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ヨハネの黙示録について Part 12

※霊的な体験と、物質世界の体験の感覚のギャップについて Part 2

 それから、これは霊的な体験特有の感覚になるのですが、特にヨハネの黙示録に描かれているような世の終わりの出来事というのは、元々は、当時の古代のキリスト教徒の人々にとっての「世の終わり」、つまり当時、彼らを散々迫害していた古代のユダヤの王国が、世の終わり的に滅亡することや(何度も言いますが、現代のユダヤ人とは、あまり関係ありません。参考)、さらには当時、最盛期を誇っていたローマ帝国も、だんだん時代と共に弱体化してゆき、そして昔は、獣や化け物のように蛮族扱いされていた辺境の国々が、だんだん力をつけてくることによって、少しずつ、あっちこっちから当時のローマ帝国を侵蝕して、滅ぼしてゆくことや、またその間にだんだん、たくさんの新しいキリスト教の国々が勃興してくることを述べていることが多かったのではないか、と思われます。

 そうした時代に例えば、何らかの原因で、空が真っ黒や真っ赤になって、太陽や月や星々が見えなくなったり、たくさんの流星が落ちてきたり、また火山が大噴火したり、大地震が起きたり、大変な大嵐が来たり、大変な干ばつや飢饉が起きたり、大地がイナゴの群れに覆い尽くされたり、さらには様々な国々や地方がたくさんの兵士に侵略され、滅ぼされて、まさしく世の終わりのような状況になったとします。

 そうした出来事というのは、そこにいた当事者の人々にとっては、まさに「ヨハネの黙示録」に預言されていたことが、本当に起きたように思えたかもしれないのですが、ところが、そうした預言には、「この場所で、この時期に、こうしたことが起こる」とまでは、ほとんど、はっきり述べられていないことが多かったために、その他の多くの人々にとっては、先ほどの霊的な体験と、物質世界の体験の感覚の違いのように、要するに「ヨハネの黙示録は、ヨハネの黙示録、地上の世界の大惨事は、地上の世界の大惨事」などというような感じで、わりときっちり分けられてしまい、そして、そうした出来事が終わって、数十年、数百年と時代が過ぎてゆくと、ヨハネの黙示録の方は聖書の一部なので、その後も、わりとそのまま、きっちり残ってゆくのですが、残念ながら、そうした様々な時代に起きた大惨事のような出来事は、だんだん時代を経ると共に忘れ去られていってしまうことが多かったようなのです。

 それで、さらにその後、時代が過ぎて、千年、二千年と過ぎてゆくと、そうした大昔の出来事なんて、そうした様々な時代の記録や証拠を、かなり詳しく調べてみないと全然わからなくなってしまっていることが多いにも関わらず、相変わらず、ヨハネの黙示録の文章の方は聖書の一部として、きっちり残っていて、聖書さえ読めれば、誰でも読めるようになっているので、結局、そうした文章を読んだ人は、「預言にある大変な出来事が、現代や未来に起きるのではないか」などと、ずっと恐れおののくことになる、というような少し不思議な時代のギャップ、というか、そうした霊的な預言の解釈と、実際の出来事とのギャップが生じてしまうことが多かったようなのです。

 

 続く・・・(「現在起きている「アセンション」の全容について」に続きます)。

 

Cecye(セスィエ)

2018年12月4日 9:03 PM, キリスト教 / スピリチュアリズム、霊界 / ユダヤ教 / 予知、予言、未来予測 / 宗教、道徳 / 歴史



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