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Q&A 自分自身の波動を精妙に保つ上での注意点について Part 6

7、真実の愛の立場においては、他の人や生き物を愛することが、即、自分自身の悦びや楽しみと直結し、また自分自身を愛することが、即、他の人や生き物の悦びや楽しみと直結するような愛の実現であることが望ましい

 第七には、これも宗教などにおいて、よく間違って理解されていることが多い内容になるのですが、本当の愛の立場においては、他の人々や生き物達を愛することが、決して自分自身を傷つけたり、苦しめたりするようなものであってはいけないし、また、自分自身を愛することが、決して他の人々や生き物を傷つけたり、苦しめたりするようなものであってもいけない、というような、結構、難しい微妙なバランス感覚を要求されるようなところがあるということです。

 ところが、現実の世の中を見てみれば、結構、多くの人々が、自分自身の意識としては、ほとんど、はっきり自覚することがないような状態でもって、他の人々や生き物達のために尽くしたり、働いたりすることは、それは即、自分自身の我慢や、不幸な精神状態を維持することであると、まるで当然のように考えていることが多かったり、また、その反対に自分自身が遊んだり、楽しんだりすることは、それは即、他の人々や生き物達に何か迷惑をかけたり、犠牲を強いることだから、できるだけ遠慮しないといけないなどと、まるで当然のように考えていることが、実際には、非常に多いということなのです。

 それゆえ、私は、真実の愛の立場としては、他の人々や生き物達を愛することが、それが即、自分自身の本当の悦びや楽しみと直結しているとか、あるいは、自分自身を愛することが、それが即、他の人々や生き物達の悦びや楽しみを直結しているというような、できるだけ自分自身と、他の人々や生き物達の悦びや楽しみが両立できるような愛の実現が望ましいし、また、そうした自分自身と、他の人々や生き物達の悦びや楽しみが両立した状態でもって、双方とも、さらにより大きな悦びや楽しみの実現ができるのであれば、それは、さらにより良い愛の実現であると言えるのではないか、というように率直に考えております。

 ただし、世の中においては、時に、非常に厳しい苦しい状況に直面することも実際、多々あるので、そうした際には、今述べたような愛の立場とは少し違って、ある程度、自分を犠牲にしてでも、他の人々や生き物達のために尽くしたり、働いたりしなくてはならないとか、あるいは、その反対に他の人々や生き物達のことは、ある程度、気にせずに、とにもかくにも自分自身や、自分の身近な家族や同僚や友人を守らなくてはならないというような状況に置かれることも、実際に時々あるということなのですが、ただ、ここでよくよく注意しておかなくてはならないことは、そうした状況というのは、ある種の非常事態のような状況においてのみ必要な人間としての心掛けなのであって、そうした非常事態のような状況が去ったのであれば、いち早く、先ほど述べたような自分自身も幸福、また、他の人々や生き物達も幸福というような真実の愛の立場に、できるだけ早く立ち返る必要があるということなのです。

 このように私は、真実の愛の立場というのは、基本的に他の人々や生き物達を愛することが、それが即、自分自身の悦びや楽しみとなり、また自分自身を愛することが、それが即、他の人々や生き物達の悦びや楽しみとなるというように、できるだけ自分自身と、他の人々や生き物達の悦びや楽しみが両立している上で、さらに双方とも、より大きな悦びや楽しみの実現ができるような愛の立場であることが望ましいのではないか、というように率直に考えております。

 

 続く・・・

 

 追伸

 今日は、もう一つ、10時頃、昨日の内容の補足をアップします。

 

Cecye(セスィエ)

2011年3月17日 9:21 PM, Q&A  / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



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