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たとえ高次元の光の存在達であっても、彼らは高次元世界にいるだけで、基本的には、地球の普通の人間と大して変わりないので、彼らへの過度の期待や盲信や依存は、百害あって一利なしである Part 1

1、たとえ高次元の光の存在達であっても、彼らは高次元世界にいるだけで、基本的には、地球の普通の人間と大して変わりないので、彼らへの過度の期待や盲信や依存は、百害あって一利なしである

 まず第一には、これは、この地球でも宇宙でも一緒なのですが、現実問題として地球人が、すぐに想像しがちな非常に強力な指導力と救済力を持った神仏のような存在というのは、この宇宙には存在していないということです。

 これは、みなさん自身の経験に照らし合わせて考えてくだされば、すぐに分かるのではないか、と私は思うのですが、みなさんが、これまでの人生において、「神様、仏様、私を助けてください」、「どうか私を見守っていてください」などと一番心の底から思ったのは、どんな時だったか考え直してくださると非常によく分かるのではないか、と思うのですが、それは、とにもかくにも自分や、自分の愛する家族や友人が、何らかの事情で危険な目に遭っていたり、病気で大変な状況になって、辛くて辛くて、どうしようもない時や、苦しくて苦しくて、とても大変な時だったのではないか、ということなのです。

 確かにそうした時に、霊的に見て高次元の世界(神仏や天使の世界)から、何らかの救いや癒しの光のようなものは来るかもしれないのですが、しかしながら、たとえ、そうした神仏や天使のような光の存在達がいたとしても、それは地球の多くの人々が考えがちな、「いつでもどこでも人類のためなら、いかなる自己犠牲もいとわずに半自動的に助けに来てくれるような存在達」なのではなくて、そうではなく、言ってみれば、現在の人間社会で活躍している警察や軍隊や医者や教師のような人々と、基本的には全く同じように普段は、そうした存在達独自の楽しみや幸福の追求もしているけれども、ただ職務上、というか、仕事上は、いろいろな人達の救援や指導の要請があれば、できるだけ最善を尽くして、そうした人々を何らかの危害から守ったり助けたり、癒したり導いたりするような、つまり、もっとはっきり言うと個人としての幸福も、また多くの人々の幸福も、できるだけ最高に実現したいと考えているような、現在の地球人とほとんど同じような感覚を持った、ごくごく普通の人間のような存在達であったということなのです。

 つまり地球上の宗教的な傾向としては、何か神仏のような存在を受け入れると、「自分のためなら何でもしてくれる」とか、「神仏の都合なんて全然考えずに自分は、どんな願い事でもしていいし、自分の罪でも穢れでも何でも好きなように押し付けてよい」というような、はっきり言うと、かなり人間中心的、というか、自己中心的な神仏自身の都合や立場なんて、全然気にしないような、今日の民主主義風に言うと、いわゆる「神仏」と呼ばれる光の存在達の人権を、かなり不当に踏みにじるような発想の宗教が、この地球には、あまりにも数多くあるために多くの人々が、「神様」、「仏様」と呼んでいるような霊的な存在達というのは、人々の単純な思い込みとは、まるっきり違って、実際には、かなり辟易(へきえき)としているようなところがあったのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年7月7日 9:22 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳



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