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物質世界の人生と、死後に直面する霊的な世界の人生の価値観の大きな違いについて Part 1

 現在、私達が生きているこの物質世界では、先ほどから述べているような形で、様々な国々の政府やマスコミや、また様々な宗教や思想やイデオロギーなどに基づく集団や個人の力によって、意図的に情報を制限したり、新しく創り出したり、変えたりしてしまえば、多くの人々の意識を、わりと自由にコントロールしてゆけるようなところがあるかもしれないのですが、ところが、それがこの物質世界を超えた霊的な世界も含めた状況になると、かなり大きく変わってくるようなところがあります。

 例えば、この物質世界では、非常に素晴らしいと褒め讃えられていた人が肉体の死後、そうした霊的な世界に移行した途端に、それまでのその人自身の様々な嘘や、隠れた行いがすっかりバレてしまい、そうした霊的な世界の隅っこで非常に小さくなって、隠れて生活するような状況になってしまったり、あるいは逆にこの物質世界では、ほとんど無名だった人が、そうした霊的な世界に移行した途端に、その人が陰で隠れて行っていた様々な素晴らしい行為が明らかになって、多くの霊的な存在達から大きく褒め讃えられるような状況になっていることも、よくあるようなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2024年7月25日 9:03 PM, イスラム教 / インド思想、ヒンドゥー教 / おすすめ記事 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / ユダヤ教 / 中国思想 / 予知、予言、未来予測 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宗教、道徳 / 政治 / 時間と空間の秘密 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 神道 / 科学、テクノロジー / 経済 / 自然、生命 / 軍事

民主主義の国々の政治家への評価と、社会主義の国々の政治家への評価の違いについて Part 6

※要するに社会主義系の国々では、言論や報道の自由が大きく縛られすぎていて、本当は多くの人々が知っておいても良さそうなことが全く知らされていなかったり、政治家の権威が多少持ち上げられすぎているようなところが問題になっているのではないか、と思われるのですが、それでは民主主義の国々はどうなのか、というと、今度は逆に言論や報道の自由が多少行きすぎていて、昨今のフェイクニュースなどのように、はっきり言ってしまうと別に多くの人々が全く知る必要もないようなセンセーショナルな情報が、あまりにも大きく伝えられすぎていたり、また政治家を始めとするような有名人をひどく中傷したり、まるで完全な馬鹿者や悪者扱いするような情報が多少多くなりすぎているようなところが問題になっているのではないか、ということなのです。

※そうすると社会主義系の国々では、できるものに関しては、もう少し情報をオープンにしてゆくことが大切になるのでしょうが、逆に民主主義の国々では、最近はテレビや新聞ばかりでなく、コンピューターや携帯電話のインターネットなども通して、本当に際限なく、たくさんの情報を見聞きしなくてはならないような時代になってきているので、それゆえ、あまりにも自分の感情を大きく逆立てるようなニュースは、あえて時間や機会を絞って見聞きするようにしたり、また情報の内容によっては、少し時間をとって、自分なりになるべく正しい情報をしっかり調べて、何か見聞きするたびに大きく一喜一憂しなくても済むように学び直すような習慣を持つことが、とても大事になってくるのではないか、というように思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2024年7月20日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 健康、医療 / 政治 / 教育 / 瞑想 / 知恵、正しさ / 社会、文化

民主主義の国々の政治家への評価と、社会主義の国々の政治家への評価の違いについて Part 5

 こうした現在までの世界の政治や社会の状況を見てゆくと、よく民主主義の国々では、社会主義や共産主義、あるいは権威主義の国々では、言論や報道の自由が制限されていることが問題視されることが多いのですが、逆に民主主義の国々では、毎日の政治の報道が、「また政治家が変なことをやっているぞ!」「政治家は無能な人間だらけで、まともな仕事をしてないのではないか」「政治の世界には、何か裏があるのではないか」「政治家への良い評価よりも、間違いや失敗を大きく騒いだ方が世間の注目を浴びれるし、お金にもなる」などというような感じで、それぞれの政治家自身の普通の姿や、また、そうした政治家の人々が関わった政治的な判断や行動の成果についての冷静な正しい評価が、多少少なくなりすぎているようなところがあるのです。

 ですので、こうした意味では、一般に民主主義の国々では、言論の自由や、マスコミ報道の自由があることはよいものであるとされているのですが、しかし、あまりにも政治家や政府が無能呼ばわりされるような社会の空気になってきている場合には、もう少し冷静に客観的な立場に立って、「いや、よくよく冷静に考え直してみれば、今の政府の対応も、それほど悪くなかったのではないか」「これは確かにイマイチだったかもしれないが、あの政策はよかったのではないか」などというように、もう少しプラスの評価を持つようにしておいた方が、おそらく実際の政治的な評価としては、より正しいものに近づいてゆくことになるでしょうし、また、単純に自分自身の毎日の精神的な感覚としても、より楽になり、幸福感を感じて、生きてゆきやすくなるのではないか、というように私は考えております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2024年7月11日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済

民主主義の国々の政治家への評価と、社会主義の国々の政治家への評価の違いについて Part 4

 次には、最近はだんだん減ってゆきつつあるのですが、社会主義や共産主義、あるいは権威主義の国々では、いったいどのようなことが起きてきたのか、というと、「その時代には大絶賛され、偉大な政治家であるとされていたのだが、後から調べてみると、裏では、かなり大きな失敗を犯したり、とんでもない民衆の弾圧を行っていたようだ」「後から考え直してみると結局、ずっとマスコミは政府の統制を受けていたので、実際の社会の状況とは全く違うことを知らされていたようだ」「その時代には、本当に素晴らしい政治的な成果のように言われていたのだが、どうも実際には、とんでもない大失敗になっていたようだ」「後から調べてみると、裏では、結構大変な汚職や不正が行われていた」などというようなことも、結構多かったりしたようなのです。

 つまり、はっきり言ってしまうと、そうした国々では、政治に関しては、たいてい、いつも良いニュースしか流れてこないことが多いのですが、実際には民主主義の国々であれば、結構大変な大騒ぎになってしまうような政治や社会の実態が、単にかなり念入りに隠蔽されていただけだったりしたことも多かったようなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2024年7月9日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 政治 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済 / 軍事

民主主義の国々の政治家への評価と、社会主義の国々の政治家への評価の違いについて Part 3

 それでは、私たちが生きている現実の社会では、いったいどのようなことが起きてきたのか、というと、まずは民主主義の国々では、「ある政治家の発言が世間で大騒動になっていたのだが、よく聞いてみると、その政治家の発言の趣旨とは全く外れた、ちょっとした言葉の言い回しのあげ足取りのようなものだった」「政治家として活動していた時代には、散々批判ばかりされていた政治家であったが、後からよくよく冷静にその人物の政治的な実績を見直してみると、非常に素晴らしい政治的な成果をたくさん上げているだけでなく、後々まで非常に良い影響をもたらしているようだ」「その時代の野党の政治家は、与党の政治家を散々非難していたのだが、その後、いざ政権交代して野党から与党になると、ほぼ同じような問題を逆に追求されるようになってしまった」などというようなことも結構よくあったりするわけです(確かにその時代の世間の評判通りに、実際にとても問題が多い政治家であることもあるとは思いますが・・・)。

 つまり後から、よくよく冷静に調べ直してみると、「その時代のその状況において、できる政治家の政治的な判断や行動としては、極めて正しかったのではないか」と思われるような政治的な判断や行動をしていたとしても、民主主義の国々では、結構厳しく批判されたり、多くの人々に反対されるような状況になってしまうことも、時折あったようなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2024年7月6日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 政治 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済

民主主義の国々の政治家への評価と、社会主義の国々の政治家への評価の違いについて Part 2

 次にはそうした状況において、社会主義や共産主義や、あるいは権威主義の国々では、いったいどのような状況になるのかというと、みなさんもよくご存知のように、たいていそうした国々では、言論の自由はかなり制限されている上に、政府からの報道も、かなりコントロールされていることが多いので、「今回も我が国の政治家は、このような素晴らしい成果をあげられた」「我が国の政治家は、とても善良で、かっこいい素晴らしい人格の持ち主だ」「我が国の政治は世界一素晴らしく、海外からも絶賛されている」「最近起きた政治的な不祥事は、政治家本人ではなく、側近の◯◯が主犯だったらしい」などというような情報がたくさん伝えられてきたり、また情報の内容によっては、全く別の内容が伝えられてきたり、さらには、ほとんど全く伝えられてこなかったりすることもあるわけです。

 そうすると、はっきり言って、どんな性格の政治家が、どんな政治的な結果をもたらしていたとしても(私はみんながみんな、それほどひどい人物であるとは思わないのですが・・・)、「政治指導者は、絶対に素晴らしい偉大な人物なのだ」「政治の話は、絶対に良いことしか報道させないようにしておかないと・・・」「政治的な失敗は絶対になかったことにするし、また絶対に誰からも批判させないようにしておかないと・・・」などというような社会の状況になってゆくことが非常に多かったようなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2024年7月5日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 政治 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済 / 軍事

民主主義の国々の政治家への評価と、社会主義の国々の政治家への評価の違いについて Part 1

 今回から民主主義の国々での政治家への評価と、社会主義や共産主義、あるいは、現在は権威主義とも呼ばれているような国々の政治家への評価では、いったいどのような違いが生じてゆきやすいのか、ということについて、少しだけ述べてみたいと思います。

 ここでは例として、民主主義の国々と、それから社会主義や共産主義、あるいは権威主義の国々の両方の国々において、ほぼ同じような性格や能力の政治家が、ほぼ同じような政治的な行動をして、そして、ほぼ同じような政治的な業績を上げたような状況を考えてみたいと思います。

 たいてい、そうした状況において、民主主義の国々と、それから社会主義や共産主義、あるいは権威主義の国々では、いったいどのような違いが生じるのか、というと、まずは民主主義の国々では、言論や表現の自由が保障されていることが多いので、たいてい、どんなに善良な政治家が、どんなに素晴らしい政治的な業績を上げていたとしても、様々なマスコミや個人は、「ああ大変だ。こんな大問題が起きているようだ」「これは本当は何か裏に隠し事があって、間違いを犯しているからではないのか」「あの人は、表面ではああ話しているが、裏では、こんなことをしているらしい・・・」などというような情報をたくさん伝えてくるようになりがちなところがあるわけです。

 それゆえ、はっきり言ってしまうと、どんなに善良な政治家が、どんなに素晴らしい政治的な成果をたくさん上げていたとしても、おそらく多くの人々の感覚としては、「ああ、なんか、あんな政治家がいて、いろいろやっているんだな」「また、あんな失策をしてしまったらしいぞ」「最初はとても期待していたが、なんか、だんだん全然ダメな気がしてきたな・・・」などというような感想を持つようになってゆくことが多いのではないか、というように思われます。

※わりとずっと良いイメージのままの政治家もいれば、また逆に本当にダメな政治家であることもありますが、多くの人々のよくあるイメージの変化としては、そうした状況が多いのではないでしょうか。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2024年7月4日 9:03 PM, おすすめ記事 / 人生観、世界観 / 政治 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済 / 軍事

政治家の活動資金や収入や待遇などについて Part 8

※立法府(国会)の議員への政治的な評価と、行政府の首相や大臣などへの政治的な評価の違いについて Part 2

 もう少しわかりやすく説明すると例えば、これが大統領制の国の場合には、大統領や知事といった行政の仕事に就いている人々への政治的な評価と、議会の議員の人々への政治的な評価は、それなりにきっちりと分けて、考えられるようなところがあるのですが、しかし、それが現在の日本のような議員内閣制の国の場合には、国会の議員の人々への政治的な評価と、首相や大臣などといった様々な省庁の行政に関わっている人々への政治的な評価が、常に直接関係あるものもないものも、すぐにごちゃ混ぜになって、なんだか全部良かったり、悪かったりするようなイメージになってゆきやすいようなところがあるのです(首相や大臣といった行政府の主な顔ぶれと、議員の主な顔ぶれが同じであることが多いので、仕方がないようなところもありますが・・・)。

 もう少し具体的に言うと、現在、多くの人々のイメージとしては、野党の政治家の方が正しくて、自民党の政治家はみんなダメなイメージになってしまっていることが多いと思うのですが、例えば、「今回のような裏金騒動にはいっさい関わらずに、一大臣としての政治家の仕事をきっちりやって、成果を上げ続けていた人は、それなりにきっちりと評価すべきなのではないか」というような視点や、「確かに一見、与党の議員であっても、野党の議員であっても、みんな同じ立場の議員に見えるかもしれないが、実際に毎日、行政の仕事に直接関わっている与党の議員が置かれている立場と、そうではなく行政の仕事にはほとんど関らずに、主に議会での討論の優劣に徹していればよい野党の議員が置かれている立場を、本当に何でもかんでも同じように扱ってよいのか」というような視点で考え直してみることも、とても大事なことなのではないか、ということです。

 ですので何度も述べますが、現在の日本のような政治情勢の場合、大多数の国民が納得できるような、政治家としての反省やけじめや政治改革のようなものを行うことは、とても大事だとは思うのですが、しかし政治家への評価としては、派閥や議員の不当な会計処理の問題と、首相や大臣などとして関わった様々な省庁での行政府の運営手腕とでは、わりときっちり分けて、政治的な評価をするようにしておかないと、今後も、いろいろな問題が起き続けてゆくようになるのではないか、というように私は考えております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2024年6月29日 9:04 PM, 人生観、世界観 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済

政治家の活動資金や収入や待遇などについて Part 7

※立法府(国会)の議員への政治的な評価と、行政府の首相や大臣などへの政治的な評価の違いについて Part 1

 ここ半年以上、国会周辺では、「裏金議員は、いったい何をやっていたんだ」「どうしてこんなひどい裏金工作をやっていたんだ」などというような自民党政権の追及がずっと行われ続けていたので、おそらく、こうした政治のニュースをいつも見聞きしてきた多くの人々の感覚としては、「自民党政権は裏金で腐敗している」「自民党政権は、何も良いことをしなかった無能な政治家の集まりだ」などというようなイメージを持っている人が、かなり多くなってきているのではないか、と思われます。

 確かにきっちりした会計処理を行なっていなかった自民党の派閥や議員には、それなりのきっちりした反省をしたり、けじめをつけてもらったり、今後の再発防止に向けた政治改革をしっかり行なってもらうことは、とても大事なのではないか、と私も感じています。

 しかし、こうした現在のような日本の政治情勢であっても、先ほど述べたような立法府である国会の議員の立場と、行政府である様々な省庁における首相や大臣などの立場の違いの観点から見ると少し違ってきて、要するに現在の日本の多くの人々の感覚としては、自民党政権は、裏金で完全に腐敗していて、まるで何の良い仕事もしてこなかったかのようなイメージを持っていることが多いと思うのですが、しかし一方では、首相や大臣などといった行政府の様々な役職に就いて行う自民党政権の仕事としては、国内外の様々な問題に対して、特に法律に違反することもなく、かなりきっちりと着実に大きな成果を上げ続けてきたようなところもあるわけです。

 つまり現在の自民党政権では、様々な派閥や、それに関わっていた議員の人々の会計処理に関しては、かなり大きな問題を起こしてしまったことは、確かに事実であるのですが、その一方で、首相や大臣などとして関わってきた様々な行政府の仕事に関しては、特に大きなミスもなく、わりときっちりと着実に大きな成果を上げ続けていたようなところもあった、というような側面もあったわけです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2024年6月29日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済

政治家の活動資金や収入や待遇などについて Part 6

※現在の自民党の裏金騒動について

 現在、日本の自民党政権は、裏金騒動によって、国民からの信用をかなり大きく失うような状況になってしまっているのですが、そうした裏金疑惑に関わった政治家の人々を見ると、「大金を横領して、私腹を肥やした」「海外に高価な別荘やヨットなどの不当な資産を手に入れた」などというようなタイプの非常に悪質なものではなく(確かに一昔前の政治の腐敗は凄かったと思いますが・・・)、どちらかと言うと法律的、会計監査的にはダメであったが、長年の政治的な慣行として、いつの間にか、すっかり常態化してしまっていたことが突然表沙汰になったために、あまり深く事情も理解していなかった大勢の議員が巻き込まれるような形で大騒ぎになってしまった、というような状況であったようです。

 ですので現在のような政治状況の場合には、国民がある程度、きっちりと納得できるような反省やけじめや政治改革のようなものは、どうしても必要になるとは思うのですが、しかし、どちらかと言うと、それよりかは現在の日本は、国内外共に非常に大変困難な時期に当たっているので、大多数の国民の利益としては、現在の自民党政権には、なるべく政治の世界を混乱させずに、現在の政治的、社会的な課題に対して、できるだけ最善の対応をしっかりとし続けていってもらうことの方がとても大事になるのではないか、というように私は考えております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2024年6月25日 9:03 PM, 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済