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アセンションの進行に伴い、宗教的「苦行」の時代から、霊的、この世的「楽行」の時代へ、大きく変化してゆきつつある Part 3

2、霊的宇宙的に見た場合、「苦行」は、その人の魂の快、不快の感覚を、かなり大きく、ずらしてしまうことや、霊的な間接被害を巻き起こす点で、かなり問題があるようなところがある

 それでは、逆に、そうした「苦行」の問題点としては、いったい、どのようなことが言えるのか、というと、次のような二つのことが言えます。

 

①何らかの輪廻の過程で、一度でも、深く「苦行」に、はまってしまうと、その後、その人の魂の快、不快の感覚が、かなり大きくずれてしまうようなところがあるので、霊的には、かなり危険なところがある

 まず第一には、これは、霊的には、かなりはっきりしていることなのですが、実は、何らかの輪廻の過程において、「苦行」というものに、一度でも深くはまってしまうと、その人の快、不快の感覚(心地よいと感じるか、きついと感じるか)というのが、かなり大きくぶれてしまう、というか、ちょっと、普通の人間と比べると、かなりずれて、異常になってしまうようなところがあるのです。

 そうすると、それ以降、そうした人々というのは、普通の肉体や精神の感覚としては、「これは、普通、気持ちいいって言うでしょう」、とか、「これは、普通、きついとか、つらいとか言いませんか」、というようなものに対して、「いや、みんなは、これは気持ちいいと言うかもしれないけれど、自分は、あまり気持ちいいとは思わない」、とか、「みんなは、これは、きつい、とか、つらいって、言うかもしれないけど、自分は、何だか、心地よく感じてしまう」、などというように、普通の人々の感覚と比べると、快、不快の感覚というのが、かなりずれて、ちょっと、おかしくなってしまうようなところがあるのです。

 ですから、これを言うと、ちょっと、がっかりくる人がいるかもしれないのですが、よく「願望実現の法則」や「心の世界の法則」では、「あなたの現実は、すべて、あなたの望んだ通りになっている」、とか、「現在のあなたの人生は、すべて、あなた自身が選択した結果、起きたものなのです」、などと言われるものなのですが、そうすると、「ああ、確かに、そうだ。そうだ」、と納得できる反面、「いや、ちょっと、待ってくれ。自分自身の潜在意識に近いと思われるような、自分自身の本音の感覚と比べてみても、やっぱり、今の自分の状況は、そんなに自分自身が、強く望んだものには思えないなあ〜」、とか、「気がついたら、現在の自分の状況に置かれていただけなので、どう考えてみても、すべて、自分が望んだ通りの現実の状況になっているとは思えないなあ〜」、などと考える人々も多いと思われるのですが、今日の世界に、そうした人々が、非常に多い理由は、先ほど述べたような、多くの人々の潜在意識の大混乱、つまり、多くの人々は、「その人が、口で言うほど、本当は、心からの幸福なんて、それほど望んでいない」、とか、「いや、むしろ、幸福よりも、多少、不幸で、大変なくらいの人生を望んでいるようなところがある」、というような潜在意識の大混乱に原因があるようなところがあるのです。

 そして、それもこれも、元をたどると、元々、その人自身が、心の底から望んだかどうかは、ともかくとして、実は、多くの人々は、心の奥の潜在意識のレベルでは、「あれ、これって、本当に楽しかったのかな?」、とか、「これって、苦しかったんだっけ、きついことだったんだっけ。何だか、よく分からなくなっているなあ〜」、などというような、潜在意識レベルの大混乱が、原因になっているようなところがあったのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年7月21日 9:02 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



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