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政治問題と社会問題の違いについて Part 3

 そこへ突然、今回のような新型コロナウイルス感染症が、世界的な規模で猛威を振るうようになっていったのですが、はっきり言って、こうした状況の場合、少し前に国ぐるみでSARSやMERSに取り組んだことのある国々であれば、あらかじめ、かなり本腰を入れて、再び同じような未知の感染症が流行した際のための十分な対策を巡らしていたかもしれないのですが、そうでない多くの国々にとっては、どの国々も、いまだかつて経験したことのないような非常に感染力の強い未知のウイルス感染症との戦いになったので、まずは急遽、担当の大臣(長官)や官僚や、医療関係者や学者や企業などの専門のチームを作ると、その時点でわかりうる情報をかき集められるだけ、かき集めるために専門家のレクチャーを受けたり、現場の生の情報を聞いたり、外国の状況を調べたりする中で、その時点で政府や医療機関として、できうる最も最善と思われるような対策を、片っ端から行ってゆくしかないような状況になったのではないか、と思われます。

 こうした状況を国民の側から見ると、「なんだか、とても大変なことが起きているようだが、本当は政府がうまくやれば、なんとかなったのではないか」とか、「本当は大したことないのに、政府やマスコミが大騒ぎしているだけなのではないか」などというような目で見がちなところもあったようです。

 ところが、そうした状況を政府の人々の目から見ると、かなり違っていて、要するに政府関係の機関では、常に非常に多くの人々が、非常にたくさんの仕事を同時並行的に、かなりきっちりと行い続けないといけないような状況になっていて、しかも、そうした仕事の中には、少しでも止めたり、手を抜いたりすると、どこでどんな問題が生じるかわからないような非常に重要な仕事も、たくさん含まれているようなところがあったわけです。

 そうした状況において、今回のコロナ禍のような非常に大変な問題が発生すると、おそらく政府の立場としては、「今回、政府が中心になって、しっかり取り組むべき極めて重要な課題が、新しく発生したので、その対応すべき重要度や規模に応じて、しっかり対応したいのだが、現在の我が国の状況や各国の状況を詳しく調べたり、今後の未来の状況を予測すると、おそらく、この程度の人員や予算を回して、こんな形の対応にすれば、うまく行くのではないか」などというように、その時々の実際の状況や、その後の予測などに基づいて、様々な対策に取り組むようになったのではないか、と思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年11月8日 9:03 PM, 予知、予言、未来予測 / 政治 / 知恵、正しさ / 社会、文化 / 経済



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