そうした経済格差や人種間のいざこざの問題が非常に表面化して、結構大変な状況になるように思われたかもしれないのですが、逆に今から数年ぐらいのうちには、こうした経済格差や人種間のいざこざのようなものは、不思議なことに、だんだん穏やかな形で、そうした問題が少なくなってゆくかもしれないということは言えるようです。

 

 以上、先月、多くの人々の予想とはかなり違った形で、ヒラリー氏ではなく、トランプ氏が、アメリカの次期大統領に決まった辺りから、何となく地球全体の波動が、かなりざわついた感じになってしまったようなので、このブログでも、この世的には、そんなに数多く読まれているわけではないのですが、霊的にはそれなりに影響が大きいようなので、アメリカの次期新大統領のトランプ氏の話題について触れることにしました。

 結構長い文章になりましたが、手短かに簡単に言うと、「これまでの大統領選の経緯と違って、意外と、まともだから大丈夫」とか、「時々、いろいろ言ってしまったり、やってしまったりするかもしれないけど、本当は、そんなに悪い人じゃないし、結構しっかりしてる人だから、大丈夫ですよ」というような意図になります。

 

Cecye(セスィエ)

2016年12月21日 9:05 PM, コラム / 政治 / 社会、文化

フリーエネルギー万能論について Part 2

 さらに例をあげると、仮に今から100年前ぐらいの時代に時々話に出てくるような、ほぼ無限の回転力や電力が得られるような新技術や新エネルギーが開発されていた場合には、ほぼ確実に、かつての二度の世界大戦で使われていたでしょうし、また、そうした新技術や新エネルギーが、かつての二度の世界大戦で使われた場合には、場合によっては、その後、登場した軍用機やミサイル以上の攻撃力と、原爆以上の破壊力を持つような武器で世界規模の大戦争が行われた可能性もあるので、おそらく、そうした歴史のシナリオになった場合には、もう現在の21世紀の時代はなかったかもしれないのです。

 ですから一見、そうしたフリーエネルギーが登場すれば、現在の地球の問題が一挙にすべて解決するような感覚になるのは、私もわからないでもないのですが、ただ現在の地球では、そうしたフリーエネルギーはなくても、それに勝るとも劣らないくらいの様々な科学技術の恩恵や、たくさんのエネルギーの供給によって、それ以前の時代と比べると多くの人々が、かなり豊かな幸せな生活をしていることも事実なので、現実問題として現在の地球では、まだ、それほど切実にそうしたフリーエネルギーに関わるような新技術や新エネルギーが絶対に必要になっているとは、なかなか言い切れないようなところもあるのです。

 ただし長期的には、現在の地球の大多数の人々の意識がより澄んで、心から平和や幸福を満喫できるような世界になってゆく過程では、昔から時々話題になっているような、そうしたフリーエネルギーに関わるような新技術や新エネルギーが、あちこちに登場して、少しずつ現在の地球の社会のあり方を変えてゆくようになるかもしれない、ということは言えるようです。

 

Cecye(セスィエ)

2016年12月20日 9:03 PM, 予知、予言、未来予測 / 科学、テクノロジー