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その占いが当たる、当たらない以前に、まず、その占いをすること自体が吉なのか、凶なのか、というような素朴な問題がある Part 3

3、どんなに素晴らしい優秀な人であっても、その人を100パーセント、完全に信じきるようなことは絶対にせずに、大体、8割ぐらいは信じるけれども、残りの2割ぐらいは少し余裕を持って、その人を単なる普通の一人の人間として、自然に受け入れるような態度を持つことが、とても大切である

 第三には、これは、かなり問題の多い話になるのですが、世の中の一部の人々は、こうした占い師や、ちょっとした宗教家のような人との関係において、ある程度、「この人は、絶対に信頼のおける人物だ」と確信してしまうと、その後は、なぜか、その人をまるで本物の神の化身のごとく、絶対的に信じて、付き従うようになってゆき、まるで宗教的な弟子のような態度をとるようになってしまうことがあるということなのです。

 この問題は、ちょっと複雑なので、そう簡単には断言できないような内容であるのですが、ただ、私が考えるには、これは、おそらく今後の未来型の宗教(もっと正確に言うと、現代人から見ると「非宗教的宗教」)の標準形態になるような考え方なのではないか、と思われる内容になるのですが、要するに一人の師のような人物に対して、大勢の人々が、何から何まで依存し、付き従ってゆくような、これまでの時代のような宗教のスタイルというのは、もうすでに時代遅れなのではないか、ということと、おそらく今後の未来社会においてはある程度、一人一人が自立して、そこそこ大きな知恵や技術を持ちつつ、この宇宙の創造主の下に付き従ってゆくような信仰のスタイルに変わってゆくのではないか、と私は考えているので、そうした意味では、はっきり言うと、別にこの宇宙の創造主とか、それに準じるくらいのものすごい覚者のような人物でもないような人間に対して、一昔前の時代のように、ちょっとした知恵や技術を教えてもらうために、それほどものすごい礼儀を重んじたり、何から何まで依存し、付き従ってゆくような行動をとる必要は全くないのではないか、ということなのです。

 それでは、こうした自分にとっての、ちょっとした人生の師であるとか、あるいは、ちょっとした人生相談に乗ってもらうような人には、いったいどのような態度をとればいいのか、というと、これが意外と難しくて、「自分としては、いろいろ、たくさん詳しく教えてもらいたい」という気持ちと、「相手が、どんな人であっても、そこそこ相手の性質というか、本性が分かるようになるまでは、それなりに用心しなくてはならない」というような気持ちの間で、多くの人々は実際、今日もあれこれ悩み続けているのではないか、と私は思うのですが、要するに私が考えるには、こうした際に重要なのは、次のような二つのことなのではないか、ということです。

 まず第一には、これは当たり前と言えば、当たり前のことなのですが、その相手の人が、どんな人であったとしても、この地上の世界で生きている限り、それなりの経済力、つまり仕事の経費や生活費がかかるものであるので、それゆえ、たとえ相手が、あまりはっきりと口に出さなくても相手の仕事相応の対価は、ちゃんと支払ってあげる心づもりを持つことがとても大切なのではないか、ということです。

 第二には、これも世間では、あまりはっきりとは言われないことなのですが、たとえ相手が、どんなに立派な素晴らしい人であったとしても、100パーセントすべて、その人を完全に信じきるような態度は絶対にとらずに、大体、8割ぐらいは信じるけれども、残りの2割ぐらいは、ちょっと用心のために保留、もしくは、少し距離を持つぐらいの感覚を持っておくことがとても大事なのではないか、ということです。

 その理由は単純なのですが、これは、みなさんの実生活を見れば、よく分かるのではないか、と私は思うのですが、実際問題として世間的に見て、どんなに素晴らしい優秀な人であったとしても、若い時には、それなりに苦労していることが多かったり、また長い目で見ると、人生には、いろいろな出来事があるものなので、たとえ、それなりの年齢になっていたとしても、時には、大変な肉体的疲労や精神的ストレスを抱えているようなことも、結構多いからなのです。

 つまり、どんなに素晴らしい優秀な人であったとしても、長い人生の中では、いつもいつも順風満帆に行くわけではないし、また、そうした苦難や困難の時というのは、若い頃ばかりでなく、中年以降や、そこそこ年をとった50代、60代以降であっても、何らかの突然の状況の変化に見舞われたり、あるいは、何か新しいことに挑戦し続けている限り、何度でも何度でもあるものなので、そうした目で見る限り、たとえ自分が、どんなに心の底から尊敬し、素晴らしいと感じているような人であっても、常に100パーセント完全にその人を信じきるような態度は、絶対にとってはいけないようなところがあるということなのです。

 ですから私は、基本的に、たとえ自分が、その人のことを、どんなに素晴らしい優秀な人であると心の底から感じていたとしても、常に完全に100パーセント信じきるような態度は絶対にとらずに、大体、8割ぐらいは信じるけれども、残りの2割ぐらいは少し余裕を持って、時には、そうした人であっても間違いや誤解をすることもあれば、肉体や精神の不調から調子を崩して、ちょっとした失敗をすることもあるというように少しだけ距離を持つ、というか、少しだけ相手のことを思いやるような態度を持つことがとても重要なのではないか、というように率直に感じております。

 

Cecye(セスィエ)

2011年12月9日 9:07 PM, 人生観、世界観



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