Light Symbol

Q&A 自分自身の波動を精妙に保つ上での注意点について Part 7

8、真のスピリチュアリティーに基づいた愛の実現には、苦痛を取り除き、幸福を増進し、そして、宗教的自由性やセックスを開放する、というような三つの段階の愛の実現が、すべて必要になってくる

 今回は、現在の地球では、少し刺激的な内容も含まれる話になるのですが、第八には、真のスピリチュアリティーに立脚した愛の実現においては、次のような三つの基本原則が、非常に大切になります。

 

1、愛の実現は、物質的すぎてもいけないし、精神的すぎてもいけない

 まず第一には、これは愛の表現や実践においては、本当に基本原則に当たるような内容になるのですが、常に愛の実現においては、あまりにも物のあり方に終始するような、物質的すぎるものであってもいけないし、また、その反対に、あまりにも精神的なことのみに傾倒しすぎるような、精神的すぎるものであってもいけない、というような非常に難しいところがあるということです。

 

2、愛の実現は、肉体的すぎてもいけないし、霊的すぎてもいけない

 第二には、愛の実現においては、霊的な側面を軽視して、あまりにも肉体的な面ばかりに注視しすぎるようであってもいけないし、また、だからと言って、その反対に今度は、肉体的な側面を軽視して、あまりに霊的なことばかりに傾倒しぎるようであってもいけない、というような、結構難しいバランス感覚が要求されるようなところがあるということです。

 

3、本当の愛の実現には、「苦痛を取り除く」、「幸福を増進する」、そして、「宗教的自由性と性的開放を進める」の三つの段階がある

 第三には、これは一部の宗教を除いて、まだ今日の宗教では、あまり強調されないような内容になるのですが、愛の実現においては、次のような三つの優先原理があるので、その中の単に一つだけ実現できたからといって、本当の愛などと簡単に考えてはいけないということです。

 

①肉体的、精神的に苦しんでいる人々や生き物達がいたなら、いち早く、そうした人々や生き物達の苦しみや悲しみを軽減し、助けるような愛の実現が必要である

 まず第一には、これは当然のことですが、まずは何はともかくとして、肉体的であれ、精神的であれ、そこに苦しんでいる人々や生き物達がいたなら、いち早く、そうした人々や生き物達の苦しみや悲しみを軽減し、助けるような愛の実現が必要であるということです。

 

②次には、肉体的、精神的に、さらに豊かで健康で幸福な生活ができるようにするための具体的な支援やサポートを行うような愛の実現が必要になる

 第二には、そのようにして、当面の苦しみや悲しみが除かれた人々や生き物達に対しては、そうした人々や生き物達が、前よりも、さらに楽しく幸せに暮らせるようにしてあげるような愛の実現が、非常に重要になるということです。

 

③さらに高次の肉体的、精神的幸福の実現においては、単なる宗教性やスピリチュアリティーの開放のみならず、性的な陶酔感や至福感の開放が必要になってくるのだが、現在の社会では、こうした内容には、大きな抵抗や反発を得ることが非常に多い

 そして第三には、これは現在だと、特に多くの宗教や道徳では、真っ向から否定されるような内容になるのでしょうが、そのようにして物質面や精神面において、ある程度の幸福を実現できた段階の人々や生き物達に対しては、それ以上のより高次の崇高な悦びや楽しみを与える必要があるということになってくるのですが、これは苦しみや悲しみの除去や、日常的な楽しみや幸福を与えること以上のさらなる幸福、つまり、宗教的な自由性や、スピリチュアルな自由性の開放を押し進めると共に、さらには、性的な陶酔感や至福感を与えるような愛の実現が大切になってくるということなのです。

 ところが、現代の社会においては、こうした幸福感を与える行為というのは、非常に羞恥心や罪の意識を伴う上に、その上、一般に宗教的な戒律や社会的な道徳律に反する行為になっていることが非常に多いので、たいていの社会では、先にあげたような第一と第二の愛の実現までは、ある程度、達成できることが多いのですが、残念ながら、そうした第三の愛の実現の段階まで至ると、うまく行かないケースが、ほとんどすべてであるということになってくるのです。

 

その国が、社会的に見て、ある程度の幸福の実現に成功したにも関わらず、その後、そうした宗教の自由化や性の開放に踏み切れなかった国は、多くの人々の潜在意識下の非常に強いストレスや破壊願望の蓄積の結果、その後、さまざまな社会的混乱や天変地異などの被害に遭ってゆきやすい

 もちろん、前にも少し述べたように、こうした性の開放というのは、現在の地球においては、その社会の秩序や調和の維持という面において、非常に微妙な対立関係というか、かなりシビアな争いや不和のようなものを生み出すことが非常に多いので、そのために非常に微妙な人間関係上の調整や、社会の舵取りが必要になるような、難しいところがあるということになってくるのですが、ただ、これは前にも少し述べたように、こうした幸福の発展過程を実現できずに、第一と第二の愛の実現ばかりに、その社会が終始するような状況が続いてゆくと、その社会を構成している多くの人々の集合意識としては、表向きの建前とはかなり違って、その裏の潜在意識においては、「もう、こんな社会は嫌だ」とか、「こんな国、今すぐにでも、粉々に壊れてしまえばいいのに!」などというような具合に、結構、集団としての大きなストレスや破壊願望を蓄えてゆく傾向が、非常に強いということなのです。

 それゆえ、これは、本当はあまり言いたくないのですが、こうした多くの人々の集合意識の自己実現というような目でもって、現在の地球の主だった国々を見てみると、大多数、もしくは、たとえ少数であったとしても、その国の人々を非常に劣悪な環境下で差別したり、虐待しているような国であるとか、あるいは、ある程度、経済的には豊かな生活ができるようになったにも関わらず、非常に厳しい宗教的戒律や国家の法律で、国中を隅々まで縛るようなことをしていたり、また、非常に厳しい言論統制(もしくは、非常に巧妙な世論誘導のようなこと)を行っていたり、性的なモラルに対して、非常に厳しい社会というのは(結局、どれも個人の自由性が踏みにじられることになってしまうので)、そうした多くの人々の非常に強い潜在的なストレスや破壊願望の実現の結果、突然、軍事的な脅威や経済的破綻に見舞われて、その社会が大混乱に陥ったり、あるいは、さまざまな形の天変地異や疫病などの災害に襲われやすいというような、結構、切実な問題を抱えることになってしまうということなのです。

 このように愛の実現のレベルには、大きく三つの段階があるということなのですが、特に、この第三段階目の愛の実現においては、現在の地球であると、社会的にかなり難しい微妙なバランス感覚が必要であるということと、それにも関わらず、もし、そうした第三段階目の愛の実現を、その社会において、あまりにも放置しすぎていると、多くの人々の潜在的な集合意識の面では、その社会の維持の上で、かなり危険な状況になってゆきやすいということが言えるのではないか、と私は率直に考えております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年3月24日 9:16 PM, Q&A  / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳



«

»

おすすめ記事

過去の記事