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「鏡」崇拝の問題点について Part 4

④今から千数百年前に日本から始まった「鏡の魔術(反世界原理)」の支配の歴史によって、その前後、数千年にわたり世界中に次々と「逆さまの原理」の世界を出現させることになっていったが、今から約千年前からの歴史の揺り戻しによって、現在、逆に日本が世界の映し鏡のような場所に変化してゆきつつある

 そして、前回述べたような「分離の原理」の隠れ総本山のような場所が、もし、その世界の縮小形の「ひな形」のような場所であった場合、この宇宙は、いったいどうなってしまうのかということをずっと体験し続けてきたのが、現在の地球人を初めとするこの宇宙の人々であったということなのです。

 実は「逆さまの原理」は、空間だけでなく、時間に対しても同じように働くことになるので(霊的には時間的影響は、前にも後にも働くので、それ以前の時代にも同じような効果があったものと思われます)、おそらく、そうした「逆さまの原理」が、この世界全体に働き出した当初は、この日本がある種の世界のひな形のような役割を果たしていたのではないかと思われるのですが、ところが今から、だいたい千年ぐらい前を一つの霊的な節目にして世界の中心は、それまでの東洋から、だんだん中近東へ(ちょうどその頃は、イスラム圏がものすごく勢いがあった頃になります)、それからヨーローパやアメリカの方に移るようになってゆき、そして、今から、ちょうど400〜500年ぐらい前から、今度は、そうしたヨーローパやアメリカの辺りから、中近東や東洋を含む世界中のさまざまな国々に西洋の近代化の波が押し寄せるようになっていったということなのです。

 つまり、そうした霊的な観点から、もう一度、日本と世界の関係を見直すと、いったいどのようなことが言えるのかというと、最初は「鏡の魔術」で日本が世界のひな形のように見えた時期も、古代の一時にあったことはある程度事実であるのですが、そうしてひな形の日本から始まった歴史が(これは霊的な意味なので、決して文明の中心地であったというような意味ではありません)、やがて、いったん世界全体に行き渡ると、今度は同じ鏡の魔術の反作用によって世界全体が一種のひな形になって、逆に歴史の終わりにかけて、最初のひな形であった日本に押し寄せるようになってきたということなのです。

 つまり現代の日本は、世界のひな形というよりも、どちらかというと世界の映し鏡のような場所になってゆきつつあるということなのですが、その先には、さらにもっと驚くべき結論があって、それというのは、もうしばらくすると、こうした鏡の魔術の支配の時代自体が終わる時期が、もうすぐそこまで来ているのではないかということなのです。

 それが、このブログで述べているような「アセンション」と呼ばれる新たな時間の支配の始まりのことであるのですが、その先には、さらに驚くべき結末が用意されていて、それは、この物質世界自体が終焉して、半分霊界のような新たな霊的世界の時代が始まってゆくということなのです。

 そして、その時代は、もうそれほど遠い未来ではなくなってきているのです。

※霊的に見た場合、日本が、ひな形になって世界に影響を与えていることもあれば、その反対に今述べたような反作用の影響で、逆に世界がひな形のような役割を果たして、日本に影響を及ぼしているようなところもあるので非常に複雑な部分があります。

 ただ近現代にかけては、こうした鏡の魔術の作用と反作用が非常に複雑に入り乱れて、交互に影響しているように思われるので、伝統回帰と近代化(もしくは西洋化)の波が交互に入り乱れながら、良い意味でも悪い意味でも、あの日本独特の(ある意味では世界最先端の)ポップ・カルチャーを生み出しているのではないかと思われます。

 

 追伸

 それと「神剣」についても、「鏡」とほとんど同じようなことが言えるのですが、確かに古代、中世、近代と戦争の多かったご時世において、敵よりもより強く硬い歯転びのしない鉄の剣は、軍隊にとって非常に重要であったと思われるのですが、ただ、「神と剣が関係あるのか?」と問われると、正直言って、かなり首をかしげざるを得ないのです。

 それというのは、剣が、敵から自分や味方を守るための力強い武器であったことは確かに事実なのですが、ただ、やはり基本的に剣は、人を殺すための武器、道具に過ぎないということなのです。

 ですから、これはケースにもよるのですが、もし神のような存在の持ち物として、その中の一つとして剣や槍のような武器を考えるのであれば、まあ、ある程度は分かるような気もしないでもないのですが、ただ、「剣や槍のような武器は、神の象徴である」とか、「剣や槍のような武器そのものに神の魂が宿る」とか、「剣や槍のような武器そのものが神である」というような主張に関しては、やはり昔の後進国だった時代の一種のハイテク崇拝のような感じは否めないし、また現実には、それは霊的な封印教以外の何物でもなかったのではないかということです。

 同じように「鏡」であっても、「玉」(勾玉、まがたま)のようなものであっても、「何らかの物自体が、神の象徴である」とか、「何らかの物に神や人間や生き物の魂が宿る」とか、「何らかの物が、神や人間や生き物そのものである」というような主張は、霊的に見た場合、かなり問題があるというか、霊的な封印以外の何物でもないのではないかということです。

 

Cecye(セスィエ)

2012年4月5日 9:13 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宇宙文明、古代文明 / 神道



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