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多くの人々は、言語力の差によって、全く気付かないうちに社会的地位や経済力の格差を受け入れざるを得ないようなところがあった Part 4

②親に教養や経済力のある家庭の子供達は、その後、大学や専門学校に進学する確率が高くなるが、そうでない家庭の子供達は、わりと単純なブルーワーカー的な職業に就くことが多かった

 第二には、そうすると、当然のことながら、そのような形で、大きく二つの集団に分けることができる子供達の将来の職業決定というのは、単純に考えて、おそらく数百語程度の言語のボキャブラリーを出発点にして、その後、せいぜい二千語程度のボキャブラリーしか持てなかった子供達は、わりと単純なブルーワーカー的な仕事に就くような選択をしやすくなり、それとは対照的に、最初から千数百語程度のボキャブラリーのあった子供達は、その後、おそらく5〜6千語ぐらいのボキャブラリーを持つようになるはずなので(外国語の修得は除いても)、こうした子供達は、大学や専門学校に進学して、何らかの専門分野を修めて、ある程度、知的な能力が必要な職業に就くことが多かったということです。

 つまり、現在の学校制度だと、公の見解とは違って、親の教養や経済力の差によって、その家庭の子供達の言語能力が、ほぼ半自動的に決定されてしまうようなところがあったために、結果として、ある程度、親に教養があるか、あるいは、親に経済力がある家の子供達は、かなりの確率で大学や専門学校に進学して、何らかの専門職に就く可能性が高かったのですが、その反対に親にあまり教養や経済力がない家の子供達は、わりと単純なブルーワーカー的な仕事に就く傾向が高くなるようなところがあったということなのです。

※私は、基本的に、それぞれの人は、社会に必要な有益な大事な仕事をしているというような見方に立っているので、これは決して、ホワイトカラー的な仕事を偉しと見て、ブルーワーカー的な仕事を馬鹿にするような見方ではないのですが、ただ、もし当人が、「自分は馬鹿だから・・・」とか、「頭が悪いから・・・」と思っているなら、「それには違った見方もある」ということを提示したいということと、それから、できれば職業選択の段階で、十分な事前準備を心掛けることによって、「嫌々ながら、何らかの仕事を選ばなくてはならなくなった」というような状況は避けて、自分の言語能力を高めることによって、できるだけ、いろいろな選択肢の中から、自分が最も興味や、やりがいを感じられるような仕事を選べるような状況に持ち込めるようにしてゆくことが、とても大切なのではないか、というように考えています。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年10月15日 9:03 PM, 教育 / 知恵、正しさ / 社会、文化



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