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「愛」について Part 12

④長い年月の間に人類が、生物的な進化のプロセスの中で培ってきた闘争心や向上心の影響によって、このままだと現在の人類は、どんなに理想的な社会を築いても、いつまで経っても、完全に満足した感覚のない半永久不満足社会しか作れない可能性がある

 第四には、これも、なかなか難しい問題なのですが、実は、先ほどの話と同様、愛の概念の中には、よく考えてみると、根本的にほぼ完全に充足不可能(つまり、ほぼ絶対に満たされないような感じ)と思われるような、かなり大きな矛盾を抱える大問題が存在していたのではないか、ということです。

 これは近未来の世界にならないと現代人では、やや分かりづらい話になるかもしれないのですが、実は、人間の精神性の中には、これまでの生物的進化のプロセスの中で培われてきた、かなり根源的な闘争心や向上心のようなものがあるので、結局、それらの影響によって、かなり平和な調和した社会になっても、ちょっとした弾みで、すぐに何らかの闘争状態、もしくは、競争状態を意図的に作ろうとしてしまうとか、あるいは、客観的に見る限り、昔の人なら、ほぼ完全に「最高のユートピア」のように認識するような社会になっても、まだまだ、そう簡単には絶対に満足しきれない、というような、向上心というよりも、もっと簡単に言うと、ある種のほぼ絶対的な感覚の自己否定欲求(常に自分は、「やっぱりダメなんだ」と思ってしまうような妙な感覚のこと)のようなものがあるようなのです。

 客観的に見る限り、多くの人々が、こうした意識をあまりにも強く持っていると、この先、人類が、どこまで学問や科学を進歩させていったとしても、また、どこまで、より平和で豊かな社会を築いていったとしても、その時代の人々は、常に現代人とほぼ同じように「他の人達よりも、もっと凄いことをしないとダメなんじゃないか」とか、「この社会は、何か不完全なのではないか」とか、「何か、もっと良くなるようなところがあるんじゃないか」などというように、はっきり言うと、永久不満足社会(永久にいつも不満足な感覚の人々が住んでいる社会のこと)しか作れない生物種になってしまう可能性もあるということなのです。

 つまり、こうした精神的傾向性を持つ人類が、「愛」という、先ほど述べたように最高に魅力的であるにも関わらず、かなり漠然かつ、かなり大きな自己矛盾を抱えた概念の完全充足を目指してゆくと、おそらく、いくら何をやっても、他の人々や生き物達を完全に満足させた感覚もなければ、また自分自身も完全に満足した感覚もないとか、いくら努力しても、何かを完全に成し遂げた感覚もなければ、また何かによって、完全に成し遂げられた感覚もない、というような半永久的な不満足社会になってしまう可能性があるということなのです。

※まだ、このブログでは触れていないのですが、物質世界の宇宙では、基本的に単細胞生物から、より複雑な形態の生物へ、というように、どんな霊的な存在であっても、まずは単純な生命としての体験を繰り返しながら、だんだん、より複雑な、いろいろな形態の生命種としての生命体験を積み重ねてゆき、そして最終的には、現在、私達が「人間」と呼んでいるような生命の体験をしてゆくような霊的進化のプロセスを経てゆくようになっています。

 ですから現在、人間として生活している、ほぼすべての人は、霊的に見た場合、基本的には、人間以外のさまざまな生物としての生まれ変わりをたくさん経た上で、最終的な形態として、現在の人間のような生命の体験をしていることになります。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年12月20日 9:04 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 予知、予言、未来予測 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 愛について / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 自然、生命



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