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そろそろ学校の勉強がバカらしくなってきた人のために―――短期間でテストの点数や成績をアップするための秘訣について Part 10

7、もし学校の勉強で自分が根っからの本嫌い、文章嫌いになりそうだと感じたら、この際、将来のことを考えると学校の勉強なんて適当でもいいから、とにかく毎日、どんなに簡単な本やマンガからでもいいから、できるだけたくさんの本や雑誌に触れて楽しみ、自分を向上させ続けるような読書の習慣の確立を目指すべきである

 第七には、これもあまり指摘されることが少ない内容になるのですが、学校によっては、その小中学校に入った段階で親がよほどしっかりしているか、そこそこ経済力でもない限りは、もうその人の将来は普通高校か、商工業の高校を出て、ごくごく普通のサラリーマンというか、ブルーワーカーみたいな仕事に就くことが、最初の時点からほぼ完全に決定されてしまうような人達が、現代の時代には本当に大勢いるということなのです。

 それは一体どのような理由からなのかというと、それは単純明快、そうした学校生活をしているうちに、「毎日毎日、もう一日の大半を教師の訳の分からない長い話を聞かせられたり、教科書の長い文章を見せられてきたので、もう本当にこんな勉強なんて心底大嫌いになってきた」、とか、「学校を卒業したら、この退屈な勉強なんて、本当にもう二度とやりたくないと思った」、などというように単なる勉強嫌いというよりも、「もう文字を見るだけで嫌(いや)!」、とか、「もう長い文章を見るだけで嫌!」、というような「文字嫌い」、「文章嫌い」、引いては、「本嫌い」、「新聞嫌い(現代だとネットのニュースも含めて)」の人間になってしまうからなのですが、そうした精神性というか、精神状態になった人というのは、現代の世の中であると、もうほぼ確実にそこそこ頭を使い、いろいろな創造性を発揮するような仕事ではなく、それ以外の単純な肉体労働であるとか、一種の下働きのような仕事に付くしか道がなくなってしまうということなのです。

 もちろん、そうした肉体労働や一種の下働きのような仕事も社会には必要な仕事であるので、そうした仕事が普通の仕事よりレベルが低いとか、蔑まれるような仕事であると悲観するような必要性は全くないのですが、ここで問題なのは、もしその人が、「その仕事が好きだから自分から選んだ」というのであれば、私は全く問題ないと思うのですが、そうではなく、その後のその人自身の感覚として、「自分は頭が悪いから」、とか、「俺は頭のいい人間には全然かなわない」、とか、「本当は、もっと別の仕事がしたかったんだけど、自分は勉強ができないから仕方なく、この仕事についた」、などと、いつまでもくよくよ考え続けたり、あるいは、いつまでも周りの人達にぶつぶつと愚痴(ぐち)り続けるような人生を送るような事態だけは、本当は絶対に避けなくてはならなかったのではないかということなのです。

 それゆえ、もし自分が(あるいは自分の子供が)学校に入って、「もう勉強が大嫌いになってきた」、とか、「もう文字や文章を見るだけでうんざりする」、というような感覚を強く持つようになってきた場合には、別に学校の勉強はできなくてもいいけれど(本当は嫌なら無理やりやらなくてもいい内容はたくさん含まれています)、その代わり、そうした文字や文章を見るだけで嫌気がして、うんざりするというような状況をできるだけ回避するために、私は、できれば次のような二つの対策をとることを勧めたいと思います。

 まず第一には、もう学校の勉強は適当にやればよしとするけれども、将来のことを考えると文字嫌い、文章嫌いになってしまうと、自分の将来の仕事や生活の選択肢自体がかなり窮屈なものに狭められてしまうことが多いので、とにかく周りの人にどんなに馬鹿にされるような超簡単な低レベルの本(絵本や薄い本やマンガも含めて)でもよいから、最低でも一週間に1冊程度、できれば毎週2〜3冊から5〜6冊程度は、ザッとでいいから目を通すように読む習慣をつけることを勧めます。

 つまり、こうした読書の目的は、とにかく本を単純に楽しんだり、本に触れることに慣れることが目的なので、それゆえ本を最初から最後まで全部真面目に読むような必要性は全くないので、自分の気になった所とか、要点だけ適当に読むというような読み方で十分であるということです(基本的にそんなにたくさんの本は、普通の家ではとても全部買って用意できないと思われるので、本屋で適当に立ち読みするか、近くの図書館を利用すればよいと思われます)。

 これは大きくなって社会人になってからも一緒なのですが、その人が読む本は、その人が自分の好みや趣味や実用性の観点から、基本的に自由に選べばよいということと、それから本というのは、読めば読むほど、だんだん早く読めるようになってゆくので、あまり大人が横から口をはさんで、「こういう文学作品を読むべきだ」なんて説教をすると、かえって本嫌いになってしまうことが多いので、基本的にその人が読む本は、端から見ていて、どんなに幼稚で馬鹿らしそうに見えたとしても、その人が自由に好きなように読んでいいことにするのと、それから教師や大人の役割としては、前に述べたように、せいぜいその人が、さらに楽しく読書生活ができるような楽しい良い本を薦める程度のことだけであるということです。

 

 続く・・・(明日は、これの第二の内容になります)

 

Cecye(セスィエ)

2011年6月28日 6:01 PM, コラム / 教育



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