Light Symbol

光について Part 1

 霊の話は長くなったので、少しお休みにして、今回から霊的、物質的に見た「光」や「闇」についての話を述べてみたいと思います。

 よく宗教やスピリチュアルな話では、象徴的な喩えとして、「神は光である」とか、「光は愛である」とか、「霊的な光が降り注いできた」とか、あるいは、「光は善であり、闇は悪である」(参考1)というような説明をされることが多いのですが、今回から霊的な側面と物質的な側面の両方から見た「光」と「闇」の性質や関係について、少しだけ述べてみたいと思います。

 

1、低次元宇宙での原初的な意識存在達の感覚の発達過程としては、視覚的な感覚よりも、触覚的な感覚の発達の方が遥かに早かった

 まず低次元宇宙での光の起源をたどると、これは多少、意外かもしれないのですが、この宇宙の最初の創造期の段階では(この物質宇宙が始まる前のカオス領域の世界の話になります)、それほど光というのは重要視されていなくて、それよりは、どちらかと言うと、「とにかく自分が何なのか知りたい(何か自分という存在を確認できる方法が欲しい)」とか、「とにかく何かに触ったり、しがみついたりしてみたい(非常に不安定、不確定な世界だったので・・・)」とか、「誰か信頼できる存在に怖い存在から守ってもらいたい」とか、「よく分からない怖い状態から、少しでも楽な安心できる幸せな状態になりたい」というような願望の方が、とても強かったのです。

 それゆえ、この宇宙では、最初は、どちらかと言うと光を発する存在よりも、何か触ったり、触り返してくれるような手に取れるようなリアリティー、つまり、全く得たいの知れない者同士が、お互いに触れ合ったり、ぶつかり合ったりすることで(強く当たるような意味で、痛い、傷つくというようなニュアンスではないのですが)、「自分は、いったい、どのようなものなのか」、あるいは、「他の存在は、いったい、どのようなものなのか」ということを知るような感覚の体験への欲求の方が、遥かに大きいようなところがあったのです。

 ですから低次元宇宙でのこの宇宙の始まりでは、どちらかというと、この宇宙の創造主の前身に当たる存在は、まずは少しでも触れたり、ぶつかったりできるような体験ができるような、言ってみれば、少し硬い石や岩のような存在を創り出したり(最初は、非常に小さいものでしたが)、あるいは、そうした石や岩状のものが、わりと安全に移動できるような多少、秩序だった空間の確保ということを、一生懸命行っていました。

 それから少し時間が経つと、もう少し周りの様子がはっきり分かるような現在の人間や動物の感覚で言うと、嗅覚や味覚や聴覚(最初は音というよりも、どちらかというと、辺りの振動のようなものを知覚するような感じでした)のような感覚、つまり、かなり真っ暗な所でも辺りの様子が、パッと分かるような感覚や、それから何らかの他の存在に触れた時に、硬い感じがするとか、柔らかい感じがするというような、もう少し微妙なことが分かるような繊細な感覚が発達してゆき、さらにその後、パッと一瞬で、もっとはっきりと自分の周りの様子を、色や形や距離まで、かなり明確に把握できるような視覚的な感覚が発達していった経緯があります。

 ですから、この宇宙での原初的な意識存在達の発達の経緯を見ると、最初は、どちらかというと直接触れ合うような触覚的な感覚が発達してゆき、その後、嗅覚や味覚や聴覚のような、もっといろいろなことが分かるような感覚が発達してゆき、さらにその後、パッと一瞬で辺りの様子をすべて把握できるような視覚的な感覚が発達していった経緯があったのです(参考2)。

※この辺りの経緯は、生まれたばかりの人間や動物の赤ん坊の成長や、生物の発達や進化の歴史とも非常によく似たところがあります。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2014年11月6日 9:07 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 科学、テクノロジー



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