3、よく国語教育を受けると、貴族は、生まれながらの高貴な人々だが、一般庶民は、低俗な欲望まみれの生活を送っているようなイメージの刷り込みをされることが多いが、実際には、貴族の人々は毎日、贅沢し放題、セックスし放題といった欲望まみれの生活をしていたので、あえて、そうした欲望を追い求める必要性も、詩歌に詠(うた)って、それを表現する必要性もほとんど感じなかった、というのが現実の実態だったのではないか
第三には、これも現代人には、よく分かりづらくなっていることの一つなのですが、よく、こうした「和歌や俳句などの詩歌の良さが分からないのは、教養人ではない」というような物の見方が、学校の国語の時間には、何となく、それとはなしに強調されることが非常に多いのですが、これは次のような点から見て、ほぼ完全な間違いなのではないか、ということです。
それというのは、こうした「和歌」や「俳句」といった詩歌のようなものというのは、基本的に一昔前の時代の、ほとんど働かなくても生活することができた武士や貴族階級のような人々の一種の教養文化のようなものであったと考えられるのですが、それでは、そうした武士や貴族階級の人々が、そんなに普通の庶民を馬鹿にできるほど、精神的に高貴な人々であったのか、というと、よく考えてみると、これには、かなり疑問の余地があるのです。
理由は二つあるのですが、まず、そうした武士や貴族の人達が、普通の人が当然と考えて、全く気にしなかったような風流の嗜みのために、そこそこ時間を使えたのは、何のことはない、そうした人々以外の大多数の人々が、毎日毎日、朝から晩まで、せっせと肉体労働をして働き続けていたからなのです。
つまり、そうした目で見る限り、言ってみれば、当時の貴族階級のような人々は、そうした多くの人々の労働の下にぶら下がって、生活していたからこそ、そうした余った時間で風流を嗜めただけである、というような見方もできるということです。
第二には、これは普通、多くの人々は、あまり考えたこともないような話になるのではないか、と思われるのですが、実は、そうした時代において、多くの一般庶民が、「こんな生活ができたらなあ〜」というように、すぐに考えがちであると言われているような、いわゆる低俗な欲望、例えば、「おいしいものが食べたい〜」とか、「贅沢な生活がしたい〜」とか、「たくさんの人達に、ちやほやしてもらいたい〜」とか、「きれいな女の人や男の人と楽しいことがしたい〜」というような欲望というのは、そうした風流を嗜む人々にとっては、別段、特別に追い求めるようなものではなく、何のことはない、単なる、いつものありふれた日常生活の一コマに過ぎなかったということです。
つまり、「そうした風流を嗜む人々というのは、一般庶民が持ちがちな低俗な欲望がないところがすごいんだ」というようなイメージを、そうした国語の授業では、何となく刷り込んでくるようなところがあるのですが、ところがよく考えてみると、そうしたイメージとはまるっきり違って、そうした風流を嗜めるような人々というのは、当時の一般庶民と比べると、毎日、うまいものを飲み食いし、ほとんど働かずに贅沢三昧の生活をし、また多くの人々から丁重にかしずかれ、そして、たくさんの女の人や男の人と楽しく過ごすような生活ばかりしていたので、そうした背景があったからこそ普通の一般庶民とは全く違って、そんなものにはあえて、ほとんど見向きもせずに、「季節の中の微妙な変化が素晴らしい」とか、「何もない質素な生活の中にも素晴らしいものがある」などと言えたようなところがあったのです。
つまり、本当は国語の時間に聞いた話のように、「一般庶民は、いつも低俗な欲望ばかりだが、貴族の人々は、いつも高貴な素晴らしいことをしている」とか、「風流を嗜む貴族の人々は偉い人々で、それが分からない田舎者の庶民は馬鹿だから、少しでも貴族の真似事ができるように頑張るべきだ」などというような話はほとんど嘘で、実際には、「貴族の人々は、普段から贅沢し放題の低俗な欲望まみれの生活を送っていたから、そんなことをあえて熱烈に追い求めるような必要性も、歌のテーマに取り上げるほどの必要性も全く感じなかった」とか、「農家や漁村の人々にとって、自然が、のどかで美しいことぐらい毎日見飽きるくらい、よく知っているので、あえて、そんなことを歌にする必要性すら感じられなかった」などというように、実際には、当時の貴族が、それほど偉かったわけでもなければ、また、その反対に普通の一般庶民が、それほど馬鹿で低俗だったわけでもなかったということなのです。
Cecye(セスィエ)