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「陰陽説」について Part 31

2、この宇宙の創造主は、多くの地球人の考えがちな、形式的で、ガチガチの信仰のスタイルよりも、どちらかと言えば、この地球の生きとし生ける、すべての生命の調和や幸福の実現の方を、心から望んでいるようなところがある

 第二には、それでは、こうした信仰に関して、霊的宇宙的に見た場合、いったい、どのようなことが言えるのか、というと、これは、細かく説明すると、とてつもなく長い話になってしまうのですが、要約すると、だいたい、以上のような二つのことが言えます。

 

①「ただ一つの信仰だけでいい」、というようなワンネス的な信仰観は、自然界や人間界の様子を見る限り、原則、間違いになってしまうようなところがある

 まず第一には、これは、単純な話になるのですが、今日、よく宗教の代名詞のように言われている内容、つまり、「信仰というのは、これ一本だけでいいんだ」、とか、「ただ一つの神を信じ抜けばいいんだ」、とか、「ただ一つの教えの実践だけでいいんだ」、とか、「神の教えは、ただ一つなんだ」、というような考え方というのは、基本的に、原則、全部、間違いになってしまうようなところがあるのです。

 その理由は、単純なのですが、昔の単純な村社会は、ともかくとして、この地球上の自然の世界や、人間の世界の様子を見る限り、こうしたワンネス的な概念というのは、全く通用しなくて、実際には、人間の社会にしても、この宇宙全体にしても、かなり複雑で緻密なシステムになっているので、こうした様子から考えてみる限り、実際問題として、何でもかんでも、ただ一つのワンネス的な発想や考え方で乗りきるのは、実質的に不可能であるからです。

 

②この宇宙の創造主は、どちらかというと、現在の多くの人々が考えがちな、形式的で、ガチガチの信仰のスタイルではなく、この地球の生きとし生ける、すべての生命の調和や幸福の実現を心から望んでいるようなところがある

 第二には、これは、あまり聞いたことのない話になると思われるのですが、要するに、この自然や宇宙の様子や、動植物の様子を見る限り、この宇宙の「創造主」と呼ばれる存在というのは、現在の多くの地球人が考えがちな信仰というものを、それほど重用視していない、というか、それほど、あまり必要としていないのではないか、というように思われる、ということです。

 それでは、この宇宙の創造主は、いったい、どのようなタイプの信仰を、現在の地球人、というか、この宇宙の多くの人々や生き物達に対して、要望しているのか、というと、これは、あまり考えたことのない人が多いような話になるのではないか、と思われるのですが、私の考えるところ、だいたい、以下のような三つの内容になります。

 まず第一には、これは、今日までの世界のあり方に、もうすでに、はっきり表れている事実なのではないか、と思われるのですが、人類にしても、その他の生物にしても、元々は、同じ光から分かれた兄弟姉妹のような存在であるのだから、とにもかくにも、お互いに、できるだけ傷つけ合わずに、仲良く幸せに過ごしてほしい、ということになるのではないか、ということです。

 第二には、これは、あまり考えたことのない話になると思われるのですが、要するに、基本的には、あまり、お互いに隠し事をせずに、お互いに、自分の本音をそのまま素直に表現したり、話したりできるような社会を望んでいる、と思われるのですが、ただ、だからと言って、誰かの自己表現が、それ以外の誰かを傷つけたり、苦しめたりするようなことは、極力、控えてほしい、というような内容になるのではないか、と思われます。

 それから、第三には、これも、あまり考えたことのないような話になると思われるのですが、本当は、人間であれ、その他の動植物であれ、それぞれの生き物達が、自然の本音として、最高に幸福な自己表現や自己実現をしてゆけば、自然と、すべてが調和し、すべてが繁栄し続けてゆけるような世界になるはずなので、そうした自然な幸福の追求を、できるだけ押し進めてほしいのだが、ただし、あちこちで、お互いに傷つけ合ったり、苦しめ合ったりするような、間違った自己表現や自己実現をする者が出るとも分からないようなところがあるので、そうした間違った自己表現や自己実現に関しては、お互いに戒め合ったり、お互いに調整し合ったりしながら、できるだけ、多くの人々や生き物達の間で、最高の自己表現や自己実現ができるようにしてほしい、というような内容になるのではないか、と思われます。

 そうすると、ここで、非常に皮肉な、というか、非常に不思議な論理が成り立つことになるのですが、これは、非常に長期的な見通しやバランス感覚に基づいた判断が必要なので、そう簡単に、その良し悪しが言えないような内容になってくるのですが、要するに、こうした世界観、というか、宇宙観に基づく限り、この地球の中で、人間だけが、あまりにも強く、自分達の主観だけに基づいた、「神仏への信仰」というものを掲げて、戦争や自然破壊を行う、とか、他の人々への自由の侵害や、他の人々や生命達に危害を加えるようなことをしていると、どこかの段階で、そうした信仰というものが、あだとなって、その社会全体の混乱や破壊が巻き起こったり、人類の側としては、全くよく分からないような理由の天変地異の猛威によって、そうした地域社会の混乱や破壊や、また、場合によっては、人類の文明自体の混乱や破壊が起きるような事態になることがある、ということなのです。

 つまり、こうした観点から見ると、何となく、いっけん、ものすごく良いことのように感じられることが多い、信仰的な価値観によって、逆に、神仏の意思とは違った、人間社会の破壊や混乱が巻き起こることがあるので、非常に注意が必要なのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年6月26日 9:07 PM, おすすめ記事 / 中国思想 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 知恵、正しさ



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