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政治問題と社会問題の違いについて Part 8

 ですので政府の政治家の立場になると、例えば、議会では全く話していなかったような、あまり表に出せないような機密情報も含めて、様々なたくさんの非常に重要な情報が、次々と入ってくる中で、はっきり言うと、何か一つでも重要な判断や命令を大きく間違えたら、ひょっとしたら誰かの命や生活に直接大きく関わってくるかもしれないような、非常に重大な決定や命令をしなくてはならないような立場になってくるので、それゆえ、その内容が重大であれば、重大であるほど、かなり細かく言葉を選んで、一つ一つの発言を慎重に丁寧に、できるだけ誤解のない、わかりやすい言葉で説明するしかないような状況に置かれやすいのです(何でも思ったことを、ペラペラしゃべれなくなるような状況になることが多くなるようです)。

 しかし野党の立場としては、そうした政府の大統領や首相や、大臣や長官などの一つ一つの発言や行動などについて、常に何か問題点はないか、尾ひれはひれ細かく調べ上げては、もし何か問題点があった場合には、ことさら声を荒げて、なるべくセンセーショナルに、とてつもない大問題であるかのように追及しようとするような姿勢をとることが、とても多いようです。

 ところが、はっきり言ってしまうと、そうした問題点は、もうすでに政府や政党内の主だったメンバーや、実際にそうした政治的な仕事を行う官僚や役人などの間で、かなり突っ込んだ話し合いが持たれた内容であることも多いようなので(そうしないと、実際の政治的な仕事が全く進まない状況になってしまうので・・・)、それゆえ、ともすれば、世間の多くの人々が持ちがちな政治家の印象、つまり、いろいろと問題をたくさん起こしたり、また時には、かなり無能なダメ人間のようにすら見えることもあるような政治家の印象というのは、実際には、かなり違っているようなところもあるようです。

 ただし、もちろん政府内の政治家が、憲法や法律や、世間の道徳律や、官公庁の業務規定などに触れるような行為を行なっていることを、野党の政治家やマスコミなどが批判、追及している場合には、それは政治家の人々の間で決めた、「これくらいのことは、どうしても、きっちり守ってもらわないと困る」とか、「この内容の法律であれば、普通の政治家なら、しっかり守れるでしょう」などというような政治家としてのルールに抵触していることになるので、その場合は、ある程度厳しい対応が必要になるのではないか、と思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年11月19日 9:03 PM, 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化



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