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その占いが当たる、当たらない以前に、まず、その占いをすること自体が吉なのか、凶なのか、というような素朴な問題がある Part 2

2、人生の壁にぶち当たった時に、合ってる、合ってないはともかくとして、何らかの結論を力強く、はっきり言ってくれる人がいることは、いっけん、とてもありがたいことなのだが、長い目で見ると、いろいろ問題が起きることも多いので、そうした際には、「本当に自分と同じ悩みや問題で困っている人はいないのか」ということを再度、調べ直してみて、その上で、わりとオーソドックスな解決策を試みた方が、無難なケースが多い

 第二には、これは本当は、あまりはっきり言いたくないのですが、現在、社会に生きる多くの人々は、その人自身の本心としては、先ほども述べたように自分に対して、「たとえ少々、間違いや嘘が混ざっていてもよいから、何か断定調で、パッと一言(ひとこと)で、はっきり言ってほしい」というような潜在欲求のようなものがあることが多いので、その占い師が、本当に当たるかどうかということはともかくとして、とにかく自分の悩みや問題に対して、何か一言で、はっきり断定してくれるような人を、まるで自分の一生の先生や相談相手のように強く欲してゆくようなところがあるのです。

 たいてい短いスパンで見ると、自分の目先の悩み事や問題で、もう頭がいっぱいの場合には、そうした当たるも八卦(はっけ)、当たらぬも八卦で、どんなことでも一刀両断してくれる先生や相談相手のような人物がいると、とても便利なようなところがあるのですが、ところが長い目で見てみると、そのような形で、ある意味で無責任な形で、自分の人生の決定や進路というものをあれこれ言われていると、たいてい、どこかの時点で結構、取り返しのつかない大失敗や大混乱状態に陥ることも多いので、その時点になって、やっと、まるで目が覚めたかのようにそうした占い師のもとを去って、自分の身近な人々に、あらためて相談し直してみるようになるとか、何らかの専門家や専門の窓口を叩くような結果になることが、世間では、意外と多いものなのです。

 これが、いわゆる時折、世間を騒がせている、ちょっと問題のある占い師や宗教家の問題であるのですが、ただ、ここで注意しなくてはならないことは、どんなに優秀な立派な人であったとしても、人間の人生というのは、いつもいつも順風満帆に進んでゆけるものではないということと、それと、もし自分の人生が途中で思いがけず、うまく行かなくなるような状況になった際には、その答えが良いか悪いかはともかくとして、とにかく何か藁(わら)にもすがる思いで、誰かに相談したくなるのが、人間の常であるということなのです。

 ただ、私は思うのですが、実は多くの人が、「これは突然、自分の身に臨んだ自分一人だけの力で解決しなくてはならない、とんでもない大問題なんだ!」と思うような、いっけん、かなり特殊な難しそうな悩み事や問題であったとしても、世間というのは狭いもので、意外と何百人に一人とか、何千人に一人ぐらいは、同じ似たような悩み事や問題で苦しんだり、困ったりしていることは結構、数多くあるものなのです。

 ですから私は、その時々の自分の悩みや問題に対して、わりと強い語調で、まるで一刀両断するかのように、一言で何らかの答えを言ってくれるような占い師や宗教家のような人がいることは、いっけん確かに便利で心強いように感じられることも分かるには分かるのですが、ただ短期的には、それで、あたかもすべての悩み事や問題が解決したかのように見えたとしても、長期的に見ると結局、何の問題解決もできずに、その時以上に結構、いろいろな大変な大問題に発展していってしまうこともよくあることなので、それゆえ、そうした際には、できれば、「自分と同じ似たような悩みや問題を抱えた人々は、本当に他にはいないのか」ということをもう一度、よくよく冷静に調べ直してみることと、その上で、もし、そうした人々がいた場合には、そうした人々が、一般的に行う問題解決の手法を一通り行ってみるような問題解決の方法を試みた方が、ずっと良いのではないか、というような率直な感想を持っております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年12月8日 9:02 PM, 人生観、世界観



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