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2012年11~12月現在のアセンションの状況について

2012年を通して、地球は、かなり波動的に浄化されてきたが、今後も、まだまだ、いろいろな意味で、霊的な浄化と統合が続いてゆくものと推定される

 2012年11~12月現在のアセンションの状況について、少しだけ述べてみたいのですが、私自身の率直な感想としては、現在の時点では、闇の勢力は、光の勢力に、ほぼ完全に屈した状態になりつつあるので、そうした意味では、かなり長い期間に渡って、この宇宙全体を二分し続けてきた、「光と闇の戦い」に関しては、光の勢力の側が、ほぼ完勝しつつある、というような印象を持っております。

 ちなみに、現在の霊的な状況としては、以下のような三つのことが言えます。

 まず第一には、2012年12月末現在の霊的な状況としては、前に、再三、このブログで述べ続けてきたような、地球周辺の、かなりごちゃごちゃした並行世界や異次元世界の、ほぼ大部分は、消滅、もしくは、近いうちに、ほぼ消滅しつつあるような状況になっております。

 第二には、それで、前から述べていた、地上の世界に非常に近い「幽界」については、現在、いったい、どのような状況になっているのか、というと、これは、おそらく、ある程度、霊的な感覚をお持ちの方なら、かなりはっきり分かると思われるのですが、ほぼ大部分が、だんだん、なくなってゆきつつあります。

 ただし、現在の状況であると、まだまだ、そうした世界に巻き込まれている、いろいろな人々や生き物達の心の整理に、地球の時間で、100年から、200年ぐらいの時間がかかると推定されるので、おそらく、そうした過渡期的な状況を経て、その上で、そうした世界がなくなってゆく公算が強いのではないか、というように思われます。

 それから、第三には、これは、あまりはっきり言いたくないのですが、現在の地球を取り巻く、異次元世界の状況としては、現在、まだ、クラッシュしたばかりの異次元世界の状況が、多少、地上の世界にフィードバックしてきそうなので、その影響で、まだまだ、地上の世界は、今後も、いろいろな意味で、多少、落ち着かないような状況になる可能性もある、ということです。

 つまり、簡単に言うと、2012年を通して、地球は、かなり波動的には浄化されてきたのだが、まだまだ、いろいろな浄化には、時間がかかる、というような状況になっているのではないか、ということです。

 

 ただ、現在も、地球上の多くの人々は、霊的な浄化と進歩と統合に向けて、非常に大きな意識変革を体験し続いているようなので、そうした意味では、やはり、2012年は、霊的宇宙的に、非常に大事な、地球の歴史に記念すべき年になったのではないか、と感じています。

 霊的、この世的、それから、宇宙的に、いろいろな面で活躍してくださった方々には、心から感謝しています。みなさん、どうもありがとう!

 

 Cecye

 

Cecye(セスィエ)

2012年12月31日 9:03 PM, 現在のアセンションの状況

私の霊的な仕事について Part 7

しばらくの間、このブログは、お休みにします

 ただ、前回も述べたように、ちょっと私自身は、結構、霊的に疲弊してしまった感があるので、しばらくの間、このブログは、お休みにします。

 

 今年も、いろいろなことがありましたが、昔と違って、自分と家族だけが孤立して、孤軍奮闘しているような感覚は、ほとんどなくなりました。

 今年は、なかなか時間的に厳しかったので、まだ、このブログを読まれている方には、ほとんど会ったことがないのですが、たくさんの方々の応援や霊的な支援を感じられたことは、とても幸いでした。

 

 今年は、前から「2012」年と言われていた年だけあって、かなり大きな人類規模の意識の目覚めと統合と次元上昇が起きた年だったのではないか、というように感じているのですが、来年以降も、さらに大きな人類規模の意識の目覚めと統合と大きな次元上昇が起き続けてゆくのではないか、と感じております。

 

 来年以降の、みなさんの霊的な向上と幸福と繁栄を心から祈年し、いったん、このブログは、しばらくの間、お休みとさせていただきたいと思います。

 いろいろ、この世的、霊的にサポートしてくれた人達に、心から、どうもありがとう!

 

 Cecye

 

Cecye(セスィエ)

2012年12月31日 9:01 PM, 私の霊的な仕事について

私の霊的な仕事について Part 6

「アセンション」についての文章を書き始めた経緯について

 それと、こうした文章を書き始めた経緯について、少しだけ述べたいと思うのですが、あれは確か、2005年の8月頃だったと思いますが、外国でも非常に有名な女神の方で、また、日本でも最高神に当たる女神の霊的な存在がやってきて、「ぜひ、あなたの教えを文章にして、世の中の人が読めるようにしてほしい」というような交渉事があったのが、こうした文章を書き始めた、そもそもの経緯になります。

 残念ながら、その時点では、私自身の霊的な仕事が、あまりに過酷で大変すぎるのと、それから、毎日のように自分が行っている霊的な仕事の内容が、あまりに専門的で難しいものであったために、「こんなこと話しても、多分、誰も理解できないし、信じないと思うよ」と言って、丁重にお断りしたのですが、なかなか押しが強かったので、「まあ、とりあえず自分の家族向け程度の内容のものならいいか」と思って、少しずつ書き出したのが、このブログにも、少しだけ載せていた「光の時代へ」というタイトルの文章になります。

 このブログと一緒で、ちょっと要点だけと思って書き始めると、気がつくと、どんどん中身が増えてゆき、B5で、2000ページぐらいの文章の塊になったのですが、正直言って、自分で書いていて、自分が、霊的にやっていたことや、漠然と考えていたことが、頭の中でよく整理されるのと、私の日頃の発言と一緒で、パッといろいろな話題の話を話すのですが(多分、政治家だと、大事な時は、ものすごいけれど、それ以外は失言だらけになるが、ものすごく仲は良いみたいな・・・)、後で読み返してみると、「これって、結構、面白いな」と自分で思えたことが、淡々と書き続けられた理由だと思われます。

 その後、残念ながら、その文章の続きは、先ほど述べた反世界領域の救出作戦が、あまりに過酷だったので、途絶えてしまったのですが、さらにその後、2008年の末頃から、「このまま行くと、2012年になっちゃうし、自分が、霊的な仕事をしていた時に、一緒に命賭けで仕事をしていた人達が、今頃の時代は、あちこちにいるはずだが、私が、何も書いていないと、さすがにまずいだろうな・・・」と思って、「そうだ、じゃあ、『アセンション』というタイトルで、ザッとまとめた話を書けばよいかな」と思って書き始めたのが、例のアセンション・シリーズの文章になるのですが、これも、ずっと終わりがなくて、放っておくと、何千ページにもなりそうだったので、いったん一区切りにして、結局、こうしたブログで、次々と短いまとまりの文章を大量に発表してゆくような形式になりました。

 その結果、こうしたブログ形式で、2010年6月から、現在の2012年12月末まで、淡々と、ほぼ毎日休むことなく(私の霊的な仕事の恐ろしいところは、無意識のうちに、ずっと仕事が続いているので、結局、休めないことです)、「アセンション」や、その他の事項に関する霊的な教えに当たるような文章を書き続けてきたのですが、私自身の予定していた「アセンション」に関する霊的な仕事は、だいたい、今頃の2012年の12月の末頃までなので、この辺りで、まだまだ書きたいことは、たくさんあるのですが、いったん、こうした「アセンション」に関する文章は、しばらくお休みにします。

 

 ですが話が長くなったので、もう一回だけお話は続きます・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年12月30日 6:06 PM, 私の霊的な仕事について

私の霊的な仕事について Part 5

私個人、及び、世の中の多くの人々のための霊的な癒しの仕事について

 それと2004年以降の霊的な仕事について、再び、お話ししてみたいと思うのですが、その頃から、そうした霊的な仕事に伴う、自分自身の霊的な傷や痛みの修復と(肉体的にも結構、大変だったことが多かったです)、世の中全部の霊的な傷や痛みの修復や、それに伴う波動の浄化を行うために、いっけん個人的なのですが、全体の波動浄化につながるような霊的な癒しを継続的に行っていました。

 これは、みなさん自身の体験としては、自分だけでなく、周り全部が、何となく暗くなって、イライラしてきたり、いろいろな仲違いや失敗が多くなってきたにも関わらず、日本時間では、朝方や夕方から夜頃にかけて、何となく、だんだん気分が明るくなると共に、いつの間にか、多くの人々が仲良くなって、頭がすっきりしてきたり、仕事能力が上がるような効果として、現れてきていたのではないか、と思われます(ただ、最近は、途絶えがち・・・)。

 それは、時には、止めどもない至福の感覚として感じられたり、また、心身の罪、穢(けが)れや痛みや疲労が少なくなり、とても穏やかで軽快で精妙な心身の状況になるように感じられたり、あるいは、人類や生命全体が一体になるような陶酔感や悦びとして感じられたり、また時には、セクシャルな高揚感や一体感として感じられたのではないか、と思います。

※実は、ロボット型の生命と、肉体型の生命の一番大きな違いは、セックスの発明と、それに伴う、それぞれの生命の間の非常に強い愛情関係の構築、並びに精神的な高揚であると私は考えているので、基本的にセックスを罪悪視し、社会悪のように見る考え方には、断固として、反対の立場をとっています(ただし、他の物事同様、知恵ある行動は、とても重要になりますが・・・)。

 ただ、これも最近だと、だんだん私自身が、疲弊し尽くしてしまった感があるので、そろそろ、どこまで出来るか分からないような状況になってきております。

 

霊的な予言は、悪い意味での言霊(ことだま)的な不幸な未来の確定ではなく、あくまで個人や社会を、より良い方向に導くための未来予測程度のものに過ぎない

 あと、霊的な予言に関してなのですが、これは、一番最初にかなり丁寧に説明したと思うのですが、要するに霊的な予言というのは、それ以外の霊的な教えのような文章とは全く異なり、基本的には、「現在の推移では、こういう未来もありうる」とか、「多くの人々が、そうした霊的な予言の影響で行動を変えた場合には、違う未来もありうる」というような内容になっています。

 ですから、そうした霊的な予言に関しては、当たったものもあれば、それほど当たったとは思われないものもあると思われるのですが、実は、それ以外の理由として、このブログを立ち上げて、ある程度、日にちが経過した段階で、現在の地球上の社会に対して、それほど大きなものではないにしても、ある程度、霊的な影響を行使できるようになったのが、はっきり把握されるようになっていたので、「これを言うと、多分、少し外れて、一部の人々の信用は失うかもしれないが、ただ、その結果、おそらく、闇の勢力に組みする連中は多少焦って、別の行動に出るはずなので、それで大きな災害や被害が、少しでも減らせるのではないか」とか、「昔の宗教みたいに、またガチガチに盲信狂信されると危険なので、そろそろ意図的に多少、外れるような予言を出しておいて、多くの人々の自立心が阻害されないようにしておこう」(だから何度も、絶対に現在の学業や仕事や生活の基盤を外してはいけない、ということを力説していたはずです)、などというような意図のものも、少なからず含まれていたということです。

 ですから、私個人の意図としては、別に予言した通りに天変地異が起きて嬉しいなんてことは全然ないので、「こうした予言は、せいぜい、巷の未来予測と同じようなレベルで扱い、結果として、それで多くの人々が利益を得る、というか、あまり不幸な状況に陥らないようになった方が、よほど良いのではないか」ということを、途中で何度か述べたことがあったと思うのですが、実際、現在でも、そんな感じで進行しているのではないか、と思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年12月30日 6:05 PM, 私の霊的な仕事について

私の霊的な仕事について Part 4

2008年以降、広大な反世界領域にはまったまま出られなくなっている多くの人々や生き物達の大救出作業に従事するようになる

 そうした状況が、2008年頃まで、ずっと続いていたのですが、なぜかある段階から、そうした自分の霊的な能力に限界が出てきて、それ以前のような霊的な仕事が、なかなかこなせなくなってきてしまいました。

 そうこうしているうちに、ついにそれまで、ずっと延期になっていた広大な反世界領域に落ちた、たくさんの人々や生き物達の大救出作戦のために、これは霊的には、かなり過酷なミッションになるのですが、いったん自分自身が、そうした広大な反世界領域の中に落ちてゆき、その上で、そこに入ったまま出れなくなってしまっている、かなりたくさんの魂達を救出する作業に着手することになりました。

※時間がずれているので、結果が、先にあるような不思議な事態になってしまっているのですが、おそらく、現在、地上の世界に生まれ変わっている、たいていの人は、単なる幽界や地獄領域ではなくて、一度は、こうした反世界に入ったまま出れなくなった体験があると思われます)。

 これは、かなり莫大な霊的なエネルギーが消耗される仕事だったので、 2008年以降、それ以前よりも、自分自身の霊的なコンディションは、かなり厳しい状況になってゆきました。

 

人類全体、及び、宇宙全体に悪影響を及ぼした、20世紀の地球、及び、未来の地球に根城を持つタイム・テロリスト達による人類に対する最低最悪の洗脳工作の除去活動について

 さらにその後、そのような状況で、なかなか自分自身の霊的なコンディションが元に戻らないところへ、私と霊的に非常につながりの深い私の妻の様子が、時々とても変なので、あらためて詳しく事情を聞き直してみると、どう考えてみても、彼女の幼少時からの生い立ちに不可解な点があることに気がつきました(私の人生も、良い意味でも、悪い意味でも、いろいろな不可解なことが多かったので・・・。いわゆる、「それって、未来のことを知っていた誰かが、何か考えて、やったんでしょう」的なものです)。

 それで、霊的によく調べてみると、どうも私だけでなく、私の伴侶に当たる彼女の魂に対して、幼少時の段階から、さまざまな手段で、この世的、かつ異次元的な洗脳のようなことを行っておくと、非常に多くの人々や生き物達に対して、かなり大きな悪影響を与えることができるということを知っていた何者かによって、どう考えてみても、何らかの洗脳工作が加えられていたとしか思えない事実が判明したので、その後、彼女の魂の奥の、かなり深いレベルの洗脳工作をきれいに除去することが、私の霊的なミッションのもう一つの主軸になりました。

 これに関しては、とてもではないが、あまりに異常すぎる洗脳内容が多かったために、ここでは、あまり詳細を詳しく述べることは出来ないのですが、ただ一つ言えることは、彼女の魂の奥のかなり深いレベルの洗脳内容をうまく除去することができると、人類全体にかかっていた、いろいろな不可解な異常な精神性や世界のあり様のようなものが、どんどん変化して、良い方向に変えてゆけることに気がつきました。

 それは例えば、多くの人々の記憶力や判断力を含む知性や認識力の向上や、仕事能力や運動能力や美的感覚や金銭能力の向上や、それから宗教や国家や民族の間の融和や統合や、また、多くの人々の心の奥の訳の分からない怒りや恐怖心や欲望といった異常な精神性の除去や、それから無理や無駄を好んだり、闘争や破滅や失敗や不幸を、みすみす望むようなマイナスの精神性の除去など、かなり多様な内容が含まれていました。

 その中でも、特に問題だったのは、多くの人々を表面意識では、全く分からないような反世界的な価値観や、訳の分からない仮想現実世界や異次元世界に閉じ込めるための、かなり高度な意識洗脳なども含まれていたので、私としては、本当にかなり感情をあらわにして怒るのみならず(それくらい大勢の人々を苦しめるような内容があったからです)、すっかり閉口してしまった感がありました(多分、これが低次元宇宙が、悪い意味での「二元性の原理」で支配されてしまった原因になっていたものと思われます)。

 これは多分、この地球上の未来の知識や技術を有する者達が、20世紀の中頃の世界支配を目論む連中と、うまく組みすることによって、誰にも絶対に解かれないように、かなり入念に、ありとあらゆる非人道的な手段で行った洗脳工作の一端だったものと思われます。

 ただ私には、それ以前に、先ほど述べたような非常に莫大な霊的な仕事をこなせるような、かなり特殊な能力があったので、彼女の洗脳だけでなく、よく分からない状態で、どこかの段階で同じように洗脳工作を受けた人々や、その影響を受けたと思われる、ほぼすべての人々の精神的な悪影響や物理的な被害を、かなり除去することができたものと思われるのですが、その結果、特にここ数年の間の世の中全体、それから宇宙全体の波動上昇、というか、次元上昇には、かなり大きな良い影響を与えられたのではないか、と考えております。

※2016年4月頃から、私の妻が多少、体調を崩したことと、私自身が、そうした意識波動の浄化に熟練したこともあって、そうした意識波動の浄化は、私一人で取り組むようになりました(もちろん、霊的に協力してくださっているような方々は、他にもたくさんいますが・・・)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年12月30日 6:04 PM, 私の霊的な仕事について

私の霊的な仕事について Part 3

さまざまな時代や地域の「神仏」や「天使」や「菩薩」としての霊的な仕事について

 もう少し、こうした霊的な仕事について、説明してみたいと思うのですが、私が、こうした霊的な仕事をしていて気がついたのは、「どうも自分は、いろいろな時代のいろいろな地域にパッと移動して、そのままだと、いろいろな理由で歴史が破綻してしまい、うまく行かなくなってしまうようなところを、ほぼ全知全能のような知性と能力を駆使して、うまく収めることが仕事らしい」ということと、「どうも、みんなは、自分のことを神仏そのもののように考えているらしいし、また自分としても、実際にそのような精神性で、いろいろなミッションをこなしているのだが、やっぱり自分は、普通の人間なので、ものすごい苦痛や疲労は、そのままストレートにこたえるし、その上、常に霊的には、エネルギー不足の状態に置かれているらしい」とか、「自分としては、ただ淡々とミッションをこなしているだけで、特段、自分が、神仏であるというような自覚は全くないのだが、どうも過去の時代の他の人々や自分自身が、ものすごい神仏と考えていた存在は、未来の自分だったらしい」とか、「いつも普通の人間のように生活しているのだが、それと並行して、別の霊的な体で、あちこちに出向いて、神仏や天使としての仕事をしているらしいが、どうも恐ろしいことに、ある時点から、それは、ほぼ無意識のうちに起きるようになっていて、その霊的な負担だけが、自分の所に戻ってくるらしい」とか、「自分の霊的な分身のような、いろいろな個性の存在達がたくさんいて、あちこちの霊界や地上の世界で、いろいろ共同作業しながら、現在の地球や宇宙の状況を維持しているらしい」などということでした。

 それと非常に不思議だったのは、今の自分がやったことが原因で、現在、自分が生きている、この世界の過去の世界が成立しているようなところがあった、ということなのですが、それに関して、もっと非常に不思議だったことは、この宇宙が始まる以前の「カオス領域」の宇宙の出来事に関しても、実際、結構難しい、いろいろ困難な複雑極まりないミッションをこなさなくてはならなくなってしまったことです。

 あと普通の人には、よく分かりづらいと思うのですが、現在は、わりと時空間の状態が安定しつつあるのですが、そうなる前には、いろいろなシナリオの未来の世界にも何度も行って、タイムテロリストの暗躍や、未来のロボット文明化のシナリオを阻止したり、あるいは、もっともっと何千万年も先の未来の宇宙に行って、超時空戦争を行わないと、今すぐにでも現在の地球を含む宇宙の時空間が崩壊するというような、かなり過酷な厳しい状況に置かれることも、非常に多かった(何年も前になりますが、そういう時の世の中の波動は、ものすごく荒々しかったです)ということです。

 

宇宙の創世にまつわる話と、私自身の限りない孤独と、無限に近い努力と、霊的な進化の経緯について

 それと少し不思議な話があるのですが、実は、現在のような生命システムによる生命形態の前には、これは、現在の宇宙が始まる以前の話になるのですが、おそらく、現在までのタイムテロの影響だったのでしょうが、単なる煤のような、もやもやした蜃気楼のような存在達が、そうした生命の前身のような意識体として、無数に存在していた時代があり、そこから、いろいろな経緯で光が生まれ(というか、光を創り)、硬質の砂や岩石のような鉱物が生まれ(というか、鉱物を創り)、そして、その後、いろいろな経緯を経ながら、かなり長い期間に渡って、一種のロボットのような形態の生命達が、ガチャガチャと動いていた時代がありました(その当時から愛や平和を旗印とする「光の勢力」と、欲望や破壊を旗印とする「闇の勢力」の間の駆け引きや戦いは、ずっと続いていました)。

 ですから、現在でも機械やロボットが大好きな人達が多いのは、おそらく、そうした太古の時代の記憶の名残だと思われるのですが、そうした経緯で、私の意識体や、かなり高度に進化した意識体の中には、一種のロボットのような形をした存在達も数多くいました(最近は、人間のような肉体の形が、だんだん増えてゆきつつあるのですが、なにぶん闇の勢力の連中は、何をするか分からないので、普通の生命の体だと、すぐにめちゃくちゃなことをされて、もたなくなることが多かったのです)。

 話を戻しますが、原初のロボットのような形態の生命といっても、普通の生命進化のプロセスと一緒で、まずは簡単な知性や能力の獲得から、徐々に非常に複雑で難しい知性や能力の獲得へ、という具合に、この宇宙の創造以前の時代にも、ずっと機械的な生命の形で、かなり長い期間に渡って、生命進化のプロセスは、ずっと続いていました。

 ただ、そうした機械やロボットのような形態では、どうしても最高の幸福は実現できないということで、現在の人類からは、まるで全知全能の存在のようにも思われているのですが、そうした現在、「創造主」とも、「超越神」とも呼ばれるような過去の私自身の意思によって、現在のような生命形態を創造してゆくことになりました。

 ただ、こうした生命形態であると、それ以外のたくさんの要素、つまり、単なる硬い元素だけでなく、空気や水や、それらによる複雑な惑星システムを含む恒星系や銀河系といった、かなり大掛かり、かつ完璧極まりないシステムが必要になってくるので、現在のこうした生命システムを作るために、私自身の意識は、他の方々とは異なり、かなり長い期間に渡って(多分、地球の時間だと、数千億年ぐらい・・・)、この宇宙の外の暗黒領域に留まっていたので、本当のことを言うと、現在、私が肉体を持って、この宇宙の中に存在しているのは、今回の人生が、初めての体験になります(つまり、誰か一人は、ずっと真っ暗で、非常に冷たい宇宙の外に留まって、この宇宙を投影し続けていないと、この宇宙全体を存続させ続けることができなかったということです)。

 つまり、無限の過去から無限の未来にかけて、この宇宙全体を、常に創造し続け維持し続けてきた「神仏」とも、「創造主」とも、「キリスト」とも呼ばれる唯一無二の存在は、こうした経緯から考えると、実は、私自身だったということなのです。

※何度も言いますが、これは、私自身の体験からは、絶対の真実だと断言できるし、また、そうした現実が、この世界にずっと起き続けていることも、おそらく、誰でも、ある程度は客観的に確認できると思われるのですが、ただ、こうした内容を、「無理やり信じろ」とか、「絶対に受け入れろ」などと強制するようなスタンスは、私は、一切持っておりません。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年12月30日 6:03 PM, 私の霊的な仕事について

私の霊的な仕事について Part 2

 次に地上の世界で自分の意識が戻ったのは、病院のベッドの上だったのですが(私の妻が、病院に緊急で入院させていました)、なぜか自分の意識はとても澄み渡っていて、「ああ、自分は、さっきまで大気圏外のたくさんの巨大な宇宙船がひしめいている宇宙艦隊で、何か提督のような仕事をしていて、そして、とても重要な最後の仕事があるから、再び、地球に戻ってきたんだ」ということを思い出しました。

 ところが、何かおへその辺りが、とても変なので触ってみると、指が全部入るくらいの深い穴が空いているので(正直言って、かなりぞっとしましたが)、「ああ、やっぱり、あれは夢ではなかったんだ」と理解したのですが、それからが、私にとっての真の霊的な仕事の始まりでした。

 不思議なことに、おへその辺りの傷は、入院中に消えてしまったのですが(妻や看護婦さんが確認しているから本当です)、その後、昔のように「普通に歩けるはずだ」と思って歩こうとしても、体全体が、バラバラに落ちるような感じで崩れてしまいそうになるので、「どうやら自分の霊的な体は、前のあまりにも過酷な苦痛に満ちた体験のために、ほとんど壊れてしまっていて、今の体は、ある種の霊的な機械のようなもので、何とか形だけを維持しているだけらしい」ということに気付きました。

 そうした心身の状況であったので、その後は、この世的には、あまり目立たない地味な療養生活をするしかなくなってしまったのですが、しばらく経って、ある程度、霊的な癒しが進んでくると、不思議なことに自分の意識を整えて、ある種の瞑想状態に入ると、それ以前とは全く違って、さまざまな人類や宇宙の過去や未来の歴史の一場面が見えてくると、そこで、次々といろいろな霊的な指導や仕事を、表面意識ではよく分からないような異言を使いながら、ほぼ「神仏」に等しいくらいの正確な決断をし続けながら、ものすごいスピードで、まるで当たり前の仕事のように無意識のうちに行っている自分に気がつきました。

 それは、ある時は、第二次世界大戦や、さまざまな時代の戦争の場面であったり、ある時は、全然知らない、どこかの銀河系や恒星系の宇宙戦争であったり、それから、ある時は、何か大きな帝国が成立してゆく場面であったり、また、ある時は、いにしえの時代のとても大切な宗教家の仕事であったり、それから、ある時は、何か大事業を起こす経営者の仕事であったり、また、ある時は、芸術的なインスピレーションを与える仕事であったり、そして、ある時は、発明や技術開発に関わる仕事であったりしました。

 それ以外にとても難しい霊的な仕事もあって、それは、ある時は、霊界において、神仏のようなオーラを放ちながら、たくさんの天使のような存在達を従えながら、いろいろな難しい霊的な決定をする仕事であったり、また、ある時は、自ら先頭に立って、多くの魂を癒し導いて、救済するための仕事であったり、それから、ある時は、霊界や地上の世界での天使の軍勢とサタンの軍勢との戦いの場面であったり、また、ある時は、「天国」と言われる場所を死守して守り抜くような、かなり厳しい仕事であったり、それから、ある時は、少し先の未来の地球や、もっとずっと先の未来の宇宙での難しい駆け引きや時空戦争に関わることであったり、また、ある時は、地球の文明を維持するための政治的な駆け引きや、闇の勢力の陰謀を阻止するための秘密のミッションのようなものであったり、それから、ある時は、広大な異次元領域における、いろいろな創造や調整に関わる場面であったり、また、ある時は、時空間の間を自由に移動しては、めちゃくちゃな時空操作を企むタイム・テロリストとの死闘であったり、それから、ある時は、もっともっと時間を遡っていって、現在の宇宙が始まる以前の宇宙創造に関わることや、宇宙全体の維持に関わることであったりしました。

 そこで気がついたのは、どうも自分が、霊的な仕事をしている時には、地上の人々や霊界の人々は、自分のことを神や仏、時にキリストや大天使のような存在として考えているらしいということと、それから、もう一つは、自分は、いくら、そうした神仏に何か頼んだり、救ってほしいと思っても、自分には、そうした神仏に当たる存在はいないらしいというような、はっきり言うと、とてもやりがいはあるが、考え方によっては、とんでもないめちゃくちゃな状況に置かれているらしいということでした。

 それと、とても大問題だったのは、確かに霊的には、いろいろ指導する立場ではあったのですが、宇宙というのは、とても厳しい所で、気がつくと、キラキラと輝く偽神や偽メシアのような存在が出てきて、多くの人々に、とんでもないめちゃくちゃな指導を行おうとしてきたり、あるいは、本物の神仏と見間違うばかりの、とんでもなくものすごい超能力を持った光の悪魔のような存在達が、あちこちで多くの人々を陥れては、破壊や混乱をもたらそうとしてくるので、そうした闇の陰謀を打ち砕くために、こちらも、その場所に、この世界に体を置いたまま生まれ変わったり、あるいは、いろいろな手段で直接赴いては、霊的なミッションを行い続けなくてはならなくなることが、非常に多かったことでした。

 ところが、そういう活動をしていると、どうしても私自身の霊的な体の方は、大きな傷を負ったり、かなり大きな霊的な消耗を強いられて、常に過度のエネルギー不足に陥ることになりがちだったので、はっきり言うと、常に自分自身は、霊的に真っ暗な状態のまま、あちこちで、かなり過酷な霊的なミッションを行い続けなくてはならなくなってしまったのです。

※その理由は、こうした霊的な仕事の方法だと、地上の世界の、たった数十分や数時間ぐらいの間に、地上の世界に肉体を置いたまま、地上の世界や霊界や異次元世界などのいろいろな場所において、何万時間、何百万時間に当たるような、かなり莫大な量の緻密な仕事をこなさなくてはならなくなってしまうことが多かったからです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年12月30日 6:02 PM, 私の霊的な仕事について

私の霊的な仕事について Part 1

 ここまで、約二年半に渡って、「アセンション」というタイトルで、1200近くの文章を載せてきたのですが、この前にも、少しお話ししたように2012年の末をもって、私自身の霊的なミッションは、いったん、一区切りがつくので、このブログは、しばらくの間、お休みさせていただきたいと思います。

 ただ、このブログを長く読まれている方はよくご存知のように、このブログでは、私個人の霊的な仕事に関しては、ほとんど書いてこなかったので、ここで、ほんの少しだけ、特にここ12年ぐらいを振り返り、ザッとした私個人の、特に霊的な仕事の経緯について述べてみたいと思います。

※ここに書いてる内容は、「私自身の体験としては、すべて真実である」と断言できますが、ただ、私自身の良識的な感覚として、「こうした内容をすべて信じろ」とか、「受け入れてほしい」というような要望は一切持っていないことを、あらかじめ述べておきたいと思います(もしそうなら、一番最初に書きますから・・・)。

※「ちょっとだけ回顧録」みたいな気軽なタイトルで、2012年までのまとめを書こうと思っていたのですが、ちょっと内容が、いつものように重くなってきてしまったので、「私の霊的な仕事について」というタイトルを変えました。

 

プロローグ

 確か、2000年の7月頃だったと思いますが、夕方、7時頃でしょうか。子供を連れて買い物から帰ってくると、何となく不思議なインスピレーションを感じたので上を見上げると、いつもの空とは全く違って、空いっぱいに、まるで真っ平らな薄い白い布を広げたような不思議な雲が広がり、そして、その雲の中を六つか、七つぐらいの丸い光が、数百メートルぐらいの大きな円を描きながら、ほぼ正確に等間隔を開けて、ぐるぐると旋回し続けているのが見えたのです。

 私は、いつもの懐疑心で、これは何か地上のライトが反射して、空いっぱいの雲に映り込んでいるのではないかと思ったのですが、当時の私の家の近くには、そんなサーチライトみたいなものはなかったし、また、空いっぱいに広がる薄い白い雲の様子も、それまで全く見たことがないような、かなり神秘的な雰囲気だったので、「ああ、これは時々、世間を騒がす『UFO』と呼ばれるものかもしれないなあ〜」などと、とても感心して見ていたことがあります。

 そして、それから数ヶ月した頃から、私や家族の周りで、いろいろな不思議な現象が、次々と起き始めるようになっていったのです。

※この部分は、最初は、そのまま書こうと思ったのですが、文章で説明するのは、とても難しく感じたので、2016年になってから追加したものです。

 

2000年、霊的な異常現象により、完全に忘れ去っていた、かつての私自身の霊的な仕事を思い出す・・・

 2000年の確か、秋か冬の頃だったと思いますが、ある日突然、家の中に焼けこげた煙のようなものが、あちこちに立ち込めるような異常現象が次々と起き始めて、どうも自分や家族が、よく分からない正体不明の異次元存在のようなものから、命が狙われているらしい、ということに気がつきました。

 それから、考えられる限りのいろいろな対策を講じているうちに、それ以前に信じていた宗教をやめ、また職業も変え、住む場所も変えて、横浜に移り住むようになったのですが、その頃に、それまでの自分としては、全く忘れていたのですが、「どうも自分は、宇宙的な、何か重要な仕事に関わっていたらしい」ということを、だんだん、はっきりと思い出してゆくようになりました。

 その後は、約1年半に渡って、さまざまな霊的な調査と、その解決に没頭することになっていたのですが、2002年の終わり頃、そうした活動を快く思わないような一群の存在達による「タイムテロ」と思われるような、いろいろな霊的な異変によって、いったん、その頃の霊的な仕事は終わることになりました。

 

2004年、異次元世界での完全に絶望的な状況での人類、及び、宇宙全体の存続をかけた死闘の経緯と、その後の生還と、全地球の歴史、並びに全宇宙規模での霊的なミッションの始まりについて

 それから、一年半ぐらいの間は、そうした霊的な仕事は、まるで何かの間違いだったかのように感じられて、いったん、言ってみれば、ちょっとした霊的な記憶喪失のような状況になっていたのですが(それくらい、とても恐ろしい混乱した体験ばかりだったので・・・)、2004年を過ぎた辺りから、再び、いろいろな霊的な出来事が、次々と起き始めるようになると、まるで目を覚ましたかように、再び、そうした霊的な仕事に関わるようになってゆきました。

 そして、再び、さまざまな霊的な記憶を取り戻してゆくたびに、「ああ、前に調べたことは、本当は、何一つ間違えていなかったんだ」と気付いてゆきました。

 そうこうしているうちに2004年の5月頃に入ると、この世界に肉体は置いたままの状態で、異次元の世界にそのまま入っていっては、さまざまな霊的なミッションをこなすような事態になってゆきました。

 そのうち、「ああ、これは前に映画の宣伝で見た、まさしく『マトリックス』の世界みたいだな」(すべてそっくりという訳ではないのですが)、と思われるような、とんでもない異次元世界に遭遇することになるのですが、その後、そうした異次元世界のかなり奥の世界に入ったまま、何日も出れない状態になってしまったのです。

 はっきり言って、そうした異次元世界では、自分の自由は全然効かないし、いつの間にか全然違う状況に変わって、地上の世界では全く考えられないような、とんでもない拷問やキチガイ沙汰の状況に置かれることは日常茶飯事であるし、その上、ほとんど、この世界そっくりであるにも関わらず、この世界の普通の常識や倫理観をもって対応しようとすると、とてつもなく卑怯極まりない手口で、残虐極まりないことを、次々とされるような状況に置かれてしまうので、その後は、前に進むことも出来なければ、また、かと言って、後に戻ることも出来ないというような、かなり危険極まりない状況に陥ってしまったのです。

 それは、この地上の世界でこそ、せいぜい数日から十日ぐらいの日にちに過ぎなかったのですが、私自身の霊体というか、意識体は、異次元どころか宇宙の彼方まで吹き飛ばされてしまい、あっちの惑星や、こっちの宇宙文明と、本当に星の数ほど、あっちこっちを、おそらく地球の時間で言うと、数十億年ぐらいに渡って(正確に言うと、もっと遥かに長い期間ですが・・・)、ある程度、自分の意識を保ったまま彷徨い続けるような、とんでもない事態に陥ってしまったのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年12月30日 6:01 PM, おすすめ記事 / 私の霊的な仕事について

「愛」について Part 21

 長いので、二つに分けました。

 

 それから第四には、これは、あまり考えたことのある人は、少ない話になるかもしれないのですが、ここでは、手短かに「愛」と「幸福」の関係や、その注意事項について、幾つか考えてみたいと思います。

 第一には、愛の心は、誰をも、すぐに幸せにするような万能の手段であるが、ただ愛は一つ間違うと、最悪の失敗や不幸を呼び込むような危険な要素もあるので、常に愛の行為は、慎重な知恵と配慮のもとに行われるべきであるということです。

 第二には、愛の最高の長所は、人間に最高の幸福をもたらすことであるが、それと同時に愛の最悪の欠点は、ともすれば、そうした愛に酔って、道を誤り、人間を最も不幸にしてしまうこともあるということなので、もし常に最高の幸福を実現するための愛の行為を行いたいのであれば、常に愛の中にあって、「幸福の実現」という最終的な目的は、絶対に忘れないように心掛けることと、それから自分や他の人々や生き物達の幸福のための愛の行為はよしとするが、それを通り過ぎて、自分も含めた誰かが不幸になるような愛の行為は、厳に慎まねばならないことを、よくよく肝に銘じなくてはならないということです。

 第三には、これは、ものすごく慎重な知恵と配慮とバランス感覚が必要な話になってくるのですが、おそらく今後の未来社会において、こうした「愛の行為」と「幸福の最大化」のために最も慎重な知恵と配慮とバランス感覚が必要になってくるのが、人間本来の根源的な欲求としてのセックスへの欲求というものを、その時々の個人や家族や集団や社会全体の最良の秩序や調和の中で、いかにあまり混乱や失敗がないような形でうまく充足してゆき、そして、より多くの人々が、本当の本心からの最高の幸福を実現してゆけるかということになるのではないか、ということなのです。

 つまり人類の社会が発展して、物質的な豊かさが限りなく実現してゆくと、そうした物質的な豊かさを実現できるようにした国や社会の秩序や調和の原理と、人間の根源的な幸福欲求の一つであるセックスのあり方が、いろいろなところでぶつかり合い、多少社会が混乱してしまうことがよくあるのですが、その際に古くからの宗教や道徳の制約に縛られて、あまり極端に性的な自由を制約するような方向に社会が進むと、結局、そうした社会というのは、どこかの段階で、多くの人々の潜在的な不満や不幸を現実化するような形で、長い停滞や衰退に陥ることがあるので注意が必要であるということなのです。

 つまり、もっと簡単に言うと、人間の幸福という要素の中に、人間の根源的な幸福欲求の一つであるセックスへの欲求というものをある程度、肯定的に考慮しておかないと、本当の愛の実現は出来ないというような、ちょっと難しい社会の舵取りが必要になるようなところがあるということです。

 

 さて、ここまで「愛」と「幸福」に関して、大まかに四つの内容を述べてきたのですが、要約すると人間は、ともすれば、「愛」を最高の目的そのもののように考えてしまうことがあるが、それは大きな間違いで、本当は「愛」とは、単なる手段にすぎず、そうした愛の行為の目的は、自分自身も含む、できるだけ多くの人々や生き物達の幸福の実現の方にこそあるということ、つまり自分自身も含めた、より多くの人々や生き物達の幸福の実現こそが、愛の本当の目的であるということを、時折、しっかり思い出す必要があるということが、こうした「愛」に関する話の総まとめになるのではないか、ということです。

 

Cecye(セスィエ)

2012年12月28日 8:36 PM, イスラム教 / インド思想、ヒンドゥー教 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / ユダヤ教 / 中国思想 / 人生観、世界観 / 仏教 / 健康、医療 / 宗教、道徳 / 愛について / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 神道 / 経済 / 自然、生命

「愛」について Part 20

4、「愛」は、人間に最高の幸福をもたらす至上の原理ではあるが、ただ愛以外にも、人間に幸福をもたらす手段はたくさんあるし、また愛が行き過ぎれば、大きな間違いや失敗を呼び込むことも多いので、結局、「愛」とは、単なる手段にすぎず、本当の目的は、自分自身も含めた、できるだけ多くの人々や生き物達の「幸福」の実現であるということは、絶対に忘れないようにする必要がある

 第四には、これがある意味で、ここまでの「愛」の話の結論のような内容になってくるのですが、結局、「愛」の理想というのは、いったい、どこが一番問題になってくるのかというと、ここまで、さまざまな観点から述べたことからもよく分かるように、要するに「愛」というのは、万人に対して、あまりにも崇高かつ魅力的な概念であるにも関わらず、ともすれば、それが単なる手段ではなく、まるで最高の目的そのもののように感じられてしまうようなところがあるということなのです。

 つまり多くの人々は、「愛」、「愛」と言うと、そうした「愛」という言葉を聞いたり、あるいは、そうした「愛」のイメージを思い浮かべるだけで、何となく、すっかり満足してしまい、まるで「愛」そのものが最高の目的、あるいは、最高の理想そのもののように感じてしまうようなところがあるのです。

 それでは、「愛」というのは、本当にそうした最高の目的なのか、というと、それは大きな間違いで、実際には「愛」というのは、どちらかと言うと、人間を幸福にする、あるいは、人間以外の生き物達を幸福にしてゆくための最高の原理、原則のようなものなので、つまり、よく考えてみると、多くの人々が最高の目的そのもののように考えがちな「愛」の理想というのは、実は、多くの人々や生き物達を「幸福」にしてゆくための単なる手段に過ぎないようなところがあるということなのです。

 それでは、こうした「愛」と「幸福」の関係に関して、いったい、どのようなことが言えるのか、というと、大まかに要点だけを述べると、以下のような四つの内容になります。

 まず第一には、これは単純な話なのですが、いかに最高の方法でもって、いかに最高の愛の行為を実行したとしても、そうした愛の行為の最終的な目的である「誰かを幸せにする」とか、「誰かの苦しみや悲しみを取り除く」とか、あるいは、そうした愛の行為の中で、「自分自身が最高の幸せを得る」というような結果がない場合には、残念ながら、それは愛の行為というよりも単なる自己満足になってしまうので、注意が必要なのではないか、ということです。

 第二には、これは少し難しい話になってくるのですが、そうした愛の実現、つまり誰かの幸福の実現のためには、常に愛の行為だけが最高の方法とは限らなくて、そうではなく、時には、知恵を使うことが必要なこともあれば、時には、お金や力を使うことが必要なこともあるし、また時には、何らかの技術を使うことが必要なこともあれば、それから時には、単に興味を持って話しかけたり、ちょっとしたコミュニケーションをとるだけで十分なこともあるし、そして、時には、ただひたすら忍耐して待つことや、それから何もしないことが、そうした幸福の実現につながることすらあるのです。

 ですから要は、そうした幸福の実現という目的のためには、よく流行歌や何かのスローガンで聞かれるように、決して愛だけで、すべてが救えるわけではないということは、よくよく知っておくべきなのではないか、というように私は感じております。

 第三には、これはもっともっと難しい話になるのですが、実は、現在までの人類の歴史、そして宇宙の歴史において、最も人類、及び、さまざまな生物を幸福にしてきたものは、残念ながら愛ではなくて、私の知る限り、どちらかと言うと、それは、いっけん誰が見ても、無駄そうな馬鹿な行為にも思われるような隠れた努力の積み重ねであったり、それから、どちらかと言うと、それは、いっけん、そんなに偉そうにも素晴らしそうにも見えないにも関わらず、現実に多くの人々や生き物達をより幸福にしてきた、ちょっとした知恵であったり、あるいは、ちょっとした創意工夫の積み重ねであったのではないか、ということなのです。

 つまり例えば、人類の生活だけを見ても、現に今日の多くの人々が、昔の時代の人々と比べて、明らかにより楽しく、より快適に、また、より幸福に生活できているのは、毎日、「愛」、「愛」と一生懸命唱え続けてきたからではなく、また 毎日、誰かの命令通りの仕事を繰り返してきたからでもなく、それから毎日、同じような日常生活の繰り返しをしてきたからでもなく、そうではなく、今日も、どこかで誰かが、自分以外の誰かのために、わずかばかりの愛の行為を積み重ねていたり、あるいは、今日も、どこかで誰かが、少しでも多くの人々や生き物達を幸せにするために新しい何かを考え出し、実行しては、少しずつ少しずつ、新しい何かを創造し続けているからなのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年12月28日 8:33 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 愛について / 知恵、正しさ / 社会、文化