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「鏡」崇拝の問題点について Part 2

②当時の呪術崇拝をしていた多くの日本人には、鏡は単なる光学機器の一種とはみなされずに、「逆さまの国」や「多くの魂の住処(すみか)」、それから「魔法の国」の出入り口のように見られたふしがある

 つまり、はっきり言うと、今から千数百年前の古代の日本の人々は、ああした鏡を見た時に、現代人の感覚で言うと太陽の光というよりも、まるで眩しく光を放つ電球か、あるいはスマホやタブレット型コンピューターを見た時とほとんど同じような不思議な衝撃を受けたのではないかと思われるのですが、さらに当時の呪術崇拝をしていた多くの人々は、おそらく次のような三つの感想というか、現代人から見ると大きな誤解をしたのではないか、ということが考えられるのです。

 まず一つめの感想は、おそらく、これは現代人でも鏡を見た人は、一度は考えたことのあるはずの話なのではないかと私は思うのですが、当時の呪術崇拝をしていた人々は、そうした鏡を見た時に、ほぼ間違いなく鏡の中には、「もう一つ別の世界がある」というよりも、もっとはっきり言うと「この世界と、いっけんそっくりだけど、完全に真っ逆さまの世界がある」というように考えたのは、ほぼ間違いないということです。

 二つめは、これも現代人でも昔ながらの魔術的なことを信じやすい人は、おそらく、一度は考えたことのあるはずの話なのではないかと私は思うのですが、そうした鏡を見た時に「鏡の中に、もう一人別の自分が映った」ということは、「鏡の中に自分の魂が吸い込まれてしまった」とか、それから「いったん鏡の中に入り込んでしまった魂は、二度と出れなくなったに違いない」などと考える人々が、絶対に大勢いたはずであるということです。

 三つめは、これは現代人になると、もうかなり理解不能な話になってしまうのですが、そのようにして、その国の為政者の人々を中心に多くの人々がのぞき込んだ鏡には、「多くの人々のもう一つの自分というか、自分の魂の『移り霊(だま)』(分霊のようなもの)のようなものがたくさん入り込んでしまった」と考えたはずなので、おそらく、そうした「鏡自体が、ある種の魔術というか、大きな霊力を持つようになったはずだ」と考えたのも、ほぼ間違いないということです。

 こうした話は、現代人にはかなり理解に苦しむ話が非常に多いのですが、ただ、そうした千数百年前の人々は、「自然の物には、何でも霊魂が宿っていて、そうした霊魂の意思をしっかり尊重した生活をしないと、どんな祟りがあるか分からない」とか、「誰かが何か言葉を言うたびに言霊(ことだま)が生まれて、何らかの働きが生じる」とか、「毎日のように霊魂の存在を当たり前のように感じているばかりか、時々、とんでもない物の怪(もののけ)の災いで苦しむような人が出ている」というような社会の状況であったので、こうした人々にとっては、今日の現代人が考えるような文明の利器としての、単なる光学機器の一種としての「鏡」なんて発想は全然出来なくて、そうではなく「鏡」と言えば、何らかの巨大な霊力の象徴というような目で見られることが遥かに多かったのではないか、ということなのです。

※念のために述べておきますが、丸い鏡をインテリアや実用品や、あるいは風水のような波動調整のために使った場合には、たいてい良い効果しかないと思われるので、ここで述べているのは、そうした丸い鏡を宗教の本尊として使った場合の問題点についての話になります。

 基本的に宗教の礼拝の対象として、何らかの太陽の象徴のようなものが使いたいのであれば、鏡の使用は避けて、せいぜい、キラキラ光る金色や銀色の丸い形のものにするか、あるいは明らかに「太陽」と分かるデザインのものにするか、もしくは太陽の意識を象徴できるような人間の姿形のものの方が良いのではないかと思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年4月3日 9:05 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宇宙文明、古代文明 / 神道



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