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マスメディアやインターネットが発達した21世紀初めの現代において、本当の正しさを見抜くための知恵について Part 23

 また、それ以外には、例えば、それぞれのテレビ局や新聞社や出版社などのカラーが、あらかじめ、ある程度、明確に決まっているようなケースや、テレビ局の番組のテーマや編集や時間の都合で制限されるようなケースや(それぞれの本や雑誌などのテーマや編集や紙面の都合など・・・)、さらにはテレビの視聴率がとれるかどうかや、本や雑誌が売れるかどうか、などといった条件によって、どうしても一定の表現や意見の範囲内に収めざるを得なくなることもあるのではないか、と思われます。

 そうすると、どんなに優秀で人気のある、誠実で信頼の置けそうな有名人であったとしても、そうしたマスメディアやエンターテイメントに出る際には、たとえ、その人個人が、どんな性格で、どんな考えを持っていたとしても、どうしてもそうしたマスメディアやエンターテイメントの性質上、ある一定の範囲内に収まるような表現しかできなくなってくるものですし、また、そうしたある一定の範囲内にうまく収まるような内容しか、しゃべれなくなってくるようなところがあるのです。

 ですので、そうしたマスメディアやエンターテイメントに関わるような有名人に関しては、はっきり言うと、どんなに優れた、また、どんなに誠実そうに見えるような人物であったとしても、普段、多くの人々に見せている表側の部分と、普段、多くの人々には、決して見せることのない裏側の部分が必ずできてくるようなところがあるのです(別に特に法律に抵触するようなことでなければ、それほど問題があるわけではないのですが・・・)。

 それゆえ、多くの人々から愛されるような、どんなに優れた誠実で信頼の置けそうな有名人がいたとしても、そうした人々にもマスメディアやエンターテイメントの世界では、決して見せることのない普通の人間としての感覚や、普通の人間としての生活は必ずあるのだ、ということは、現代のようにマスメディアやエンターテイメントが非常に発達した時代に生きる人間としては、ある程度、はっきりとよく理解しておいてもよいことなのかもしれません。

 

Cecye(セスィエ)

2019年9月26日 9:03 PM, 人生観、世界観 / 知恵、正しさ / 社会、文化



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