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何日か、お休みします

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Cecye(セスィエ)

2021年9月23日 8:51 PM, お知らせ

人間の知的な向上と霊的な悟りの関係について  Part 39

 ただ、そのようにして霊的な悟りを得たいと思うような人の中には、「元々自分には、それほど強い欲望も迷いのような気持ちも、ほとんどないのだが、世の中の様子を見ていると、もし自分が高い霊的な悟りを得ることができれば、多くの人々や生き物達のために何か素晴らしい貢献をして、たくさんの幸せをもたらしてゆけるような気がする」などというように、その人自身の満足や幸福のためというよりも、他の人々や生き物達の満足や幸福のために、何らかの高い悟りを得たいと考えるような人もいれば、また、そうではなく、「この社会では、僧侶になって、高い悟りが得られれば、素晴らしい地位や名声が得られるらしい」とか、「自分は、この世的な出世や栄達には、完全に見放されてしまったようなのだが、もし、ここで何とか宗教的な悟りというものを身につければ、宗教の世界で、ものすごい大成功ができるのではないか」などというように、はっきり言うと、自分自身のエゴのために、あるいは、何か素晴らしい就職や出世の口にでもなるのではないか、などと考えて、霊的な「悟り」を求めようとすることもあったようなのです。

 こうした観点から見てゆくと、はっきり言って、一口に霊的な悟りを求めると言っても、厳しい現実の世界から逃避や、強い探究心や求道心から始まって、自分自身の完全な幸福の実現や、さらには自分自身の幸福の実現というよりも、自分が霊的な悟りを得ることで、他の人々や生き物達の苦悩を取り除き、大きな幸福をもたらすことが、そうした悟りを求める目的になっていることもあるし、それから逆に表面的な形はともかくとして、本当は自分自身の出世や栄達のために、そうした霊的な悟りを得ようとすることもあったようなので、本当は、それぞれの個人によって、そうした悟りを求める目的というのは、結構ピンからキリまで、いろいろなものがあったようなのです。

※霊的にも、この世的にも、自分自身の悩みや苦しみを滅するために、あるいは、自分自身の幸福の実現のために霊的な悟りを求めても、別に何の問題もないと思われるのですが、ここでは、どちらかというと、そうした霊的な悟りというよりも、この世的な体裁はともかくとして、その人自身のこの世的な出世や栄達が、本当の目的である場合には、ちょっと間違っているのではないか、ということを述べています。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年9月22日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / スピリチュアリズム、霊界 / ユダヤ教 / 仏教 / 宗教、道徳 / 瞑想 / 知恵、正しさ / 社会、文化

人間の知的な向上と霊的な悟りの関係について  Part 38

 次には、霊的な悟りを求める、そもそもの目的について、考えてみたいと思うのですが、おそらく古代や中世のような昔の時代には、「毎日、大変な不幸な生活が続いていて、自分の人生にも世間の様子にも、もうほとほと愛想をつかしてしまったので、この世の生活から少しでも離れられるような宗教の世界に入って、たとえ多少寝食に苦労しようが、大変な努力が必要になろうが、なんとか仏の悟りに近づきたい」とか、「自分は、仏教の教えに深く共感したので、仏門に入り、毎日厳しい修行に励んで、大きな悟りの安らぎが得たい」とか、「私達は、ぜひ阿弥陀様のおられる素晴らしい極楽浄土に往生(おうじょう)したいと心から願っているので帰依することにした」、とか、さらには、「大きな戦乱や飢饉などがあって、世の中が荒れて、大勢の人が亡くなってしまったのだが、どうも大勢迷っている気がしてならないので、出家して、自分が悟りを得るだけでなく、そうした人々の魂の供養をしなくてはならないと思った」とか、「素晴らしい悟りを得た高僧に出会い、本当の心からの救いを得たので、自分もその高僧のように、たくさんの人々を救えるような立派な僧侶になりたい」などと考えて、霊的な悟りを得ようとすることが多かったのではないか、と思われます。

 それから近現代以降になると、「自分は、本当に神仏のことが大好きなので、ぜひとも自分自身で神仏の悟りというものを、少しでも体験してみたい」とか、「毎日、普通の仕事や生活だけをしていると、他の人との人間関係や、自分の人生上の問題や悩みなどで精神的に苦しくなって、しょうがないので、何とか宗教的な教えを学んだり、瞑想したりすることで、心の平安を得られるようにはできないものだろうか」とか、あるいは、「あくせくした普段の生活では、絶対に体験できない、神仏と一体になるような霊的な特別な体験がしたい」とか、「宗教的な徳目を身につけたり、深く瞑想したりして、もっと高い人間性を身につけたい」などというような目的で、霊的な悟りを得たいと思うことが多かったのではないか、と思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年9月20日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / ユダヤ教 / 中国思想 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宗教、道徳 / 瞑想 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 神道

人間の知的な向上と霊的な悟りの関係について  Part 37

 少しお休みしましたが、続きの文章を載せてゆきたいと思います。

 

7、知的な向上と霊的な悟りの関係について

 それから七つめは、ここでは、知的な向上や、霊的な悟りを得たいと思った、そもそもの目的と、その結果について、考えてみたいと思うのですが、これについては、だいたい次のようなことが言えます。

 まずは、人間が知的な向上を求める、そもそもの目的について考えてみたいと思うのですが、「親や偉い先生に言われたから」とか、「義務教育の制度によって、国の決まりで無理やり勉強しなくてはならなくなったから」などというようなことを除けば、たいてい、「まだ自分が知らないことが知りたい」とか、「まだ自分ができないことを、できるようにしたい」とか、「自分は、本を読むのが好きだから」とか、「自分は、何らかの分野のことを調べたり、研究したりすることに純粋に喜びを感じるから」とか、「いろいろな理由で、何らかの専門的な知識や技能を身につけないといけなくなったから」などというように、わりと素朴な好奇心や強い衝動や、個人的な満足や楽しみや達成感や、あるいは、何らかの義務や差し迫った必要性などから、そうした知的な向上を求めようとすることが多いのではないか、と思われます。

 ただ、そうした人の中には、「こういうことができると、もっとお金が稼げるらしい」とか、「これを知らなかったために自分は大失敗して、大損してしまったので、今度はもっと勉強して、うまくいくようにしたい」とか、「もっと勉強して、成功したい」などというように様々な利益の獲得や、強い向上心のために知的な向上を求めるような人もいれば、また、「こういう知識や技能を身につけて、たくさんの人々の役に立ちたい」とか、「今の世界にはないような新しいアイデアを実現して、もっとより良い世界にできるように貢献したい」などというように、様々な社会貢献や自己実現的な目的のために知的な向上を求める人もいれば、あるいは逆に、「こういうテクニックを使えば、密かに人を陥れて、お金を奪えるのではないか」とか、「もっと頭を使って、よく考えれば、うまく犯罪ができるのではないか」などというように、様々な合法的な搾取や犯罪などのために知的な向上を求めるような人がいることもあるようなので、はっきり言って、この世的に知的な向上を果たした人が、みんながみんな、清廉潔白な人格者のような人物であるとは、とてもではないが、なかなか言えないようなところがあるわけです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年9月18日 9:07 PM, おすすめ記事 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宗教、道徳 / 教育 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 科学、テクノロジー

少しの間、お休みします

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Cecye(セスィエ)

2021年9月10日 8:51 PM, お知らせ

人間の知的な向上と霊的な悟りの関係について  Part 36

 もちろん近現代においても、地球上のあちこちで、そうした新たな時代に合わせた新しい宗教や、霊的な覚醒や、スピリチュアリズムなどの運動が、次々と勃興し続けてきたので、そうした霊的な分野の発達は、すべての面で遅れをとっていたわけではないのですが、ただ、特に19世紀の後半ぐらいから20世紀にかけて、人類の生活をかなり劇的に楽にしたり、楽しく幸福にできるようにした学問や科学技術の発達は、そうした霊的な分野の発達と比べると、かなり急激な大きなものであったようなところがあったわけです。

 それでは、21世紀初頭の現在の人類は、今後、いったい、どのような方向を目指してゆくのか、というと、これは前から何度も触れてきたような内容になるのですが、これまでの時代には、かなりいかがわしい目で見られることも多かった霊的な内容が、だんだん、より知的にも、また科学的にも十分納得できるような形で探求されるようになると共に、また学問や科学に代表されるような知的な内容の中にも、そうした霊的な考え方や霊的な真理のようなものが、だんだん自然自然のうちに取り入れられてゆくような流れになってゆくのではないか、というように思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年9月9日 9:03 PM, アセンション後の世界 / スピリチュアリズム、霊界 / 予知、予言、未来予測 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 科学、テクノロジー

人間の知的な向上と霊的な悟りの関係について  Part 35

6、21世紀以降、もっと霊的な科学の方向性が、だんだん模索されるようになってゆく

 六つめは、今度は、歴史的に見た内容になってくるのですが、簡単に言うと、現代人が、知的であると考えているような内容、例えば、本を読むとか、大学の教授や学校の先生の話を聞いたり、指導を受けたりするとか、あるいは、少し難しい論文のようなものを書いたり、何らかの研究や調査を行ったりするようなことと、それから昔から宗教や哲学などで教えられてきた霊的な内容というのが、近現代に入り、そうした知的な学問や科学が非常に急速に発展するようになると、だんだん、いろいろな面でうまく噛み合わない、というか、うまく両立できないような状況になることが多くなってきたようなところがあるわけです。

 ところが人類の歴史をさかのぼってゆくと、西洋であれ、東洋であれ、どこの国や地域でも、宗教に代表されるような霊的なことを教えたり、学んだりする所で一緒に、現代人が考えるような学問や科学技術、つまり神学から始まって、哲学や医学や、建築や土木工学などといった様々な学問や科学技術を教えたり、学んだりしていることも非常に多かったようなのです。

 ですので、本当は昔から宗教に代表されるような霊的なことと、学問や科学に関わるようなことは、それほど大きく分けられたり、対立したりしていたわけではなかったようなのですが、それが人類の歴史では、近現代に入ると、かつて全くなかったほどに、かなり急激な学問や科学技術の発達が起きるようになっていったために、はっきり言うと、古代や中世の時代には、あれほど全盛を極めていた宗教の分野は、そうした知的な発達の面では、だんだん、かなり大きく遅れをとるようになっていってしまったわけです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年9月8日 9:03 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 予知、予言、未来予測 / 仏教 / 宗教、道徳 / 教育 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 科学、テクノロジー

人間の知的な向上と霊的な悟りの関係について  Part 34

 二つめは、これは残念な話になるのですが、これまでの地球の文明の知的なトレーニングは、ある意味で「アカデミズム教」と言ってもよいような一種の新宗教のような要素も持っていたので、はっきり言うと、元々、霊的にかなり資質の高い人であっても、学校の義務教育を受けてしまうと、元々持っていた霊的な感受性や能力がかなり失われてしまうと共に、場合によっては、本当は、かなり天才的な能力を持っている人ですら、ある一定の能力以上には、なかなか上がれなくなってしまうような、あまり良くない側面があったようなのです。

※現在残っているアカデミズム教の霊的な印象としては、かなり暗くて、ボロボロ、ガチガチとした印象で、奴隷的に画一的な学習を強いてくるか、あるいは、逆に非常に白く光り輝いているような印象なのですが、かなり威圧的で硬い感じで、個人の自由な意見を一方的に排除してくるような印象が、とても強いです。

 

 もちろん現在のような学校教育によって、多くの人々が、読み書きや算数ができるようになったり、社会や科学のことがわかるようになって、かなり知的に高くなり、様々な専門的な知識や技能をマスターできるようになったり、また、一人一人がある程度、独立した市民として自立できるようになった功績は、かなり大きいとは思うのですが、それにも関わらず、これまでの地球の学校教育であると、どうしても霊的には、ある程度封印された人生を歩まざるをえなくなるようなところがあったようなのです。

 こうしたことに関しては、現在、アセンションの過程で、少しずつ良い方向に向かってゆきつつあるようなところもあるのですが、ただ、どうしても国家や社会というような、非常に大きな規模の人々の集団が変化してゆくには、ある程度の時間がかかってゆくようなところがあるので、もし自分自身や自分の家族の霊的な目覚めや成長をある程度、しっかり守りたいということであるなら、個人や家族として、現在の段階で、すでにある程度、信用が確立しているような霊的な思想を学んだり、霊的なトレーニングをしてゆくことが、とても大切になってくるようです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年9月4日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宗教、道徳 / 教育 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 科学、テクノロジー

人間の知的な向上と霊的な悟りの関係について  Part 33

5、知的な向上と、霊的なトレーニングについて

 五つめは、これは時折、世間で言われるような内容になるのですが、私達のこれまでの世の中では、知的なことに関しては、様々な物事について、よく知っているし、また様々な技能も、しっかり身につけているにも関わらず、霊的なことに関しては、ちょっとやそっと努力したぐらいでは全くわからないし、ましてや霊的なビジョンを見るとか、霊的な存在の声を聞いて、直接認識するなんてことは、まったくできないような人が、結構、かなりの人数いたように思われるのですが、これに関しては、だいたい次のような二つのことが言えます。

 まず一つめは、これは単純な話になるのですが、知的に関して、かなりきっちりしたものを持っているけれども、霊的なことに関しては、ほぼ全く何の知識も能力も持っていないような人というのは、おそらく、それまでの生い立ちにおいて、知的な訓練に関わる時間は、かなり長かったかもしれないけれども、霊的なことに関わる時間は、圧倒的に少なかったのではないか、ということです。

 それというのは、現在の学校制度では、何らかの宗教や霊的なことに関わるような学校にでも行かない限り、ほぼすべての学校に関わる時間は、知的な訓練や、芸術やスポーツのトレーニングや、交友関係などに使われていて、それ以外は、せいぜい基本的な道徳的な観念を学ぶこと以外には、霊的なことを学んだり、トレーニングしたりするような時間は、ほとんど全くとられていないからです。

 ですから、こうした観点から見た場合には、知的なことに自信はあっても、霊的なことに関しては、全く自信がないという人であっても、自分自身でよく確かめて、なるべく正しく安全な形での霊的なトレーニングを積み重ねてゆくのであれば、それなりにある程度のレベルまでは、そうした霊的な能力を獲得してゆける可能性は高いということになります。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年9月3日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / スピリチュアリズム、霊界 / 予知、予言、未来予測 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宗教、道徳 / 教育 / 瞑想 / 知恵、正しさ

人間の知的な向上と霊的な悟りの関係について  Part 32

 二つめは、これは現在の社会でも、時折、様々な場面で問題になることが多いような内容になるのですが、要するに学問的な知性や、お金を儲けることなどについての経済的な知性は、あまり高くないので、この世的に非常に高学歴であったり、経済的に裕福であるとは、あまり言えないにも関わらず、その人自身の霊的な学びや、宗教的な信仰や、あるいは、生まれ持っての直感や経験などから、「頭が良い人や裕福な人はみんな、それが正しいと言うかもしれないけれども、自分が学んだ霊的な教えや、宗教的な信仰や人生経験から考えると、多分間違っているのではないか」とか、「若い人はみんな、それが良いとか、悪いとかというけれども、何となく自分は、それが直感的に正しいと思う」などというように、その人自身の霊的な学びや、宗教的な信仰や、あるいは、直感や経験などに基づいて、その人独自の意見を持つだけでなく、しかも長い時間の間にそうした意見の正しさが、きっちりと証明されるようなケースがあるようです。

 ですので、こうしたケースの場合、確かにその人は、この世的には、知的にそれほど高いとは言えないかもしれないけれども、ある種の霊的な悟りのような知恵を持っていたというように考えてよいのではないか、というように思われます。

 もちろん、こうした意見の中には、その時点においても、また長い時間を経た後であっても、結局、ただの頑固な思い込みや間違いであることも多いようなので、残念ながら、そうした意見のすべてが正しいとは、とてもではないが言えないようなところもあるのですが、ただ、その時点はともかくとして、長期的な結果として、あるいは、さらにもっと進んだ学問的な成果として、結局、そうした意見が正しいものであった場合には、そうした人は、この世的な知性は今一つであったとしても、霊的には、ある種の悟りを得ていたというように考えてよいのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年8月31日 9:03 PM, イスラム教 / インド思想、ヒンドゥー教 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / ユダヤ教 / 中国思想 / 予知、予言、未来予測 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宗教、道徳 / 瞑想 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 神道