今回から、少し国家や社会の改革や変革についての話になります。
どんなに素晴らしい理想を掲げる社会改革であったとしても、あまりに急激な社会の改革は、百害あって一利なしである
これは前から、すでに何度も何度も述べているような話になるのですが、私は、基本的にどんなに素晴らしい理想や目的を掲げる社会の変革であったとしても、あまり早急に大騒動を起こして、その社会を大変化させるようなタイプの社会の変革に関しては、よほどの特別な状況でもない限りにおいては、かなり懐疑的というか、あまり賛同しないような立場をとっているということなのです。
その理由は、大きく三つあります。
1、あまりに急激な政治体制や社会の変化は、多くの人々の仕事や生活上の立場を不安定にして、大変な苦労や混乱を巻き起こすことがあるので、できるだけ避けた方がよいが、それにも関わらず、多くの人々に対して、大変な窮乏や不幸を強いるような国家体制や社会の状況に対しては、多くの人々で知恵と力を合わせて、早急の改革や改善を迫る必要がある
まず第一には、これは世の中の実態を見れば、多分、ほぼ誰でもよく分かるのではないかと思われるような内容になるのですが、とにもかくにも、あまりに急激な国家や社会の変化というのは、多くの人々の仕事や生活上の立場というものを非常に不安定にして、大変な苦労や混乱を引き起こすことが多いので、多くの人々の幸福の観点から見る限り、そうした事態というのは、基本的には、できるだけ避けた方が良いのではないかということです。
ただし、これには例外事項があって、それというのは、その時点における国家の体制や社会の状態によって、表向きのきれいごとの建前はともかくとして、その社会の実態として大多数の人々が、ろくな生活も出来ずに、いつも飢えた状態になっているとか、多くの人々が、非常に不自由で不幸な生活を強いられているのに、全く何の改善も見られないというような状況下においては話はかなり違ってきて、この場合には、多くの人々が、より豊かで幸福な生活ができるように、できるだけ大きな規模でしっかりと団結して、政府に対して、かなり強硬な態度で国家体制や社会の状況についての改善を迫るか、さらには、もし、それで何の改善も見られないばかりか、多くの人々のそうした活動を強硬に弾圧するような態度に政府が出てきた場合には、多くの人々で知恵と力を合わせて、武力の行使によって、そうした政府を倒して、多くの人々が、より豊かで幸福な生活ができるような新たな政府を樹立する必要があるということなのです。
※こうした革命思想のような話というのは、現在の日本だと、まだあまり馴染みがないと思うのですが、その国の大多数の人々に対して、大変な不幸や不自由を強いるような政府を、革命によって倒す権利というのは、非常に大切な人間としての権利であるということは、本当は日本人であっても、民主主義国の市民としては、よく知っておく必要があるのではないか、と私は感じております(民主主義の発祥した国々では、こうした考え方というのはある程度、しっかりと知られています)。
ただし現代の日本のように、もうすでに民主主義国になっているような国においては、こうした武力の行使というのは、多くの市民にとって迷惑以外の何者でもないので、もし何らかの政治的な理想が実現したいとしても、基本的には言論の自由や、集会・結社の自由の行使の方が妥当であるということが言えるでしょう。
Cecye(セスィエ)