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「愛」について Part 14

②多くの人々が陥る愛の迷路に陥られないためには、愛の精神的な部分はしっかり重視するけれども、ちょっとした勇気ある行動や、知性的な裏付けや、結果や効果の重視といった現実面への配慮がとても大切である

 第二には、これも大変難しい問題になるのですが、実は、先ほどから何度も述べているように「愛」という概念は、非常に尊く魅力的であるにも関わらず、よく考えてみると、あまりにも曖昧で抽象的、というか、何が何だか、よく分からないようなところがあるので、はっきり言うと客観的に見る限り、大きく入り口が開いて、出口がよく分からないような究極の迷路、もしくは、究極の牢獄になってしまうようなところがあるのです。

 それゆえ喩えとしては、あまり良くないのですが、例えば、お店の話で喩えると、今日においても、「愛」という看板さえ掲げれば、まずは、たいていの人には、パッと目を引かれる、あるいは、思わず何だろうと、アッと身を乗り出すようなものすごい人だかりのお店が、いくらでも作れるようなところがあるにも関わらず、ところが、そうした「愛」という看板の掲げられたお店にいざ入ってみると、なぜか探せども探せども、現物の「愛」という存在は全く見つからず、気がつくと自分自身も店員になって、同じように、はっきり言って、具体的には、何が何だか全然分からないような「愛」という存在を、どんどん売りさばこうとするような立場になっていたり、あるいは、気がつくと、いつの間にか、そうして売っている全く訳も分からないような最高商品の「愛」そのものに自分自身がなっていたりするなどというように、言ってみれば、ちょっと、かなりインチキの狂気に満ちた怪しげなお店、というか、見方を変えると、一種のキチガイ・ショーをやっている怪しげな劇場のような要素があるということなのです。

 さて、こうした「愛」に関して、いったい、どのようなことが言えるのか、というと、これは、いっけん単純なようなのですが、実際には、かなり難しい、おそらく人間としては、常に究極の選択を迫られ続けるような問題になるのではないか、と思われます。

 ここでは、ほんの要点だけしか言えないのですが、大まかに言うと、次のような三つのことが言えます。

1、「愛」、「愛」と言葉で言う人ほど、実際には愛から遠ざかり、その反対に、いっけん愛とは、あまり関係なさそうなドライで現実的な人ほど、実際には、本当の愛に近いようなところがある。

2、愛は、いっけん感性や感情的なもののように感じられるが、実際には、愛は、知性的かつ具体的なものでなければ、ほとんど意味がないようなところがある。

3、愛は、人間の感性や感情を覆い尽くすほど、非常に強力な精神作用を持っているが、ところが実際には、愛では、ほんのちょっとの具体的な行動や実践の方が遥かに大切だったりする。

 などということが言えます。

 つまり、ここから言える結論は、かなり冷静でドラスティックな結論になるのですが、確かに精神的に「愛」というのは、人間として、ものすごく大切なものではあるのですが、ただ、そうした「愛」の概念を現実化してゆくためには、何のことはない、ちょっとの勇気ある行動や、知性的によく考えて、結果や効果を重視した行動をすることや、それから愛の迷路に陥らないように愛の精神は大切にするけれども、適度にドライに現実を見続けることができることなのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年12月21日 9:03 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 愛について / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 結婚、家庭



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