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戦前戦中の「大日本帝国」と戦後の「日本国」の違いについて Part 2

2、昔の大日本帝国時代の日本では、昭和天皇・裕仁が、当時の日本陸海軍の最高司令官であったのは、まぎれもない事実であるのに、戦後の日本では、教育でもマスコミでも、そうした話をひた隠しにして、すり替えた説明をすることがあまりに多すぎる

 第二には、これは前にも、かなり詳しく述べたことがあるのですが、日本の教育やマスコミでは、政治的な配慮から、はっきり言うと、ほぼ完全に間違った過去の戦争の説明をしていることが多いのですが、それが「戦前の日本では「統帥権」の問題があったので、当時の軍隊が暴走して、誰も止められなくなったので、その結果、大きな戦争の惨禍を招いた」というような日本の近代史の説明になります。

 確かに戦前の日本では、軍隊のクーデターが何度かあったので、それが原因で、当時の日本軍が暴走していったかのように見えないこともないのですが、ところが、それは大きな間違いで、戦前の日本では、軍隊のクーデターで政治家が何人も惨殺されたりして、国民(当時は、天皇の家来というような意味で「臣民」と呼ばれていましたが)の代表は、ほぼ全く政治や軍事上の重要な決定に参加できなくなっていたのですが、ところが、基本的にはどの時点でも、当時の日本軍の最高司令官である昭和天皇・裕仁や、そこに直接つながる特権階級の人々は、当時の日本軍の指揮権をほぼ完全に掌握していたということなのです。

 その証拠に226事件では、反乱軍は、天皇親政(天皇による直接政治)を旗印にしていたし、またクーデターがうまく行かなかったのも、当時の昭和天皇が、それを反乱として直接征伐に当たったからです(これもよく考えてみると、とても不思議な話ですが・・・)。

 つまり、現在の日本の一般的な教育やマスコミの説明と違って、いくら当時、「統帥権」の問題があったとしても、当時の日本陸海軍の大元帥(最高司令官)であった昭和天皇が、本当に根っからの平和主義者のような人物であり、かつ本当に軍隊の統率や国家の政治に優れた人物であった場合には、当時の日本軍は、絶対にあちこちで戦争の発端を開いたり、戦争の拡大なんて起こさなかったはずなのです。

 それというのは、これはよく考えてみれば、当たり前の話になるのですが、そもそも「統帥権」というのは、軍隊が勝手に暴走できるような制度ではなく、そうした軍隊が勝手に暴走しないように、つまり、戦後の日本のシビリアン・コントロール(国民の信任した政治家が、自衛隊をしっかり掌握するための政治上の仕組み)のように、戦前戦中の大日本帝国の軍隊を、常にその時々の天皇の指揮下に、完全に掌握させるための政治制度だったはずなので、当時の昭和天皇は、根っからの平和主義者だったけど、当時の大日本帝国の陸海軍は好戦的だったので、勝手に侵略をどんどん押し進めたというような話は、本当は完全に嘘の作り事のような話だったのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

 追伸

 前にも述べましたが、簡単に言うと、特に「歴史」のように、非常に多くの人々の様々な目的と結果の事実が連続して、とうとうと述べられているような話の場合、「誰が何々した結果、こうなった」というような話の中の、特に「誰が」と「誰に」の部分を不明確にしてしまうと、途端に何がなんだかよくわからなくなってしまうようなところがあるのです。

 ですから、日本の近代史の話の場合、何だかよく分からなくなるような気分がすることが多いのは、そういう部分をひた隠しにして誤摩化していることが多いからなのではないでしょうか。

 

Cecye(セスィエ)

2015年5月16日 3:01 PM, 政治 / 歴史 / 軍事



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