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職業と人生 Part 46

 こうした話は、昔の話だと多くの人々は、わりと単純に「ああ、あの人達は立派だったから・・・」とか、「ああ、あの偉大な○○だね」などというように簡単に納得できるようなのですが、ところが、それが同時代の現代の話になると途端に話が違ってきて、「ああ、ただのニートか」とか、「ああ、無職なんだね」とか、「ああ、あの変な人達か・・・」などというように、わりと冷たい扱いをしがちなのですが、ただ、はっきりわかっていることは、現在、そうしたことに関わっている人々の生み出しているものの中には、それが百のうちの一つか、あるいは、千や万のうちの一つかはともかくとして、やがて、しばらく時代が過ぎた頃には、多くの人々から、「ああ、あの有名な作品ですね」とか、「あの人の活動がなければ、今の世の中はないんですよね」とか、「なんで、こんな立派なアートが、あの時代にはキワモノ扱いされていたんでしょう」などと言われるようになるものも必ず含まれているのではないか、ということなのです。

 ですから確かに世の中の平均としては、多くの人々が、まともな職業に就いて、普通の生活を送るのが当たり前であるとしても、そうした世の中の中にあって、一部の人々が、「これこそが、本当の素晴らしい美なのではないか」とか、「これって、とても楽しいよね」とか、「この技術を極めると絶対に素晴らしい何かができる」などというように、いろいろな分野で人目につかないところで、様々な試行錯誤をし続けているということは、それは外国の真似ばかりして、そうしたものを、あまり詳しい事情もよくわからないまま何でもありがたがって、そのまま受け入れたり、あるいは、よくわからないまま何でも排斥しようとしがちな発展途上国的な文化から、常により優れた独自のオリジナリティーを求め続けようとするような人々が大勢いる先進国的な文化に変化してきた何よりの印なのだ、ということを客観的に理解できるくらいの知性を持つことは、とても大切なのではないか、というように私は考えています。

※当然のことですが、これは犯罪や反社会的な行為を奨励するような意味ではないので、特に他の人々を傷つけたり、害するような行為は、こうした内容には全く含まれていません。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2015年6月5日 9:25 PM, 人生観、世界観 / 成功論、繁栄論 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 芸術、美



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