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知ることと人間性の関係について Part 53

3、知性の高さと、人間性の高さのバラドックス的な関係と、その解決策について

 三つめは、これも少し難しい内容になってくるのですが、たいてい人間は知性を高めてゆくと、そうでない人と比べると、より短い時間で、いろいろな物事に気づくことができたり、過去の知識や経験から、いろいろなことを考えることができたり、また経済的にも、より高い収入を得たり、より快適に楽しく、いろいろなことを成し遂げたりできるようになってゆくことが多いのですが、ところが時々、人によっては、かなり思いがけない感じで知性が高いことと、人間性が高いことの両立が、様々な場面で多少難しく感じるようになることがあるようです。

 これは専門書ではないので、できるだけ簡単に述べてみたいと思うのですが、今も述べたように要するに人間というのは、知性が高くなると、自分自身や周りの人々を、より簡単に上手に幸せにしてゆけるようなところがあるのですが、ところが、そうした観点から同じく人間性の高さというものを考えてゆくと、たいてい人間性の高さというのは、例えば、高い理想や志を掲げて、厳しく自分を律しながら精一杯努力して、様々な苦難、困難を乗り越えてゆけるような人間の精神性や、また自らのことはより少なく、他の人々や生き物たちのことはより多く、常に思い続けられるような愛情の深さや、それから自ら率先して、他の人々の責任を引き受けて、かなり大変なことであっても、しっかりと成し遂げてゆけるような人間としての器のように考えられていることが多いようなのです。

 つまり、もっとはっきり言ってしまうと、人間性が高いということは、場合によっては、高い理想や志のため、また他の人々や生き物達の利益や幸せのため、さらには自分自身の成長のために、あえて賢くない、手間暇かかるような面倒臭い、そして自分が大変な損するような選択や行動をすることもよしとしているようなところもあるわけです。

 また同じように知性が高いということは、場合によっては、他の人を欺いて、ズルしたり、自分だけ楽したり、得したりできるような選択や行動ができるようなところもあります。

 それゆえ、こうした観点から見ると、人間が知性的に高くなってゆくことと、人間性を高めてゆくことは、ある段階からお互いに、ほぼ反比例するような形で、例えば、知性を高めてゆくと、多少人間性が乏しくなってゆくようなことが起きたり、また逆に多少、知性が低い方が、人間的に魅力があるように見えたりするなどというような、少し不思議なパラドックス的な関係が成り立ってしまうこともあるようなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2020年12月18日 9:03 PM, おすすめ記事 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 成功論、繁栄論 / 知恵、正しさ / 社会、文化



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