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古代や中世の日本や外国の言葉に当たる「古文」や「漢文」の授業は、苦労が多いわりに社会に出ても全く使えない無駄な勉強の代表格である

 これは、少し理解しづらい内容になるのではないか、と私は思うのですが、現在の社会では、よく考えてみると、ちょっと意味がないのではないか、というよりも、はっきり言うと、実生活では、ほとんど全く何の役にも立たないにも関わらず、訳の分からない権威ばかりが、ものすごく強くなってゆくような妙な教育内容が、山ほどあるということです。

 

3、古代や中世の日本や外国の言葉に当たる「古文」や「漢文」の授業は、苦労が多いわりに社会に出ても全く使えない無駄な勉強の代表格である

 第三には、これは現代の日本人だと、多分、まるで当たり前の常識のようになり過ぎていて、ほとんど誰も考えたこともないような内容になってしまっているのではないか、と思われるのですが、はっきり言って、現在、学校教育で行われている古代や中世といった大昔の日本語や外国語の勉強、つまり、「古文」と「漢文」は、ほとんど意味がないのではないか、ということです。

 日本の中学や高校では、結構、この古文や漢文に時間をかけて、勉強するのですが、これは、はっきり言って申し訳ないのですが、この古文や漢文の勉強というのは、たくさん時間をかけて授業を行い、いろいろな難しい単語や文法を丸暗記させられたわりには、社会に出て、全く使わなかった無駄な勉強の代表格だったのではないか、ということなのです。

 

自分が、本当にいいと思う前に、誰かの価値観を無理やり押し付けられるとか、実際には、全然使えない、難しい訳の分からないものに、さも価値があるように思わされるような現代の日本の古文や漢文の教育は、百害あって一利なしである

 具体的な例をあげると、例えば、日本の古文の代表格と言えば、「源氏物語」が有名ですが、日本の学校で「源氏物語」をやると、多くの人々の感想、というか、思い込まされる内容としては、「とにかく源氏物語は、ものすごく有名な素晴らしい文学らしい」とか、「とにかく古文は、ものすごく難しくて、ややこしかったので、そういう難しくて、ややこしいものには、ものすごい価値があるのだろう」というような感覚を持つ方が多いようなのですが、ところが、実際の私達の生活では、「大人になって、自分から進んで源氏物語を読もうと思った人なんて、ほとんどいない」とか、「多くの人々は、みんな難しいややこしいものを、すぐに毛嫌いする傾向があるので、そんなものが大好きな人なんて、実際には、せいぜい一部のオタクとか、変なマニアの人だけ」というのが、現実の世の中の実態なのではないか、ということなのです。

 こうした観点から見る限り、率直に言って、千年前の作品だろうが、何だろうが、その作品を読むか読まないかとか、好きと思うか否かということぐらい、自分で好きに決めさせればいいと思うし、それから難しいややこしいものを、とにかく有り難がって、素晴らしいなんて崇め立てるような精神性を育てるような教育なんて、ほとんど意味のない、単なる無能化教育の一貫であるとしか全く言いようがないのではないか、というのが私の見解なのです。

 

 続く・・・

 

 追伸

 だんだん、「アセンション」というタイトルからは、いっけん、かなりかけ離れたテーマになってきました。

 日本の場合(外国も似たり寄ったりですが)、学校教育の中で、特に「国語」と「数学」の二教科は、多分、後世の人達からは、かなり偏向した一種の疑似宗教のような内容であった、と評価されるようになるはずなのですが、まだ21世紀初頭の現代人には、その理由が、よく分からないように思われるので、いっけん「アセンション」の内容からは、少し寄り道的な内容になるのですが、学校教育の具体的な中身について、少しの間、述べてゆきたいと思います。

 これは別に国語の教師に恨みがあるからでも何でもないのですが、要するに、本当は国語で教えていいのは、せいぜい、その国や、その国と関係の深い外国の言葉の読み書き(外国語の場合は、会話も・・・)であるはずなのに、現代の日本の国語教育だと、その線を遥かに超えて、「こんな誰が決めたとも、よく分からないような文章、世間のことも良く知らないような子供に強制的に読ませていいの?」とか、「これって、思想統制やマインドコントロールに当たるのでは?」とか、「こんなことでテストするなんて、人権侵害ではないのか」とか、「こんな、どこの出版社も出版してくれなさそうな難解で意味不明の全然、役に立たなさそうな情緒不安定そうな人の文章、入学試験に出していいの?」みたいな話が、あまりにも多過ぎるので、今回から何回かに分けて、少し具体的に国語教育の中身について、触れたいと思います。

 私個人としては、もう少しスピリチュアルなことを書きたいという希望があるのですが、いくらスピリチュアルなことを書いても、世の中なんて、全然変わらないということは、もうすでに、この世界では証明済みであると思われるので、少し踏み込んで、現在の地球で最大の宗教である「学校教(もしくは、国家教)」の仕組みについて、できるだけ分かりやすい形で書いてゆきたいと思います。

 

 明日の内容からは、いっけん、さらに「アセンション」から、かけ離れた「源氏物語」についてのお話が出てきます。

 お楽しみに!(ついてこれる方は、どうぞ!)

 

Cecye(セスィエ)

2011年5月26日 9:26 PM, おすすめ記事 / コラム / 教育 / 知恵、正しさ / 社会、文化



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