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第二次世界大戦当時のソ連とスターリンについて Part 2

2、第二次世界大戦の途中までの大まかな経緯について

 一般に第二次世界大戦が始まったのは、1939年に当時のナチス・ドイツとソ連の間で「独ソ不可侵条約」が結ばれた後に、その際に一緒に結ばれた秘密協定に基づいて、当時のナチス・ドイツとソ連がポーランドに軍事侵攻したために、当時のイギリスとフランスがドイツに宣戦布告して、ヨーロッパで戦争が始まったと言われています。

※「独ソ不可侵条約」は、当時のナチス・ドイツとソビエト連邦の間で1939年8月23日に成立し、その直後の9月1日に当時のドイツがポーランドに軍事侵攻し、9月17日には、当時のソ連が、当時の大日本帝国とのモンゴル国境での戦争(ノモンハン事件)を停戦した後に、ポーランドに軍事侵攻しています。

 ですので今日、あまりはっきりと指摘されることは少ないようなのですが、1939年の段階では、当時のソ連とナチス・ドイツは、ほぼ準同盟関係にあったので、少し後の時代の基準では、当時のソ連も、いわゆる「枢軸国(すうじくこく)」に分類されるのではないか、ということです。

 その後、当時のドイツは、ヨーロッパの他の国々へも侵略し出したのですが、当時のソ連もバルト三国やフィンランドを侵略すると共に、両国の間で武器や資源の輸出入や技術面など、様々な協力関係を築いていたようなので、はっきり言って、第二次世界大戦の初めの段階では、当時のナチス・ドイツとソ連は、ほぼ準同盟関係にあったと言えるのではないか、というように思われます。

※当時のソ連によるフィンランド侵攻で、当時のソ連は、国際連盟から除名処分を受けているので、当時の国際世論からは、かなりの反発を受けていたのではないか、と思われます。

 さらにその後、1940年には、当時のナチス・ドイツがヨーロッパ全土を席巻する勢いで軍事侵攻しているような国際状況の中で、当時のイタリアと大日本帝国が、ドイツと三国同盟を結びました。

 その後、1941年6月、当時のドイツは、当時のフランスを初めとするようなヨーロッパの大部分を占領したものの、当時のイギリスへの軍事侵攻に大きく行き詰まるようになると、突如、当時のソ連と結んでいた独ソ不可侵条約を破棄して、当時のソ連に大軍でもって、軍事侵攻を行いました。

 さらに12月には、当時の大日本帝国が、当時のアメリカとイギリスに攻撃を仕掛けて、世界規模の戦争に広がっていった経緯があります。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2022年6月29日 12:04 PM, 政治 / 歴史 / 軍事



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