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霊界の真相 Part 15

⑥元々は、単に社会秩序の維持のために設けられた規則や法律を、より簡単に多くの人々に守らせるために神仏や聖者の名で権威を付けたり、悪魔や魔王の名で脅かすことが非常に多かった

 第六には、これも、よく考えてみると非常に不思議な話であるのですが、たいてい、どの宗教でも、どの社会でも、その宗教や、その社会独特の正義や悪の基準、もしくは、善と悪の基準というものがある程度、しっかりとあって、その上で、そうした「正義や善を為す者は、天国に行く」とか、「悪を為した者は、地獄に行く」というような話になっていることが多いのですが、これは、また別の機会に詳しく説明したいと思うのですが、簡単に言うと、たいていの場合、こうした善悪の基準というのは、偉大な神仏や聖者が決めたのではなくて、その宗教や社会の秩序や調和を、いかにして、うまく保つか、というような目的のために、本当はどこかの誰かが一生懸命考えて、人為的に作ったものが、ほとんどすべてであったということなのです。

 それゆえ私は、「この善悪の基準によって、天国行きや地獄行きが決まる」とか、「この善悪の基準をすべて神が定めた」とか、「悪いことは、すべて悪魔が絡んでいる」というのは、はっきり言って、ほとんどすべて盲信や迷信のたぐいの内容なのではないか、というように率直に考えているのですが、ところが、ここで問題なのは、そうした宗教や社会で、そういった善悪の基準を多くの人々に受け入れさせる際に、「これは、どこそこの貴族の部下の誰それが考えたものです」とか、「これは、あの宗教の幹部のあの人が、いろいろな人に相談して、いろいろ悩んだ末に決めたものです」などというよりも、「これは偉い神様のお告げで決められたものだ」とか、「これは偉大な聖者の心にかなった、天国に近づくための素晴らしい教えだ」などと説明した方が、多くの人々にあまり反発を買われずに、より素直に、というか、より従順に受け入れてもらいやすかったのです。

 その結果、たいていの宗教では、元々は、非常にシンプルな教えだったものが、長い月日の中で、そうした経緯をたくさん積み重ねるうちに、いつの間にか、ものすごく膨大かつ、結構厳しく難しい宗教的な善悪の基準になっていったのではないか、ということなのです。

 それゆえ、こうした善悪の基準に基づく場合、「悪を犯すような存在は、すべてがすべて悪魔である」とか、「悪を犯した存在が、すべてがすべて恐ろしい地獄に堕ちる」というような話というのは、これは、はっきり言って申し訳ないのですが、ほとんどのケースの場合、元々は、単なる作り話だったのではないか、というように私は率直に考えております。

 

 このように、そうした宗教において、「悪魔」や「魔王」として扱われているような存在をよくよく冷静に調べ直し、また考え直してみると、これは、はっきり言って申し訳ないのですが、実際には、そうした「悪魔」や「魔王」に当たるような実際の人物や霊的存在には、ほとんど正当な根拠はなくて、そうではなく、実際には、そうした宗教や、その宗教が属していた社会における都合の悪い一番の悪者、もしくは、一番の憎い敵のような者を片っ端から集めて、いろいろな理由をつけては、ものすごく怖い悪魔であるとか、人々を不幸に陥れる怪物のような存在として、次々と人工的に見立てていっただけなのではないか、というのが私の結論なのです。

 

 このように「神仏」についても、また「悪魔」についても、これは別にそうした存在が完全にいないなどと断定しているわけでは決してないのですが、しかしながら、よくよく冷静に考え直してみる限り、ほとんどのケースの場合、現在、多くの宗教で一般に信じられているような「神仏」や「悪魔」と呼ばれるような存在が、本当にそのままの形でいるのか、と言われたら、私は、はっきり言って、かなり怪しいのではないか、というように率直に考えております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年1月15日 9:29 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳



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