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「陰陽説」について Part 33

③この宇宙の創造主への信仰というのは、宇宙的なスケールでの、総合的な大慈善事業団体への参加のような要素があるので、単に、「信じる」、とか、「ついてゆく」、というような信仰形態とは、かなり異なるようなところがある

 第三には、それでは、もう少し踏み込んで、この宇宙では、いったい、どのようなものを、「信仰」と呼んでいるのか、ということについて、考えてみたいと思うのですが、実は、この宇宙で、一般に「信仰」と呼ばれているものは、現在の地球人の感覚で言うと、一種の総合的な大慈善事業団体への参加みたいなところがある、ということなのです。

 この観念は、ちょっと難しいので、説明に非常に困難を覚えるのですが、要するに、「信仰」と言っても、単に、「信じろ」、とか、「ついて来なさい」、というような内容なのではなくて、さまざまな分野にまたがるような、宇宙的な規模での大慈善事業のようなものがあって、その中において、いろいろな仕事を覚えて、自分や家族や仲間との生活も最大限に楽しみながら、一つ一つ、いろいろな役割や立場で、自分自身を最高に高めながら、創造主や、この宇宙への奉仕活動を行ってゆくようなこと全般を、この宇宙では、「創造主への信仰」と呼んでいるのです。

 ですから、はっきり言うと、これまでの地球で言われていたような、「単純に信じる」、とか、「誰かについてゆく」、というようなものは、宇宙的には、全然、信仰とは考えられていなくて、その反対に、かなり自分自身が、主体的に、しかも、全体のいろいろなことについても、細かく把握しながら、自分自身の向上と、自分や周りの人々の最大の幸福の実現のために、さまざまな専門的なミッションのようなものを、次々と、こなしてゆくような、言ってみれば、非常に崇高な使命感を伴い、かつ、非常に至福を実感できるような、一種の仕事のようなものである、と考えると、非常に分かりやすいのでないか、と思います。

 そうした目で見ると、確かに、そうした慈善団体特有の、崇高な理念や活動方針のようなものがあるのは、事実なのですが、ただ、たとえ、創造主のような、いっけん、ものすごく偉い人に対してであっても、常に盲目的に、ただついてゆけばよい、というような形の信仰というのは、実際には、なっていないのではないか、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年6月27日 9:03 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 知恵、正しさ



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