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昔の大日本帝国憲法の問題点について Part 14

 少しお休みになりましたが、前回の文章の続きです。

 

6、小さな藩連合国家ではなく、また国民一人一人の自由と幸福の上に成り立つ国民国家でもなく、天皇を中心にした究極の国家主義を目指した「大日本帝国憲法」の効用と限界について

 さて、それでは、こうした大日本帝国憲法を国是にする大日本帝国では、その後、いったいどのようなことが起きたのかというと、これを言うとかなり驚くような人もいるかもしれないのですが、要するに当時の大日本帝国憲法に基づいた国家の運営をしていると、そうした憲法を定めた明治時代の日本の国家目標、つまり欧米を見習って、軍事的に強い経済的に豊かな国にしようというような国家目標に関しては、その後もかなりしっかりと実現してゆけたようなところがあったのですが、それでは、そうした大日本帝国を成り立たせている一人一人の国民の幸福や豊かさの実現は、いったいどうだったかというと、「国が強ければいいだろう」、「国が豊かになればいいだろう」などというように、要するに国家レベルの強さや豊かさや幸せに関しては、確かに常にある程度実現していけたようなところがあったかもしれないのですが、ところが、そうした国を形作っている一人一人の国民を見ると道徳的理想に関しては、それなりに高いものを持ってはいるのですが、結局、「いつまで経っても物質的には、なかなか豊かになれないな」とか、「自分だったら、こうするのにというような政府の批判をすると、とんでもない目に遭うんだよな」とか、「軍艦や政府や都会の建物は立派だけど、いつまで経っても農村は貧しいままだな」とか、「自分や家族の都合を言うと、反国家主義者みたいな、とんでもない扱いを受けるんだよな」などというように、いつまで経っても欧米のような豊かな幸せな生活はなかなか出来ないような状況になっていってしまったようなところがあったのです。

 これは明治時代特有の当時の日本が置かれていた時代背景もかなり大きいのですが、要するに当時の日本の状況としては、江戸時代のような小さな藩連合の国家体制のままでいると、やがて欧米の軍事大国によって、それ以前のアジアやアフリカの国々の運命とほとんど同じように当時の日本の国土もバラバラに切り取られて彼らの領土に取り入れられると、その後は日本の文化も伝統もほぼ完全に破壊されて永久奴隷にされるような植民地支配を受けるのではないか、というようなかなり切実な全国民的な恐怖心を感じていたわけなのですが、その際に、「そう言えば、日本には幸いにも古代から連綿と続いている天皇制という摩訶不思議な半宗教政治の歴史があったではないか」ということで、それを大義名分にして、何とか短期間のうちに欧米の制度や技術や文化を取り入れながら、当時の日本を無理やり一つの国、できれば近代国家にまとめあげようとして作られたのが、当時の大日本帝国憲法だったのではないか、ということなのです。

 つまり、もっと簡単に言うと、古代から連綿と続くとされる天皇制を錦の御旗にして、欧米の制度や技術や文化をうまく取り入れながら、全国民が半永久的な奴隷階級に陥るような事態を防ぐために、何とか一つの近代国家にまとめあげようとした際に作られたのが、当時の大日本帝国憲法だったのですが、それゆえ、そうした大日本帝国憲法では、小さな藩連合国家ではなく、また国民一人一人の自由や幸せを追求するような国民国家でもなく、その時々の天皇を中心とした国家運営グループによる「国家主義」による国づくりを行うような国家理念がとうとうと述べられていたようなところがあったのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2015年9月24日 9:03 PM, 政治 / 歴史



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