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現在の趨勢では、近い将来、これまでの神仏の役割は、現在、発達中のコンピューターやロボットに、だんだん取って代わられる可能性が高くなってきている Part 1

 今回は、前に書いていた「キリスト意識」についての話の続きになります(念のために書いておきますが、まもなく始まるオリンピックと、今回の記事は、全く関係ありません)。

 

 最初に大まかな結論を言ってしまうと、要するに現在の地球のような宗教形態であると、いつの間にか多くの人々が信じる、この宇宙の唯一にして、至高の「光の創造主」、もしくは、「キリスト意識」と呼ばれる存在、つまり、「神」や「仏」を初めとする「天使」や「菩薩」と呼ばれるような「光の存在」達というのが、気をつけておかないと、そうした光の存在達の実際の感覚や意思や考えというものを一切無視した、この地上の世界における宗教運営者や為政者の意向や、多くの人々の願いやニーズのみを強く反映した、言ってみれば、一種の「神仏ロボット」、もしくは、「神仏コンピューター」のような存在にすり替えられてしまうことがあるので、注意が必要なのではないか、というような話になります。

 

多くの人々の単純な思い込みとは、かなり違って、長い年月の間に、神仏のイメージというのは、最初、その宗教の開祖が説いたものからは、大きく逸脱した、全く違ったものになってゆきがちなのだが、その延長には、そうした神仏そのものが、現在、発達中のコンピューターやロボットに取って代わられるような、未来のシナリオもあり得るので、注意が必要である

 そうすると、次には、非常に難しい問題が出てくるのですが、前に述べたような形で、その時々、あるいは、その地域の多くの人々の願いやニーズによって、この宇宙の創造主やキリスト意識、というか、いわゆる、神仏の個性や能力や働きが決まっていってしまう、ということになると、これは、あまり、みなさんは考えたことがないのではないか、と思うのですが、実は、それは、反対に言うと、この宇宙の創造主やキリスト意識の、実際の個性や能力や働きとは、ある意味で、全く関係なしに、地上の世界の人々の都合によって、そうした創造主やキリスト意識、というか、神仏の性格や能力や働きが、どんどんと、勝手に決められていってしまうようなところがあったのです。

 その結果、地上の世界では、常に、次のような、かなりややこしい、というか、はっきり言うと、いかなる存在も、ほぼ絶対に、解決不可能なのではないか、というような大問題、というか、大矛盾が、発生しがちであった、ということです。

 これに関しては、だいたい、次のようなことが言えます。

 

1、たいていの宗教における「神仏」の性格や能力や役割というのは、時代を隔てれば、隔てるほど、元々の神仏の性格や能力や役割からは、かなり逸脱した、多くの人々の願いやニーズ優先のものになってゆきがちであった

 まず第一には、これは、考えてみれば、非常に不思議な話になってしまうのですが、実は、こうした形で、いろいろな宗教の神仏の性格や能力や役割というものを、よくよく、冷静に考え直してみると、「その神仏の性格は、いったい、いつ、どこで、誰が知ったの?」、とか、「その神仏の、ものすごいスーパー・パワーって、いったい、いつ、どこの誰が証明したの?」、とか、「その神仏の、ものすごい働きって、いったい、いつ、どこの誰が言い出したの?」、などというように、はっきり言うと、そうした神仏の性格や能力や役割の起源、というか、その出典というのは、結構、意外と曖昧であったりするものなのです。

 ところが、今日の多くの宗教の様子を見ていると、「いや、この宗教の神様は、ものすごく偉大だから・・・」、とか、「この宗教の仏は、ものすごく慈悲深い仏だから・・・」、などというように、多くの人々は、そうした神仏の、本当の性格や能力や役割の実態と、その宗教で教えている教義上の、というか、世間的な言葉で言うと、いわゆる、カタログ上の神仏の性格や能力や役割のギャップに関しては、あまり神経質にならない、というか、それほど大きな関心を払わないことが多いようなのです。

 ただ、実際には、どの宗教でも、最初に、その宗教を興した開祖本人の主張と比べると、ほとんど予想もつかないくらい、何十年、何百年経った後の、そうした宗教の神仏の話というのは、だんだん枝葉がついて、ものすごく膨らんでゆくことが多いようなので、はっきり言うと、たいていの宗教における神仏の性格や能力や役割の説明というのは、おそらく、最初に、その宗教を説いた人物が、直接、その話を聞いたとしたら、ほぼ間違いなく、「君達、ちょっと、待ってくれ。そんなに神様に頼ったって、無理に決まっているじゃないか」、とか、「そんな無理な願い事や罪の清算なんて、いくら、どんな偉い仏様でも、できるわけないだろう」、などと言われるような話が、ほとんどなのではないか、ということなのです。

 ですから、こうした点から考えてみるに、現在の地上にある、ほぼすべての宗教における神仏の性格や能力や役割というのは、非常に長い年月の間に、いつの間にか、ものすごく誇大拡張されてゆき、そうした宗教における実際の神仏の性格や能力や役割とは、かなり異なるものになってしまっている、というか、もっとはっきり言うと、実際問題として、「そんな理想の塊のような神仏、いるわけないじゃない!」、とか、「そんな多くの人々の罪を、いったい、どうやって消すの?」、などというように、あまりにも、多くの人々の願いやニーズ優先の形になり、そうした、実際の神仏の性格や能力や役割とは、かなり異なったものになってしまっているのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年7月27日 9:07 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界



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