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幸福な世界の最大化を目指しているのが、光の勢力であり、不幸な世界の最大化を目指しているのが、闇の勢力である Part 6

②世間で、一方的に叩かれているような人物や団体の主張や言い訳であっても、そう簡単に、絶対的な悪とは断定せずに、一応、冷静に耳を澄まして、聞いたり、知ったりするようなスタンスを持っていないと、いつの間にか、その社会全体が、おかしくなってしまうことがあるので、注意が必要である

 第二には、何だか、よく分からないうちに、特にマスコミの報道などにおいて、「こいつは、けしからん、とんでもない売国奴だ」、とか、「あの悪い奴を止めさせろ」、とか、「今すぐ、これをやらないなんて、あいつは、本当に無能な奴だ」、などというような論調で、大勢が、その方向で、まとまっているような時には、あえて、その叩かれている本人の主張、あるいは、本人の言い訳に、冷静に耳を澄まして、問いただすような姿勢を持つことが、とても重要である、ということです。

 これは、歴史を調べると、誰でも分かるような話なのですが、例えば、数十年前の日本で、なぜ、あのような無謀な戦争に突入せざるを得なかったのか、とか、なぜ、あの戦争を、誰も、もっと早い段階で、やめさせることができなかったのか、ということを調べてみると、とにもかくにも、当時の日本では、基本的に言論の自由もなければ、また、政治活動の自由もないので、政府やマスコミの論調に対して、誰も正面切って、「それは、反対!」、とか、「もう、こんな馬鹿な戦争はやめよう!」、などと、はっきり言えなかったのが、そのそもそもの原因であったのですが(そんなことしたら、すぐに当時の警察に検挙されて、単に投獄されるだけでなく、いろいろな理由をつけては、戦争のどさくさにまぎれて、拷問や死刑にされたり、戦争の最前線に送り出されたはずですから)、これとほとんど同じようなことが、実は、戦後の日本と言わず、外国においても、いまだに、結構、頻繁に起き続けているようなところがある、ということなのです。

 ですから、特に政治家や、何か責任のある重職についている人が、大きなミスや大失敗をしてしまったと、マスコミが、大騒ぎしているような時には、そう簡単に、「その人の責任だけを責めまくって、やめさせれば、それで、すべて解決したのだ」、というような安易な態度はとらずに、できれば、そうした、その社会において、多くの人々から叩かれ、責められているような人物の正直な主張や、あるいは、失敗の理由についての正直な告白に関しても、よくよく耳を澄まして、一度は、冷静に聞いてみる、とか、知ってみるための努力は、現在のような民主主義社会においては、普通の一般市民であっても、ある程度、必要なのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年4月25日 9:11 PM, 人生観、世界観 / 政治



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