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国民の生の声を聞いて、学校の授業を仕事や生活で、すぐに使える内容に全面的にバージョンアップする

 今回も前回に続いて、学校の話になります。

 

 第二には、これは普通の企業なら、どこでもやっているような内容になるのですが、現在、いろいろな職業や生活に携わっている大人の人達の生の声を聞いて、それに基づいて現在の学校の教育内容のうち、実際の仕事や生活でそのまま使えたものと、学校を卒業して何年何十年経っても、ほとんどというか、一度も使わなかったような内容とをはっきり分別して、そして、そうした実社会でそのまま役に立つような内容については、そのまま授業を続けるが、そうではなく、ほとんどというか、本当に一度も使えなかったような内容があまりにも多かったとか、学校で教わった内容と実際の仕事や生活の実態があまりにも大きくかけ離れていて、全く意味がなかったというような内容に関しては、もう一度、ゼロから教育内容を見直すか、また場合によっては、そうした授業の完全な中止、もしくは別の内容への全面的な見直しをただちに行う必要があるということです。

 例えば、これは海外の教育を受けたことのある人だと、結構よく知っているのですが、そうした海外の学校だと「これは、もうその専門分野に進む人だけが知っていれば、それで十分なのではないか」というようなかなり専門的な内容まで、現在の日本の学校だと高校や中学校で、みんな一律に一生懸命教え込んではその上、テストをして一方的に点数をつけたり、成績をつけたりしているようなことが非常に多いのですが、こうした状況を私の目から見ると、はっきり言って、自分が好きでもなければ、将来全く役に立たないような大量のペーパー知識を、自分が直接選んだわけでもなければ、好きでもないような教師の口から何百時間も一方的に座って聞かされ続けて、その上、テストをされて一方的に評価されるなんて、これは精神的(霊的)な拷問以外の何者でもないということなのです。

 それゆえ私は、現在の学校教育の具体的な内容に関しては、どこかの偉い誰かが、いつの間にか勝手に決めるのではなくて、実際に仕事や生活をしている普通の人々、つまり、みなさん自身に対して、一度直接、実際にアンケートしてみて、「この授業は、確かにそのまま使えて役に立った」とか、「確かにこれを知っていないと、普通の民主主義国の市民って言えないよね」というような内容と、そうではなく、「確かに簡単な暗算とかは、仕事でも生活でも早ければ早いほど役に立ったけれども、難しい方程式とか、微分積分なんて、卒業して何十年も経つが、いまだに一度も使ったことがない」とか、「結局、体育の授業で分かったのは、自分は体育が大嫌いだということだけで、その結果、数十年後の今も慢性運動不足で、お腹も体もダブダブしているが、いまだにスポーツの楽しみなんて全然分からない」などというようなマイナスの結果が生じている内容に関しては、私は、海外の教育事情などもよく調査して、すぐさま変更すべきなのではないか、というように率直に感じております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2010年10月4日 9:31 PM, おすすめ記事 / 教育



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