第五には、これは、ある意味で、これらの一連の話の結論になるような話になるのですが、とにもかくにも「愛」に関して、大切なことは、自分の成長と、他者への奉仕を、いかにして、うまく両立させてゆくか、ということになります。
これに関しては、大きく五つのことが言えます(話が長くなったので、結局、とりあえず、二つだけになりました)。
1、長い間、人類を苦しめ続けてきた、愛にまつわる悲劇の問題を根本的に解消するためには、多くの人々の間の相互のコミュニケーションを促進することと、若いうちに、多少、大変な体験と、多少、贅沢な体験の両方を経験しておく必要がある
まず第一には、これは、とても難しい話になるのですが、よく小説や映画のテーマに取り上げられるような、愛に関する悲劇の問題、つまり、その人物としては、本当に、一生懸命、誰かのために、愛の行為をしていたはずなのに、結局、いろいろな間違いや行き違いから、そうした愛の行為が報われずに、何らかの形で、悲惨な悲劇の結末になってしまう、とか、あるいは、お互いに、少しでも良くなるような愛の行為を心掛けていたはずなのに、どこかの段階で、二人の心が、だんだん、すれ違ってゆき、結局、二人の愛は結ばれずに、お互いに争い、苦しめ合うような結果になってしまう、とか、お互いに、離ればなれとなり、バラバラになってしまう、というようなことが、昔から世間では、時折、実際の出来事として、起きては、多くの人々の耳目を集めてきたようなところがあったのです。
そうすると、結局、多くの人々の心の動きを見てゆくと、「ある人は、誰かのことを、本当に心の底から愛して、献身の行為をしたい」、と望んでいたとしても、その当の誰かは、全然、そうした相手の気持ちに気付かずに、「別の誰かを愛してゆく」、とか、「かえって、そうした相手の気持ちを重く感じてしまい、距離をとって、逃げようとする」、というようなことが、世間では、結構、多かったりするわけなのです。
それでは、もし、こうした状況において、最善の愛の実現を目指すのであれば、いったい、どのような行動をとればよいのか、というと、これは、細かく考えてゆくと、本当にきりがないくらい、ちょっと、ややこしくて、また、難しい話になってしまうのですが、私が考えるには、おそらく、最善の愛の実現を目指してゆくには、次のような二つのことが、とても大事になるのではないか、と思います。
1、愛の行為の誤解やすれ違いを避けるためには、少しでも相手の気持ちを正しく理解し、また、自分の気持ちが、相手に正しく伝わるような努力をしてゆくことが、大切である
まず第一には、これは、とても単純な話になるのですが、愛の行為において、とにもかくにも大切なのは、そうした愛の行為を行い合う人々や生き物達の間で、いかにして、不必要な誤解や行き違いを避けて、お互いに、相手のことを、最もよく理解し合った状況において、相手のために、何らかの愛の行為をしたり、あるいは、相手へのお礼や感謝の気持ちを伝えるか、ということになってくると思われます。
つまり、何か、ものすごく、一生懸命、何らかの愛の行為をしたのに、それが、結果として、あまり良い形で報われないことがあるのは、ひとえに、相手の気持ちが分かっていない、とか、自分の気持ちが、相手に、正しく伝わっていない、ということに尽きているようなところがあるので、そうした愛の誤解や行き違いを避けるためには、とにもかくにも、少しでも多く、相手の気持ちを、正しく理解するための努力をすると共に、少しでも多く、自分の気持ちが、相手に正しく伝わるような努力をしてゆくことが、とても大切なのではないか、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2012年12月16日 9:01 PM, 愛について