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古代の日本とユダヤ人の関係について Part 2

 彼らの一部は、近現代のユダヤ人が、その宗教的な特殊性からの迫害を恐れて、どの国や民族からも、絶対に迫害されることのないような安住の地を求めて、世界中を彷徨っていったり、後にイスラエルを建国していったのとほぼ同じように、当時は、まだかなり広大な未開の大地が広がっていたアジアの中央部から、さらにはアジアの東部の古代の中国、そして、古代の朝鮮半島から日本列島へと、彼ら独特の宗教習慣を、わりとそのまま維持した形で、世代を重ねながら少しずつ移住していったようなのです。

 ですから古代の日本語には、普通の日本語とは思えないような、少し不思議な言葉がたくさんあるようなのですが、そうした古代の日本語のルーツには、古代の朝鮮や中国起源ではなく、古代のヘブライ語や中近東の言葉に起源を持つような言葉が、時々混ざっているようです。

※後の記録には、はっきり残っていないのですが、古代のユダヤ人は、当時の彼らの預言者達から、東の彼方に、彼らが安心して暮らせる新天地のような島々があることを聞いて、遊牧生活をしながら、当時のアジア大陸を東へ東へと大移動していったようです(別の土地を目指して、移動していった人々もいたようです)。やがて、古代の中国の辺りまで来ると、北方を経由して朝鮮半島に到達し、当時の日本列島に入植していったようです。

※古代の日本のイメージは、わりと文明社会になっていた中国よりも、もっと東の果ての、まだあまり人の住んでいない未開の森や草原(湿地帯)が広がっている、たくさんの山のある島国のようなイメージで、当時の中国北東部や朝鮮半島まで来ると、さらに東の方に、わりと大きな幾つかの島が広がっているような感じで認識されていたようです。その当時から日本列島には、あちこちに人が住んでいたのですが、今日の日本人の感覚で言うと、少し昔のフィリピンやインドネシアなどの島国のような感じで、わりと原始的な生活をしている人々や、森や草原(湿地帯が多かったようですが)を切り開いて農耕に従事している部族集団の人々や、それから、これは現在は、あまりはっきりと記録には残っていないのですが、関東から東北にかけて、数千人規模で、あちこちでコロニーを営んでいた、当時の人々から見ると、まるで「神の民」のように見える、非常に洗練された霊的な文明生活を営んでいた人々がいたようです(おそらく、当時の言葉で「カミ」、「カムイ」などと呼んでいたように思われます)。

※古代の地球には、まだあちこちにそうした神の民(「天使」と呼ばれることもあったように思います)のような人々の集団のコロニーがあったようなのですが、彼らは、その土地に人間が多く住むようになると、この物質世界ではない、天の世界や海や地下の国(次元的に異なる、少し上の澄んだ高次元の世界)に移り住むようになっていったようです(ただし一部は、そのまま地上の世界に住むようになったようです)。そして、元々、彼らのコロニーのあった土地は、その後、荒らされていない場合には、後々、教会や寺や神社が建てられる霊的な聖地のような扱いになっていったように思われます(ただし現代人から見ると、おそらく、彼らは宇宙人と呼ばれるのではないか、と思うのですが・・・)。

※おそらく、中国の秦の時代の伝説上の人物、「徐福(じょふく)」が目指した、不老不死の霊薬が得られる、神仙が住む三神山のある地というのは、こうした「神の民」のような人々が住む場所だったのではないか、と思われます(そこに住む人々は、非常に長寿だったので・・・)。ただ彼らの集団は、結果としては目的は果たせずに、現在の紀伊半島の辺りに集団で移住することになったようです。さらに時代をさかのぼると、いにしえの時代には、そうした神の民のような人々は、現在の中国の東北部や、現在、霊山として知られるような深い山々のような土地にも住んでいたようです(仙人ではないのですが・・・)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2017年3月28日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / ユダヤ教 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 歴史 / 神道



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