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霊的、現代的な観点から見た仏教の教えについて Part 25

 ですので、そうした観点から見ると、もし、こうした仏教の興隆が、古代や中世のインドやアジアの国々ではなく、近現代の西洋で起きていた場合には、「これは紀元前5~6世紀頃に、釈迦本人によって説かれたオリジナルの仏教の教えで、これは紀元前2世紀頃、仏教徒の◯◯によって広められた△△派の教えで、それから、これは紀元2世紀頃、仏教の◯◯派の△△らを中心に説かれた□□経の教え」などというように、おそらく、当時のインドやアジアのどの国や地域で、いつ頃、同じ仏教徒であっても、どの宗派の誰が説いた教えであったのか、ということが、かなり明確にはっきりわかるような形になったのではないか、ということなのです。

※ただし、そうすると、さすがに大昔のインドやアジアの人々からも、「それは釈迦の教えではないでしょう」などと言われて、相手にされないことが多かったのではないか、と思われます。ですので、おそらく、そうした大昔に次々と新しい仏教の教えを説き始めた人々は、仏教の中心地からは、かなり離れた国や地域の、しかも保守的な人々が多い田舎ではない都市部などで、そうした時代の国や地域の人々が、ある程度喜んで受け入れられるような教えを、かなり霊懸(が)かった感じで、そこそこの規模のグループを形作りながら広げるような状況だったのではないか、というように思われます。

※近現代の様々な新興宗教の勃興の様子を想像すると、わりとわかりやすいと思うのですが、おそらく、そうした形で古代や中世の時代には、様々な国や地域で様々な人々が、神懸かりならぬ、仏懸かり、菩薩懸かりになって、様々な新仏教を興したことがあったのではないか、と思われます。ただし、おそらく大部分のものは、それほど大きく広がることも、長く伝えられることもなかったのでしょうが、そうした中で、特に多くの人々から大きな支持や信望を得たものが、国や地域を超え、時代を超えて、現在まで伝わっているのではないか、と思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年10月14日 9:03 PM, インド思想、ヒンドゥー教 / スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 仏教 / 宗教、道徳 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化



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