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昔の日本の神話について Part 5

7、日本神道の最高神とされる「アマテラス」は、古今東西、多くの人々が考えている太陽神や神仏のイメージとはかなり異なり、どちらかと言うと代々の王家の姫、もしくは、女王のようなイメージに近いようなところがある

 さらにダメ押しで言うと、現在の日本神道における最高神の「アマテラス」についてなのですが、これは次のような三つの点で、宗教の最高神としては、かなり問題があるのではないか、ということです。

 まず第一には、これは霊的なことが、ある程度分かる人だと、すぐに分かるような内容なのではないか、と私は思うのですが、確かに地球や太陽のような惑星や恒星に、その星の生命と言ってもよいような意識存在があるのは、霊的な事実なのですが、ただ日本の神話で語られる「アマテラス」と呼ばれる存在の個性は、原始社会の古代ならともかくとして、現代の多くの人々の天文学的常識から見た、地球よりも遥かに巨大な恒星の「太陽」の意識とは、かなり異なっているのではないか、ということです。

※これは別に男性として捉えられているか、女性として捉えられているか、というような問題とは全然異なるのですが、古代エジプトの「アメン・ラー」や、古代ギリシアの「アポロン」のように、たいてい太陽神のイメージは、もっと光に満ちて、力強く、生命力に溢れたイメージが多いようです。

 第二には、これも考えてみれば、当然のことなのですが、日本の神話に出てくるアマテラスであると、太陽神のわりには、機(はた)織りもすれば、稲作もするし、また収穫祭のような宗教儀式もするし、その上、国(国というよりも、どちらかと言うと村のようなイメージですが・・・)に何か一騒動あれば、その調停のような役割を果たす、というような説明がされていることが多いのですが、ただ、これでは今日、多くの人々が考えているような神仏のイメージ、つまり目には見えないけれども、いつも陰ながら多くの人々が、あまり不幸にならないように、いろいろな手段で守ると共に、多くの人々が、少しでも健康や幸福や繁栄を手に入れられるように導き、見守る、というような神仏のイメージが、正直言って、ほとんど皆無なのではないか、ということです。

 第三には、これも考えてみれば、不思議な話なのですが、日本の神話で語られるアマテラスと呼ばれる存在は、どう考えてみても、その前に代々の親があり、また、その後にも代々の子孫があるような話になっているので、正直言って、これは今日私達が、無意識のうちに想像するような「神」と呼ばれる存在というよりも、はっきり言うと、いにしえの時代に連綿と続いていた代々の王家の家系の、ちょっとした偉いお姫様、もしくは、女王のような存在に過ぎなかったのではないか、ということです。

 ですから、こうした観点から考える限り、今日多くの人々が、ほぼ無意識のうちに想像してしまうような神仏のイメージ、つまり普段、私達の目には全く見えないけれども、いつも陰ながら多くの人々を暖かく見守り、災いが来た時には、いろいろな手段で守ってくれたり、また多くの人々が、できるだけ少しでも健康や幸福や繁栄を手に入れられるように導いてくれるような、よくある神仏のイメージと、こうした神話で述べられているアマテラスという存在のイメージは、はっきり言って、かなり異なったものなのではないか、ということなのです(日本の神話の神々には、これと似たようなポジションの神々が、他にも大勢いますが・・・)

※当然のことですが、こうした「アマテラス」と呼ばれる存在が、天孫降臨の際に「鏡」、「剣」、「玉」(もしくは「勾玉(まがたま))の「三種の神器」を授けた、というような話も、後の政治権力者の権力の正当化のために、後から適当にでっち上げた、インチキの話だったのではないか、というように私は率直に考えております(もし二千数百年前であるとしたら、当時の日本国内では、技術的に鏡も鉄の剣も、きれいに磨かれた玉も作れなかったのではないでしょうか?)。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2012年3月29日 9:06 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宇宙文明、古代文明 / 宗教、道徳 / 歴史 / 神道



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