Light Symbol

職業と人生 Part 1

 今回から「職業と人生」というテーマで述べてみたいと思います。

 多くの人々の悩みの一つとして、「自分に一番合った仕事は、いったい何なのか」とか、また、何らかの仕事に就いていたとしても、「果たして、本当に自分に、この仕事が一番合っているのだろうか」などと時折、深く自問自答することがあると思うのですが、こうした職業と人生に関わる内容について、今回から幾つかの観点から述べてゆきたいと思います。

 

1、少し前の身分制の厳しい時代には、ほぼすべての人が、この世に生まれた時点で、その人が一生就く仕事が、あらかじめ決まってしまっているようなところがあった

 まず第一には、これは少し前の身分制の時代の話になるのですが、多くの人々は、その人が、この世に生まれてきた時点の段階で、その後の職業や人生の様子が、あらかじめ、ほぼ完全に決まってしまっているような時代が、世界中のあちこちで続いていました。

 つまり、基本的に何かよほど大きな社会や人生の変化でもない限りは、軍人の子供は軍人、商人の子供は商人、技術者の子供は技術者、農民の子供は農民というような時代が、人類の歴史では、かなり長い期間に渡って、続いていたのですが、それが近現代に移り変わるにつれて、そうした身分制の時代は終わりを告げて、軍人の子供であっても、本人のよほどの強い希望でもない限りは、別に軍人にならなくてもよいし、また本人の希望や才覚がある場合には、商人になってもよいし、技術者になってもよいし、また農業に従事してもよいというような、いわゆる自由に職業を選べる時代に大きく変わってきたわけです。

 さて、それでは、多くの人々が、そうした職業の自由を得るようになる少し前の時代までは、多くの人々は、自分の職業に関して、いったいどのように考えていたのか、というと、おそらく、こんな感じだったのではないか、と思われます。

 「自分の親が大工だったので、自分は物心ついた頃には、すでに大工の手伝いをしていて、それから、あの建物、この建物と注文があるたびに、あちこち呼ばれて仕事をしているうちに、すぐに数十年経ってしまった」とか、「自分は小さい頃から、お店に丁稚(でっち)に出されて、毎日一生懸命働いていただけなので、別の仕事の人生なんて、全然考えたことすらない」とか、「私の場合は、子供の頃に親が仕事を探してきてくれて、大きな屋敷のお手伝いに入ったので、今では、お屋敷の仕事で忠実に働くことぐらいしか全く考えることができない」とか、「自分の親は武士(貴族)だったので、小さい頃から殿様(王様)への強い忠誠心を持って、武芸に励んだり、いろいろな役割をこなしてきたので、多分、一生、こうした人生を続けてゆくし、多分、次の世代も、ほぼ同じような人生を送るのだろう」とか、また少し変化のあるケースでは、「かつて自分が住んでいた町や村は、戦災や災害ですっかりダメになってしまったので、仕方なく方々を流浪しているうちに、全然違う仕事に就くことになってしまった」とか、「親や村の人々が教えてくれるようなやり方で農業や牧畜や漁業をやっていかないと、自分や家族の食べ物や生活必需品を十分に確保してゆけないので、とにかく毎日毎日を一生懸命働くしかない」とか、「生まれ育った町や村では人手が余って、食べれなくなってしまったので、仕方なく都会に出て、何とかその日暮らしをしながら、自分のできそうな仕事を探していたら、今の仕事に出会った」などというように、少し前の身分制の時代には、はっきりと自分の意思で仕事を決めた人なんて、一番身分の高い王様や貴族のような人々から、一番身分の低い奴隷のような人々まで、ほとんどいなかったのではないか、ということなのです。

 つまり近現代に入って、厳しい身分制の社会が崩れてゆき、多くの人々が、だんだん職業選択の自由を得てゆくような時代になるまでは、ほぼすべての人は、その人が生まれた時点で、その人が一生してゆく仕事や生活が、ほぼオートマチックに決まってしまうような時代が、非常に長く続いていたのです。

 

 続く・・・

 

 追伸

 ずっと霊がかった話が続いていたのですが、今回から、もう少しこの世的な話になります。

 

Cecye(セスィエ)

2015年2月12日 9:03 PM, おすすめ記事 / 人生観、世界観 / 成功論、繁栄論 / 歴史 / 社会、文化



«

»

おすすめ記事

過去の記事