つまり、一般に資本主義や自由主義と呼ばれている国々では、政治のやり方や、政治家や官僚などに対して、暴力的なものや反社会的なものなどでなければ、誰でも自由に意見を言うこともできれば、また、そうした政府に反対する活動であっても自由に行うことができるし、さらには公正な選挙によって、多くの人々の賛同が得られるのであれば、そうした国の政治のあり方や、政治家の顔ぶれについても、ある程度、自由に変えてゆくことができるようになっているわけです。
ところが共産主義や社会主義の国々では、そうした自由な意見の発表や自由な政治活動が禁止されていることが多いので、たいてい部分的なやり方を変えることはできたとしても、そうした共産主義や社会主義といった国の根本的な政治の枠組みや、政治家の顔ぶれに関しては、よほどのことがない限り、なかなか変えることができなくなっていることが多いわけです。
しかし、先ほども述べたようにマルクスの唱えた共産主義や社会主義の思想というのは、昔からの封建的な国家体制を打ち倒す革命思想としては、多くの人々の心を動かすような非常に魅力的なものであったとしても、実際に政府を運営して、人類が長年追い求めてきた理想の社会を作ってゆくための実務的な内容としては、はっきり言って、それほど完璧な、よくできたものではないようなところがあったわけです。
それゆえ、そうした共産主義や社会主義の革命を成し遂げた国々では、どこも最初のうちは、ある程度うまくいったように見えたとしても、たいてい数年、数十年と経つ間には、次々と様々な現実の問題が出てくるのに、それがまるで宗教的なドグマのように共産主義や社会主義の思想に忠実でなかったことが大きな問題であったかのように、常に話がすり替えられ続けていってしまうために、かえって数年どころか、数十年以上にわたるような非常に長い国家レベルの大変な社会的な問題が、ずっと続いてゆくような状況になっていってしまうことが非常に多かったようなのです。
続く・・・
Cecye(セスィエ)
2026年5月27日 6:04 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 政治 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済
