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アセンションの進行に伴い、宗教的「苦行」の時代から、霊的、この世的「楽行」の時代へ、大きく変化してゆきつつある Part 2

④この宇宙の創造主(神仏)や、彼の天使達の苦労や努力を知るために、肉体的、精神的に、ちょっと、きついと思うくらいの「苦行」をすることが、その人の精神性を高めるために、多少、良い効果があったのは、確かに事実である

 それから、第四には、これは、よく知っている人も、あまり知らない人も、両方いるような話になってくると思われるのですが、実は、この宇宙の創造主(神仏)や、彼の天使に当たるような光の存在達というのは、地球を初めとするような、この宇宙の創造や、その維持のために、本当に、とてもではないが、言葉では、言い表せないくらいの、ものすごい苦労と努力を積み重ねてきた、ということなのです。

 ですから、たいていの人は、霊的な理解が進んで、そうした状況が、ある程度、分かるようになると、どうしても、そうした、「この宇宙の創造主(神仏)や天使達の苦労や努力を、ほんの少しでも、自分の身で理解してみたい」、というような、心の底からの強い欲求が出てくるものなので、そうした意味で、これは、決して、ものすごい苦痛や我慢を強いるようなものである必要はないのですが、1年のうち、1ヶ月とか、数週間ぐらい、この世的に見て、「ちょっと、大変だな」、とか、「これくらいなら、ちょっと我慢すれば、辛抱できるかなな・・・」、という程度の、一種の苦行のようなものを行うことは、日頃の生活のありがたさを思い出したり、他の人の苦しみを理解したり、あるいは、肉体や精神を浄化するために、ある程度、効果があるようなところがあった、ということです。

※つまり、創造主(神仏)の意思としては、基本的には、多くの人々や生き物達に、心の底から、幸福になってほしい、と望んでいるが、時折、そうした創造主(神仏)や、彼の天使達の苦労や努力も思い出してほしい、というような希望も持っている、ということなのです。ですから、後からも述べるのですが、これは、基本的に、「人間の肉体や精神を苦しめよ」、というような意味ではないので、あまりにも、肉体的、精神的に過酷なことを強いることや、それから、小さな子供や病気や妊娠中や年老いた人など、普通、どう考えてみても、そんなことすべきでないのではないか、というような人への強制は、絶対に避けるべきなのですが、歴史的には、こうした苦行主義のようなものが行き過ぎて、時々、あちこちで悲劇が巻き起きることがあったようです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年7月21日 9:00 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳



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