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イエスについて Part 32

 第二には、これは、前にも少し述べたことなのですが、実は、元々のイエスという人物は、それほど性的に潔癖というほどの人物ではなかった、ということです。

 この説明は、少し難しいのですが、簡単に言うと、大体、次のような三つの内容になります。

 

1、真のスピリチュアリティー(霊性)においては、イエスと、彼の母のマリアを偉大な聖人の中心に据えるのではなく、神の男性性と女性性(神と女神)の調和や融合や、イエスの男性性と女性性の調和や融合を表すような霊的な象徴がないと、「愛」をメイン・テーマに据える宗教としては、かなり片手落ちなところがある

 まず第一には、これは、現在、伝えられているイエスという人物の家族構成というものを考え直してみると、非常によく分かると思うのですが、まずは、彼の母は、とても信仰深く、慈愛深く、優しそうな人物で、彼の父は、やはり、それ相応に、同じように霊的なものは求めていたけれども、当時の時代としては、あまり目立たない地味な大工の仕事をしていたことになっていて、それから、彼には、何人か、兄弟姉妹がいたらしいのですが、彼の家族関係は、それで、おしまいで、後は、彼は、生涯、結婚せずにいたことになっているので、結局、いたのは、彼と、彼の弟子だけ、というような感じだったのではないか、ということになるのですが、実は、これだと、元々のイエスの霊的なミッションは、かなり不完全なものになってしまう、ということなのです。

 その理由は、単純なのですが、キリスト教と言えば、「信仰」と「愛」と「希望」、というくらい、「愛」は、非常に重要な教えの要素になっているのに、その愛を説く、イエス自身が、生涯、ただの独身の人物であった、ということになってしまうと、その時点で、もう彼の説く愛は、かなり、いびつな偽物の愛、というか、美しい、きれいごとの言葉は、たくさん並んではいても、その実は、現実の人間的な感覚もなければ、現実の生活感も全くない、というような、言ってみれば、今日的な言葉で言うと、全く非現実的な、ただの戯言(たわごと)のような話になってしまう、ということなのです。

 それゆえ、当時のイエスが、多くの人々に、「愛」というメッセージを、確実に伝えるためには、日頃の彼の言動が、愛に満ちたものであると同時に、日頃の彼の仕事や生活も、愛に満ちたものでなければならなかったはずなのですが、そうすると、そもそも、この地上の世界において、多くの人々や生き物達が存在できる、最も根源的な要素であるセックスや、それに伴う子孫の誕生、つまり、異性との結婚や、子供の出産や養育に関しても、ある程度、お手本みたいなことができるような人物でないと、やはり、当時の時代においても、愛を説く人物としては、かなり片手落ちになってしまう、というか、そもそも、セックスや子供の妊娠や出産を創ったのは、この宇宙の創造主である神であるはずなので、そうしたセックスや妊娠出産を全否定してしまうと、はっきり言うと、神の代理人のような人物とは、全然、言えなくなってしまうようなところがある、ということなのです。

 それゆえ、当時のイエスという人物も、そういう問題に関しては、かなり熟知していたはずなので、彼自身が、あまり長生きできない、ということは、事前に、ある程度、予知していたにも関わらず、ある意味で、それを、あらかじめ、承知の上で、結婚できるような、彼の伴侶となるべき女性を求めていたようなところがあったのです。

 その後、まるで運命の引き合わせのように、やがて、彼の前に、将来、彼の伴侶となるべき女性が現れることになるのですが、聖書にも、少し記述があるように、もともと、イエス自身が、霊的にも、地上的にも、命が狙われ続けていたようなところがあったように、彼の伴侶となる女性も、かなり前々から、用意周到に、いろいろな手段でつけ狙われていたようなところがあったので、今日、「マグダラのマリア」として知られている女性が、最初に彼の元にやってきた際には、霊的には、ちょっと、いろいろと問題があるような状況になっていたのです(後の彼の主だった弟子に関しても、ほぼ同じようなことが言えます。原則、当時のエリートみたいな教養のある人間は、あまりいなかった、ということです)。

 そして、その後、いろいろな経緯を経て、今日、マグダラのマリアとして、知られている女性と、彼は、結婚することになったのですが、ここで重要なのは、本当のスピリチュアリティー(霊性)の象徴としては、こうした形で、単に、「イエス」という男性のキャラクターだけではなく、もう一つ、彼の半身に当たるような、女性のキャラクターとの融合(結合)、統合のような要素がないと、はっきり言うと、本物の真理としては、かなり片手落ちのような部分があるのです。

 つまり、人間には、人種や民族や身分に関わりなく、「男性」と「女性」という大きな二種類の存在がいるので、そうした男性と女性が、お互いに愛し合い、一緒に仲睦まじく、協力し合うことによって、最高の幸福が実現できるように、この宇宙の創造主である神は、この宇宙を創造する際に考えたのではないか、ということなのですが、そうすると、これは、現代人の感覚としては、かなり分かりやすいのではないか、と思われるのですが、「神の象徴」、というか、「神の代理人」のような存在として、単に男性のイエスという人物のみが、全面に出てきて、浮いているような状態であると、どうしても、そうした宗教というのは、女性的な側面を軽視して、男性的な強さであるとか、知性というものを全面に押し出した形の、いびつな宗教形態になりやすかった、ということなのです。

 それゆえ、当時のイエスは、もちろん、霊的な教えを説くのは、彼が中心だったのですが、神の「男性性」と「女性性」(もしくは、「神性」と「女神性」)を、うまく融合して、調和した形で、多くの人々に表すために、彼は、教えを説き始めた、わりと初期の段階から、彼の半身のような女性と結婚して、「男性」と「女性」の調和や融合や、あるいは、「男性性」と「女性性」の調和や融合ということを、ごくごく、自然な形で、多くの人々に、ある意味で、お手本として、指し示すことにしていた、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年2月5日 9:03 PM, おすすめ記事 / キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 結婚、家庭



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