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霊的、現代的な観点から見た仏教の教えについて Part 19

 ちなみにこうした形で、その時点において、自分としては、全く理解できない、あるいは、全く解決できないような非常に大変困難な問題を、「本当は、そんな問題はないのだ」とか、「それは私達とは全く関係ない別の人々や、別の国々の問題なのだ」とか、「自分の信仰こそが真実で、それに合わない今の現実は、すべて嘘まやかしなので、一切信じない」とか、「現実は、もうあまりにも大変混乱しすぎているので、一切受け入れたくない。自分はこの教えだけを信じて、この教えを信じる仲間だけと一緒に生きてゆきたい」などというように、すべてバッサリと全否定して、心の安定や幸福を見出すような宗教のあり方というのは、そうした古代や中世の時代ばかりでなく、現代の世界においても、時折見かけられるものなのではないか、というように思われます。

 ただ、私は思うのですが、特にここ数百年ぐらいの間、地球上の人類は、どちらかと言うと、そうしたこの世の現実をすべて否定して、心の安定や幸福を見出すような生き方ではなく、そうではなく、その時々の現実の状況を、できるだけ、しっかり直視して、科学的な態度で、この世界を支配する法則を見つけて、それをうまく活用して、より良い生活に変えてきたり、また、政治の世界においても、経済や文化の世界においても、多くの人々が、日夜、たくさんの創造や改良を積み重ねて、少しでも、より平和で幸せで豊かな世界に変え続けてきたようなところがあるので、はっきり言って、現在の世界は、そうした古代や中世の人々が生きていた世界の様子に比べると、ずっと快適で豊かな幸せな世界に変わってきているのではないか、ということなのです。

 こうした観点から考えてみると、確かに宗教的には、現実の世界の否定を通して、かなり簡単な努力だけで、大きな安心や幸福の獲得を目指したいと考えるような気持ちは、ある程度はよくわかるのですが、ただ現在の世界では、別に現実を直視しても、はっきり言って、昔の人々ほど、ものすごく大変な生活をしているような人々は、かなり大きく減ってきているようなところがあるので、それゆえ、できるだけ現実の状況を直視して、そして、少しでも、より良い世界の創造や改善のために努力してゆくことが、とても大切なのではないか、というように思われます。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2021年6月24日 9:03 PM, イスラム教 / インド思想、ヒンドゥー教 / キリスト教 / ユダヤ教 / 中国思想 / 人生観、世界観 / 仏教 / 宗教、道徳 / 歴史 / 知恵、正しさ / 社会、文化



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