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現代のような民主主義全盛の時代には、大部分の宗教は、人間の自由性を著しく制限する点において、だんだん時代遅れの存在になってゆきつつある Part 3

3、ここ数千年の間、人類の社会では、多くの人々の快楽欲求を、いかにして制限してゆくか、ということが、ずっと模索され続けてきたが、近現代に入ると打って変わって、多くの人々の快楽欲求を、いかにして、より合理的な形で満足させ、充足させてゆくか、というような方向に人類の文明は大きく方向転換してゆくことになった

 第三には、これは先ほども少し触れたのですが、実は、どの宗教もあまり表立っては、はっきりとは言わないのですが、宗教というのは、多くの人々の快楽欲求というものを、いかにして社会的にあまり問題がないような形でうまく制限したり、オープンにさせてゆくか、ということにかなり苦労してきたふしがあるということです。

 

これまで人類の社会で試みられてきた人間の快楽欲求を制限したり、オープンにしてゆくための五つの方法

 宗教でよく取り上げられるような人間の代表的な快楽欲求と言えば、食欲や性欲や、それから金銭欲や、さまざまな物欲のようなものをあげることができるのですが、これまでの人類の社会において、こうした人間の快楽欲求をうまく解決するための手段として、よく提示されてきた解決策としては、大体、以下のような五つの方法があげられます。

 

①厳しい物質世界の現実から目をそらして、ひたすら自分自身の肉体や心の内面を調整し続けることによって、心の安らぎや心の平安を見いだしてゆく

 まず第一には、これは、その社会全体が貧しく、戦争や疫病などで荒れていて、数十年、場合によっては、数百年という長さでずっと、そうした社会の混乱が続いている場合に、よく提案される宗教的な方法になるのですが、とにもかくにも少し世間から離れて、目を閉じて息を整えて、祈りや瞑想にふけることによって、自分の欲心を押さえて、苦悩に心動かされずに自分のやるべきことを淡々と行う中に、自分自身の心の安らぎや平安を見いだすような精神的な手法になります。

 

②現実の厳しさや苦しさから目をそらすために、ひたすら偉大な神仏の存在に心を向けて、自分を忘れて、強く信じきることによって、心の安らぎと平安を見いだしてゆく

 第二には、これも、そうしたあまり幸福でない時代が長く続いているような時代背景において、よく登場する宗教思想になるのですが、そうした自分自身の努力によるのではなく、何か偉大な神仏のような存在を心の底から信じきり、何らかの宗教的な行為を続けることによって、自分自身の心の安らぎや平安を見いだすような宗教的手法があります。

 こうした宗教的な行為というのは、そうした大変な社会状況においては、確かに自分自身の心の拠(よ)り所を見いだせる、いっけん、よい方法になるのですが、ところが、これが行き過ぎると、あまり自分が主体的に努力したり、状況の変革を試みることが非常に少なくなる傾向があるようなので、場合によっては、こうした宗教思想を多くの人々が信じた結果、かえって非常に長い戦乱や社会の混乱状態が続いてしまうような逆効果の一面もあるということが言えます。

 

③この世離れした魔術や超能力の獲得を目指して、研究や修行を積み重ねることによって、それなりの満足感や達成感を味わう方法もあるが、これは師匠選びを間違うと、とんでもない災難に遭うことがあるので注意が必要である

 第三には、これは、あまりメジャーとは言えないのですが、ちょっと怪しげな魔術や宗教的秘儀ようなものの研究や修得に没頭することによって、現実の苦労や問題をすっかり忘れて、それなりの満足感と達成感を味わうような方法があります。

 ただし、この場合も少し問題があって、それというのは、もしそうした魔術や宗教的秘儀の師匠が裏で、その社会において何らかの犯罪や反政府運動のようなものに手を染めている場合には、自分の希望とは裏腹に突然、犯罪者扱いされて政府に摘発されるとか、外国への亡命を余儀なくされるようなことがあったりするからです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年7月14日 9:26 PM, 人生観、世界観 / 宗教、道徳 / 社会、文化



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