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「陰陽説」について Part 32

3、この宇宙の創造主への信仰に関しては、ある一定の許容範囲を満たすのであれば、その信仰対象や信仰方法に、かなりのバラエティーが許されるようなところがあるのだが、ただ、だからと言って、そうした許容範囲を越えるものに関しては、何でもOKとは言えないようなところがある

 第三には、それでは、こうした信仰について、いったい、どのようなことが言えるのか、というと、だいたい、次のような、大きく四つのことが言えます。

 

①確かに、この宇宙の創造主は、ただ一つであるが、現実には、その名前や個性や、その信仰方法には、ある程度のバラエティーの幅が許されているようなところがある

 まず第一には、これは、多くの人々が、あまり考えたことがない内容になるのではないか、と思われるのですが、たいてい、宗教を信じている人は、信仰というと、一元論的に、「もうこれ一つしかない」、とか、二元論的に、「正しい信仰の中にあるか、それとも、悪魔の考え方の中にあるかの、どちらかしかない」、というような見方をする人が、非常に多いように思われるのですが、ところが、前にも述べたように、確かに、この宇宙の創造主に当たる存在は、ただ一つであるのですが、ただ、そうした、この宇宙の創造主を信仰するための方法、というか、言ってみれば、ある種の許容範囲内にある、信仰対象や信仰方法というのは、結構、数多くあるようなところがあるのです。

 それゆえ、実際には、確かに、この宇宙の創造主は、ただ一つであるが、ただ、そうした本当の神仏の名前や個性や、あるいは、そうした神仏を信仰する方法には、ある程度のバラエティーがある、というのが、実際なのではないか、ということなのです。

 ですから、こうした点から見る限り、ただ一つの創造主であると言っても、その名前や個性には、ある程度のバラエティーがあるし、また、その信仰方法にも、ある程度のバラエティーがあるので、その許容範囲内であるならば、ただ一つの信仰だけでなく、複数、というよりも、実際、数多くの信仰対象や信仰方法がある、というのが、現実になる、ということです。

 

②ある一定の許容範囲を越えた、神仏の名前や個性や、その信仰方法に関しては、やはり、この宇宙の創造主を信仰しているとは言えないようなところがある

 第二には、ところが、それにも関わらず、そうした、ある一定の許容範囲を越えたものに関しては、いろいろな理由で、やはり、本当の神仏とは言えないし、また、本当の信仰とは言えなくなる、というような、ちょっと、ややこしい実態もある、ということです。

 そうすると、その基準は、いったい、何になるのか、ということが、次には問題になってくるのですが、詳しくは、別のページを参考にしていただきたいのですが、その基準は、わりと単純で、大まかに言うと、だいたい、次のような二つの内容になります。

 まず第一には、これは、現代のような国際時代であるから、言える話になってくるのですが、要するに、そうした国際的な視野に立って、世界中の宗教を見た場合に、「これは、良いと言えるけど、これは、ダメなのではないか」、というような内容を、ある程度、総合して比べてみた際に、その基準内に入ってくるような信仰対象や信仰方法は、まあ、ある程度、良いと見てもよいかもしれない、ということです。

 第二には、これは、かなり難しいのですが、霊的なことが分かる場合には、神仏の名前や個性というものを除いて、この宇宙の創造主独特の、ある種の雰囲気のようなものがあるので、何らかの宗教や霊的な体験などで、そうした霊的な雰囲気を覚えている場合には、それ以降には、そんなに、いちいち、迷わなくても済むようなところがあるようです。

 ここでは、紙面の関係で、あまり細かく触れられないのですが、要するに、ある一定の許容範囲を越えた神仏や、その信仰方法に関しては、残念ながら、本当の神仏とも、本当の信仰とも言えないようなところがある、ということです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年6月27日 9:02 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 中国思想 / 宗教、道徳 / 知恵、正しさ



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