Light Symbol

多くの人々は、言語力の差によって、全く気付かないうちに社会的地位や経済力の格差を受け入れざるを得ないようなところがあった Part 5

③もし残念ながら自分は、それほど恵まれた言語力を養えるような家庭環境に置かれていないと思われた場合でも、何らかの方法で、自分なりに言語力を上げるための訓練をすれば、後からでも十分に自分自身の言語力を高めて、それに伴う思考力や学習力や仕事能力の向上と、自尊心の回復と、より高い視点で物事を見る目を養うことは、十分に可能なはずである

 第三には、そうすると、残念ながら、まだ現在の日本では、たとえ、いっけん民主的な平等社会になっているといっても、多くの人々が、全く気付かないような形の知的格差や経済格差によって、実際には、多くの子供達の学習環境全体に結構、大きな差があるということが言えるのですが、現在のところ、これに関しては、次のような二つの自衛策をとるしかないということです。

 まず第一には、まだ学校に在籍している状況において、こうした目で見てみて、もし自分が、豊かな言語力を養えるような家庭環境に置かれていないと客観的に判断される場合には、これは別に後からでも遅くないので、自分なりの方法で、そうした自分の言語能力を上げるための何らかの方策を立てる必要があるということです。

 第二には、これも当然のことですが、言語力の差は、たいてい、その人の思考力(様々な観点から物事を調べて考えた上で、より正しい結論を見出したり、より良い決断をしてゆく能力)や、学習力(様々な物事を、より早く合理的に習得し、マスターしてゆく能力)の差というよりも、仕事能力(正しく早く確実に、次々と仕事をこなしてゆく能力)の差に直結することが多いようなので、やはり社会人になった後からでも、自分の言語能力に、あまり自信が持てない場合には、自分なりの方法で、自分の言語能力を高めるための訓練をする必要があるし、また、そうした言語能力を高めることで、単に自分の思考力や学習力や仕事能力を向上させるだけでなく、それまでの人生では、その人としては、全く感じたことのなかったような自分自身の自尊心の回復と、それから、より高い視野で、さまざまな物事を見ることができるような目を養えるようになるのではないか、ということです。

 このように残念ながら、もし自分が、それほど恵まれた言語力を養えるような家庭環境に置かれていなかったとしても、何らかの方法で、自分なりに言語力を上げるための訓練をすれば、後からでも十分に自分自身の言語力を高めて、それに伴う思考力や学習力や仕事能力の向上と、自尊心の回復を図り、それによって、より高い視野で物事を見る目を養ってゆくことは、十分可能なのではないか、というように思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年10月16日 9:02 PM, 教育 / 知恵、正しさ / 社会、文化



«

»

おすすめ記事

過去の記事