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その占いが当たる、当たらない以前に、まず、その占いをすること自体が吉なのか、凶なのか、というような素朴な問題がある Part 1

たいていの人は、何とはなしに自分より上位の「師」や「先生」のような存在を求めてゆきがちなのだが、こと「占い師」との関係においては、それが「吉」と出ることもあれば、「凶」と出ることもあるので、とかく注意が必要なものである

 第二には、これは世間では、あまり言われないことなのではないか、と思われる内容になるのですが、実は、現代社会に生きる多くの人々は、とにもかくにも誰か自分より一段高いような立場の人間に、本当でも嘘でもいいから自分の悩み事や迷っていることを、はっきり断定的に、きちっと断言してほしい、というような潜在欲求のようなものがあるということです(人にもよるのですが、たいてい、そういう風に誰かにきつく言われた時になって、やっと自分の本音が出てきて、「これがやりたかったんだ!」とか、「これだけは絶対、嫌だ!」というのが、はっきり出てくるものですから・・・)。

 つまり、これも元をたどると学校的世界観の影響とも言えないこともないのですが、多くの人々は、たとえ現代のような自由主義社会であっても、誰か自分が絶対的に信じて、ついていってもよい人や、あるいは、何か困ったことがあった時に、パッと一答の下に正しい答えを出して、自分を導いてくれるような人を、心の底から求めているようなところがあるということなのです。

 これは、いわゆる「神様、仏様」と「信者」の関係や、あるいは「師」と「弟子」、あるいは「先生」と「生徒」の関係とも、ほとんど同じようなところがあるのですが、たいていの人は、「この人は自分が信じて、いろいろ相談したり、指示を受けてもいい人」とか、「この人は上でも下でもなく、自分と同じような立場の人」とか、「この人は自分の保護下にあって、自分が、いろいろ指導しないといけない人」などというように、これは表向きは言葉で、はっきり宣言するようなことは非常に少ないのですが、たいてい無意識のうちに自分の身の回りの人々を、「この人は自分より上で、この人は自分と同じで、この人は自分より下の人」などというように上下の関係で分けて、付き合ってゆくようなところがあるということなのです。

 これは会社や学校の中の人間関係や、家族や友人の間の人間関係においても、ほとんど同じように言うことができるのですが、さて、こうした観点で例の「占い」というものを見てみると、いったい、どのようなことが言えるのか、というと大体、以下のような三つのことが言えます。

 

1、占い師に相談しても、その問題の内容により良い解決策が得られるケースと得られないケースがあるので、できれば、その悩みや問題の専門家か、あるいは専門の窓口に直接相談した方が、より良い結果を得られることが多い

 まず第一には、これは現代社会の一番の問題なのではないか、と私は思うのですが、とにもかくにも現代社会というのは、特に都市生活になると、それぞれの個人個人が、いろいろな意味で孤立的、というか、一種のライバル関係、というか、敵対関係になってしまっていることが多いので、たいてい多くの人々は、普段の仕事や生活がある程度、順調にうまく行っている時には、それほど問題ないのですが、ところが、「こんな難しいこと、身の回りの誰に聞いても全然、答えが出ないや」とか、「ちょっと、これは今の自分には全然、先行きが全くよく分からないな」とか、「成り行きの生活をしていたら、もうどうしたらいいのか、すっかり分からなくなってしまった!」というような状況に陥ってしまうと、本当に藁(わら)にもすがる思いで、「この人に聞けば、正しい答えが出るのではないか・・・」とか、「あの人に相談すれば、何か道が開けるのではないか・・・」などという具合に突然、これまでの自分の人生では、ほとんど気にも留めなかったような、ちょっとした人生相談や占いようなものに惹(ひ)かれていってしまうようなところがあるのです。

 つまり、このケースの場合の本質的な問題というのは、要するに会社や学校や家族や友人といった自分の身の回りの人々に相談しても全然、答えが出ないとか、あるいは、とてもではないが、内容が内容なので全然、相談することができないような、これまでの人生には全くなかったような複雑な問題に対する解決策を得るために、それ以外の第三者である信頼できる誰かに藁にもすがる思いで、何らかの正しい解答を与えてもらいたいということなのではないか、と思われるのですが、実は、現代社会において、こうした「まずは、なかなか正しい解答が出せない」とか、あるいは、「内容が内容なので、とてもではないが、身の回りの人に相談できない」というような、かなり特殊な問題に対して、一番オープンな形で、気軽に相談できる「窓口」というのは、実際問題として、ほんの少し前の時代までは、よく繁華街の裏で軒を連ねているような「占い」以外には、ほとんどなかった、ということなのです。

 それでは、そうした占いによって、本当にそうした、かなり複雑で難しい問題は解決したのか、というと、これが、なかなか一言では言えないようなところがあって、「実際に解決したことも多かった」と言えるようなところもあれば、また、その反対に「実際には、ほとんど解決しなかった」と言えるようなところもあるというのが、実際の現実だったのではないか、ということです。

 その理由は単純なのですが、こうした占い師のような人々というのは、たいてい、だんだん経験を重ねるうちに、本当にその当人としても全く知りたくもないような、きれいごとの全く通用しない世間の裏の裏の事情まで深く精通するようになってゆくことが多いので、たいていの人々は、そうした占い師と、いろいろ話し合ううちに自分の置かれた客観的な状況をある程度、冷静に把握できるようになり、その結果、「まあ、こんな形で、いろいろなことをするのが賢明なところだろう・・・」というような、いわゆる世間の落とし所のようなものを、しっかり把握してゆくようなところが多いからです。

 その反対に、これは、あまりはっきりとは言いたくないのですが、残念ながら、そうした占い師のような人々であっても、自分の専門外のことや、自分のあまり詳しくないようなことについては、全くの素人であることも多いので、その結果、そうしたその占い師には、あまり適切とは言えなかったような相談事をしたケースにおいては、結局、あまり良い結果になっていないのではないか、ということなのです。

 さて、話を戻しますが、要するに多くの人々が、身近な誰かではなく、あまり個人的に親しくもないような占い師に相談に行く時というのは、逆に言うと身近な人に相談しても、誰も、ちゃんとした解答を出してくれないケースや、あるいは問題が問題なので、ちょっと身近な人には全然、相談できないようなケースが非常に多いということなのですが、実は、こうした場合に占い師に相談に乗ってもらっても、その占いが当たる、当たらない以前にその事情について、その占い師が、どれだけ詳しいのか、あるいは、詳しくないのか、という問題があるので、実際には、それによって、その人が、どれだけ冷静に正しい判断ができるようになるのか、ということが、もともと相談する以前からある程度、決まってしまっているようなところがあるのです。

 それゆえ私の結論としては、その個人の問題に関して、もし何らかの専門家や専門の窓口がある場合には、多少、お金がかかったり、あるいは多少、下調べや勇気が必要であったとしても、できれば、そうした専門家や専門の窓口に相談して、まずは冷静に自分の問題を客観的に把握して、その上で何らかの解決策を決めていった方が、より良い結果になるのではないか、というように率直に感じております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年12月7日 9:11 PM, 人生観、世界観



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