4、「愛」は、人間に最高の幸福をもたらす、至上の原理ではあるが、ただ、愛以外にも、人間に幸福をもたらす手段は、たくさんあるし、また、愛が行き過ぎれば、大きな間違いや失敗を呼び込むことも多いので、結局、「愛」とは、単なる手段にすぎず、本当の目的は、自分自身も含めた、できるだけ多くの人々や生き物達の「幸福」の実現である、ということは、絶対に忘れないようにする必要がある
第四には、これが、ある意味で、ここまでの「愛」の話の結論のような内容になってくるのですが、結局、「愛」の理想というのは、いったい、どこが、一番、問題になってくるのか、というと、ここまで、さまざまな観点から述べたことからも、よく分かるように、要するに、「愛」というのは、万人に対して、あまりにも崇高、かつ、魅力的な概念であるにも関わらず、ともすれば、それが、単なる手段ではなく、まるで、最高の目的そのもののように感じられてしまうようなところがある、ということなのです。
つまり、多くの人々は、「愛」、「愛」、と言うと、そうした「愛」という言葉を聞いたり、あるいは、そうした「愛」のイメージを思い浮かべるだけで、何となく、すっかり満足してしまい、まるで、「愛」そのものが、最高の目的、あるいは、最高の理想そのもののように感じてしまうようなところがあるのです。
それでは、「愛」というのは、本当に、そうした最高の目的なのか、というと、それは、大きな間違いで、実際には、「愛」というのは、どちらかと言うと、人間を幸福にする、あるいは、人間以外の生き物達を幸福にしてゆくための最高の原理、原則のようなものなので、つまり、よく考えてみると、多くの人々が、最高の目的そのもののように考えがちな「愛」の理想というのは、実は、多くの人々や生き物達を「幸福」にしてゆく、単なる手段に過ぎないようなところがある、ということなのです。
それでは、こうした「愛」と「幸福」の関係に関して、いったい、どのようなことが言えるのか、というと、大まかに要点だけを述べると、以下のような四つの内容になります。
まず第一には、これは、単純な話なのですが、いかに最高の方法でもって、いかに最高の愛の行為を実行したとしても、そうした愛の行為の最終的な目的である、「誰かを幸せにする」、とか、「誰かの苦しみや悲しみを取り除く」、とか、あるいは、そうした愛の行為の中で、「自分自身が、最高の幸せを得る」、というような結果がない場合には、残念ながら、それは、愛の行為というよりも、単なる自己満足になってしまうので、注意が必要なのではないか、ということです。
第二には、これは、少し難しい話になってくるのですが、そうした愛の実現、つまり、誰かの幸福の実現のためには、常に愛の行為だけが、最高の方法とは限らなくて、そうではなく、時には、知恵を使うことが必要なこともあれば、時には、お金や力を使うことが必要なこともあるし、また、時には、何らかの技術を使うことが必要なこともあれば、それから、時には、単に興味を持って、話しかけたり、ちょっとしたコミュニケーションをとるだけで、十分なこともあるし、そして、時には、ただひたすら忍耐して、待つことや、それから、何もしないことが、そうした幸福の実現につながることすらある、ということです。
ですから、要は、そうした幸福の実現という目的のためには、よく流行歌や、何かのスローガンで聞かれるように、決して、愛だけで、すべてが救えるわけではない、ということは、よくよく知っておくべきなのではないか、というように、私は感じております。
第三には、これは、もっともっと難しい話になるのですが、実は、現在までの人類の歴史、そして、宇宙の歴史において、最も人類、及び、さまざまな生物を幸福にしてきたものは、残念ながら、愛ではなくて、私の知る限り、どちらかと言うと、それは、いっけん、誰が見ても、無駄そうな、馬鹿な行為にも思われるような、隠れた努力の積み重ねであったり、それから、どちらかと言うと、それは、いっけん、そんなに偉そうにも、素晴らしそうにも見えないにも関わらず、現実に、多くの人々や生き物達を、より幸福にしてきた、ちょっとした知恵であったり、あるいは、ちょっとした創意工夫の積み重ねであったのではないか、ということなのです。
つまり、例えば、人類の生活だけを見ても、現に、今日の多くの人々が、昔の時代の人々と比べて、明らかに、より楽しく、より快適に、また、より幸福に生活できているのは、毎日、「愛」、「愛」、と、一生懸命、唱え続けてきたからではなく、また、 毎日、誰かの命令通りの仕事を繰り返してきたからでもなく、それから、毎日、同じような日常生活の繰り返しをしてきたからでもなく、そうではなく、今日も、どこかで、誰かが、自分以外の誰かのために、わずかばかりの愛の行為を積み重ねていたり、あるいは、今日も、どこかで、誰かが、少しでも、多くの人々や生き物達を幸せにするために、新しい何かを考え出し、実行しては、少しずつ、少しずつ、新しい何かを創造し続けているからなのではないか、ということなのです。
Cecye(セスィエ)
2012年12月28日 8:33 PM, 愛について